2018年11月04日

日本の医療制度についての疑問

  平成30年11月3日(土)23:40、この記事を書き始める。今回はこの数か月で実際に自分自身が体験した事実から、素人の眼から見て改めて日本の医療はちょっとおかしいぞ!と感じたことを書きたい。

  最近、新聞や新書などで「かかりつけ医」に関する記事が見られるようになったが、その要旨は従来は内科なら内科医、外科なら外科医、循環器科なら循環器医というように患者の身体の部位により専門化されていたのを、近所の診療所で小さいころから診て貰っている町医者とか、近所のクリニックでいつも風邪を引いたとか熱が出たといって診て貰っているドクターなどという、何でも診て貰って相談もできるような身近な存在としての「お医者さん」を育成する方向に国をあげて取り組み始めたという内容のものである。

  僕は母親が亡くなる5,6年前、すなはち、平成8年か9年ころから二つの理由から日本のそして世界の老年問題と医療問題に関心を持つようになった。
  一つは、平成17年に亡くなった叔母から生前、宿題として与えられた北見の牡丹園の将来のことについて冬の間の収入を考えて置くことだった。僕は当初から、これからの時代必ず老年問題が大きく浮上してくることは分かっていたので、そして牡丹園の環境を最大限に生かすためにも園内にお年寄りのための施設を誘致するしかないと思っていた。
  もう一つは母のために、どうしたら幸せな余生が遅れるのかを考えることだった。母にはどうしても、せめてこれからは平穏で心安らぐ一生を送らせたかった。
  そこで、日本の高齢者福祉と、そして世界の高齢者福祉の現状を知りたいと思い、また今それらの何が問題となっているのかを知るために手当たり次第に関連する書籍や新聞記事などを読んだ。また、それと同時にそれらの情報から知り得た評判のよい高齢者施設を実際に見て回った。

  現在、それらの情報は北見と川崎に散逸してしまい、改めて機会があれば読み直してみたいと思っている。それらのなかに、どの本が忘れてしまったが日本の医療制度とスエーデンだったかフィンランドだったか、はたまた北欧だったかの医療制度との違いに関する記述は今でも記憶に残っている。
  すなはち、それらの国では「かかりつけ医」制度が確立していて、国民全員が夫々「かかりつけ医」を登録しなければならないことになっていて(強制)、その際は個々に自由に医者を選択することができるので、当然のことながら医者にとっても競争原理が働き、住民に選択されるための努力は欠かせないことになる。
  そして、日本のようにちょっと風邪を引いたから、熱があるから、どこそこが痛いからといって総合病院に行く前に、先ず普段から診て貰っている「かかりつけ医」に診て貰い、そのうえで「かかりつけ医」の指示により総合病院に行くというシステムがしっかり確立されているということを知った。

   今回、改めて感じたことは日本の場合は普段比較的健康で、あまり近所の医師にもかかったことがない患者は特に急に具合が悪くなったり、何が原因なのか分からない場合にはどこの医者に行けばよいのか全く分からない。どこの病院も他の医師の紹介状を持参する患者が優先であり、外来(初診)の患者は予約が詰まっていて何か月か先でないと診てさえもらえない。ましてや身体のどこが悪いのかさえ分からない患者としては何科の医者に行けばよいのかさえも分からない。
   挙句の果てはあっちの医者にかかってみたり、こっちの医者にかかってみたりして、そのたびに憶えきれないほど多量の薬を調合され途方に暮れるばかりだ。
   どの病院も、ちょっと近所では評判のよいところほど超満員で、予約さえ直ぐには取れない。総合病院へでも行こうものなら半日くらいは当然のように待たされる。
   こんなシステムでは重篤で必要度の高い患者ほど、実際には診てもらえない。なぜなら重篤ゆえに病院までたどり着くことが精一杯で、とても何時間も待てる訳がない患者もいるからである。

   こういう状況だからであろう、実際にあった話だが重篤な病気に襲われた友人がある有力なコネを使って日本有数の医師の手術を受けることができて、幸いにも一命を取り留めることができた。ただし、この医者個人か病院かは分からないが医療費の他に数百万の裏金を支払ったという。この類の話は裏から裏へと覆い隠されて表にはでてこない。恐らくこうした話は氷山の一角であろう。
   特段のコネも無く、ましてや数百万の金を右から左に難なく用意できる一般人は少なかろう。逆にこうした輩にとっては、現状のような実態が続く方が望ましいことだろうから遅々として改革が進まないのも頷ける。今の世の中に赤ひげ先生を期待しても所詮無理なことなのだろうか?全く嘆かわしいとしか言いようがない。

   唯一、今の状況でこうした患者が中央突破できる方法がある。それは救急車を呼ぶことくらいである。もちろん、重篤でもない患者が救急車を利用することは厳に慎むべきことと思うが、誰が重篤かそうでないかを判断できるのか?最近はタクシー代わりに救急車を呼ぶ不心得者が増えていると聞くが、これも一つには普段から「かかりつけ医」がいないためもあろう。
   そして、近所でも最近できたばかりの総合病院での救急対応は、いかにも地域に貢献するためにとは謳っているが、それは宣伝のための道具でしかなく、その実態は金になりそうもない患者はまるで物扱いの心のない対応である。

   今回、自分自身がこのような体験をしてみてこの国の医療制度はこのままでは恐ろしいことになると痛感した。この国には頼りになる高潔な政治家や医師はいないのか。誰かが声を上げなければいつ自分の身に、あるいは家族にこのような事態が生じてもおかしくない時代がやってこようとしている。

   このような現状が将来少しづつでも改善される見込みがあるのなら今暫くは我慢しようという気にもなるが、これから75歳以上の後期高齢者(何と無神経な命名か)が65歳から74歳の前期高齢者を上回り、高齢者全体の半数を超える「重老齢社会」がまもなく到来するというのに、これでは全く希望が持てない。
 
posted by ぼたん園々主 at 00:00| Comment(0) | 日記