今日は12月4日(木)、現在の時刻は午後22時8分である。今日、やっとスマホで撮影した写真をPCに送信することができた。説明すれば何と馬鹿々々しいことで偶然にも回復することができたが、どうしてこんなことになっていたのかが説明できない。写真がブログに転送できないと、見る方も拙い文章だけではつまらないだろうと思うと書く方も意欲が湧かない。そんなことで、2か月もブランクができてしまった。明日からは再開しよう。(令和7年12月4日、夜)
現在は12月6日(土)、午後9時12分。今朝の気温は0℃だったが、昼間は快晴で最高気温は12℃だった。現在は6℃。昨日は途中まで原稿を書いたが、今年のぼたん園の様子をスマホで撮った写真をPCに送信するだけしかできなかった。今から作業を再開しようと思う。時間が無いので、取り敢えず写真をUPしようと思う。(令和7年12月6日、もうすぐ24時になろうとしている。)
<園内に自生する黒百合。♪♪くろゆり〜は恋の花、愛する人に捧げれば二人は必ず結ばれる♪♪小学生の頃、修学旅行で初めて阿寒に行った時、バスガイドさんが歌ってくれた歌を思い出す。>

<今年もアオサギの子どもが親鳥の留守にカラスに襲われて無残な姿に。毎年、多い時は20羽を超す。>

<草刈り作業をするときは、いつもこの格好。帽子、防塵メガネ、マスク、手ぬぐい、そして前掛けは必須アイテム。>

<毎年、園内で一番早く咲くピンクの牡丹。今年もきれいに咲いてくれた。ありがとう!!>

<春にはいろいろな山菜が採れる。その中でも、園内の三つ葉は大きくなっても根元まで柔らかい。>

<創立記念碑のある花壇の牡丹も咲き始めた。>

<6月7日、円形花壇の牡丹も咲き揃ってきた。>

<牡丹近景>

<同上>

<同上>

<我が自給自足菜園。ビニールハウスはトマト用で、雨に当てないため。手前はジャガイモ、タマネギ、カボチャ、蔓無しインゲン、そしてお一人様用のレタス、セロリ、パセリ、バジルを栽培。その他、ナス、ピーマン、パプリカ、マスクメロンにもチャレンジ。>

<北見市緑が丘にある「こども食堂高栄」を見学させてもらった。毎週木曜日に開催される。>

<同上内の会場(食堂)>

<園内のクレマチス、和名はテッセン>

<今年のぼたん園は5月31日〜6月22日の間だけの開園としました。ブログの不具合で開花情報を十分にお伝えできなかったことをお詫びいたします。>

<閉園後、7月に久し振りに阿寒までドライブしてきました。阿寒湖は昔と変わることなく静かに湖水を湛えていました。>

<オンネトーまで行って見ました。昔、友人と登った雌阿寒岳と阿寒富士が湖面に逆さに映っていました。>

<絶滅危惧種の大姥ユリが白い(緑色から徐々に白になる)花を咲かせています。園内では毎年増え続けています。昔はアイヌが根を食料にしていたそうです。>

<青いクレマチス>

<完全武装の自分>

<白いアジサイ、アナベルはアメリカ種だそうです。>

<7月17日のビニールハウス内の様子>

<同ビニールハウスの外の様子>

<80歳の自分>

<7月25日、ブルーベリーと梅を収穫。今年は暑すぎたせいか、生り物の出来はよくなかった。例年の1/5程>

<ブルーベリー>

<8月4日のヤマブドウ。ヤマブドウも今年の出来はイマイチ。早く美味しいヤマブドウワインが飲みたい。>

(令和7年12月7日、日曜日、一日中晴れ。午後3時40分現在、気温14℃、湿度38%。)
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明日は日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明にハワイ真珠湾攻撃を行った日。そのせいか、午後からBSフジで2時間のドキュメンタリー番組(13:00〜14:55PM、再放送)を視聴した。番組名は「財前直美 知られざる”特攻の町” 我が故郷 戦争の記憶」。彼女については、以前から大分の出身であり、現在は故郷で両親と18歳になる一人息子と3人で住んでいることは他の番組でも観ていたので知っている。しかし、彼女の故郷である大分県宇佐市には、現在でも先の大戦(大東亜戦争)中にあった海軍大分航空隊の資料を展示している宇佐平和資料館がある。そして街中にも当時米軍飛行機により爆撃された痕跡が保存されている。またこの航空隊から飛んで行った20歳前後の若者たちの名前が刻まれた碑もある。
1945年(昭和20年)8月15日夕方、正午からラジオで昭和天皇の敗戦を告げる玉音放送があったその日の午後4時30分、大分の海軍航空基地から終戦を承知しながら宇垣纏司令長官(中将)とともに、中津留達雄大尉(23歳)を隊長とする11機17人の若者が、米軍が占領する沖縄に向けて出撃していった。所謂、最期の特攻隊である。
因みに海軍兵学校第70期会の「澎湃の青春」によれば中津留大尉は父と同じく海兵70期であり、昭和16年11月に海兵を卒業後の経歴を見ると、乗船した艦船は伊勢、と北上と違えど、昭和18年には霞ケ浦航空隊の39期
飛行学生(中津留氏は艦爆、父は戦闘機)となり、同年9月には中津留大尉は宇佐航空隊の、父は大分航空隊の
教官として転出している。ただし、U-TUBEなどで調べると宇佐航空隊については多くの記事が掲載されているが、大分(海軍)航空隊については「謎の部隊」として記載されている記事が1件あるだけで、よく分からないところがある。
いづれにしても、どこかで二人が交差していた時間があったのかも知れない。(令和7年12月27日23:23PM)
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posted by ひろちゃん at 22:17|
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