2019年02月04日

フェルメール展

  平成31年2月1日(金)上野の森美術館で開催されているフェルメール展に行ってきた。昨年の10月5日(金)より、明後日の2月3日(日)までの開催で、既に先月24日の時点で来場者が60万人を突破したそうだ。
  今回は国内史上最多の9点(うち2点は期間限定)のフェルメール作品が展示されるとのことで、この日は8点のフェルメール作品が展示されていた。

  本来であれば、もっと早くに見に行くつもりだったが、想定外の出来事があって最終日3日前のギリギリになってしまった。それも、入場日時が指定される前売り券を予約購入しなければならない「日時指定入場制」なのだけれど、いつ行かれるか前もって分からないので当日のチケット販売状況を見て余裕のありそうな時間帯の当日売りチケットを購入するつもりで病院をいつもより少し早く3時半ごろに出た。

  5時半にはJR上野駅公園口から歩いても2,3分の上野の森美術館に着いたが、当日売りのチケットは7時(午後19時)からの最終時間で8時半(午後20時30分)までには退館しなければならないという。

  この日は、そんなこともあろうかと可能であればすぐ近くの国立西洋美術館で開催されている「ルーベンス展」も見て来ようと思っていたので、7時までの1時間半を利用して何とか見れそうだと急ぎ足で国立西洋美術館に向かう。ところが、着いてみると閉まっているではないか。掲示板をよく見ると「ルーベンス展」は1月20日までと書いてある。そうか、もっと早く来るつもりだったので1月20日までとは記憶していなかった。

  仕方なく、隣のレストランで食事をしてから公園口前の東京文化会館に寄ってみた。昔よくリサイタルを聞きに来ていたころを懐かしく思い出した。

< JR上野駅公園口。公園口改札を出ると正面が東京文化会館である。(2月1日 18:09撮影)>
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<東京文化会館内部。この日は大ホールは休み。昔、よく来た頃が懐かしい。(2月1日 17:59撮影)>
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  6時半になったので上野の森美術館に戻ると、100メートルくらいの列ができている。仕方なく最後尾に並んだ。そうこうしているうちに、列は後ろに延びて既に300メートルくらいになっている。それでも間もなく少しづつ入場して、やっと7時近くには入場することができた。

  会場内は既に前の時間帯の入場者も残っているためか結構混んでいる。やはり絵の前は人が固まっていて真ん前でゆっくり鑑賞するという訳には行かない。それと2階建ての会場の2階部分はフェルメールと同時代の画家達の、黄金時代と呼ばれる17世紀オランダ絵画約50点が展示されている。
  順路としては、この2階を見てから階段を降りて1階の一部屋にフェルメールの8点が展示されている。

<上野の森美術館。今回はフェルメールの全作品35点のうち9点が展示される(うち2点は期間限定)(2月1日 17:02撮影)>
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   やはり一番多くの人だかりができているのは、その部屋の最後に展示されている「牛乳を注ぐ女」である。絵の大きさは縦45.5p×横41pと思っていたより小さい。フェルメール作品のうちでも最もよく知られる1枚である。1658年から1660年頃に描かれたというからフェルメールが26歳から28歳の頃である。
  
  フェルメールは1632年にオランダのデルフトに生まれた。デルフトは醸造業、織物業、陶器産業で栄えた町だが、フェルメールが生まれた頃にはその盛りは終息に向かいつつあった。父親が宿屋を営む傍ら絵の売買もしていたためか、15歳の頃から画家としての修業を始めたようだ。

  「牛乳を注ぐ女」を描いた頃までには、既に1653年、21歳の時にデルフト在住のカタリーナ・ボルネスと結婚し、その年の末には親方画家としてデルフトの聖ルカ組合(画家が中心のギルド)に入会し、名実ともにプロの画家として活動を開始している。結婚の翌年には裕福だった妻の実家に移り住み、この家の二階のアトリエで1950年代末から60年代初めにかけて、今回本邦初公開の「取り持ち女」、そして「窓辺で手紙を読む女」、「士官と笑う女」、「牛乳を注ぐ女」、「デルフト眺望」、「小路」などが描かれている。

   また、この頃からは生涯にわたりフェルメールを支え続けた同じデルフト在住のパトロン、ピーテル・ファン・ライフェン夫妻からの熱い支持のもとに名声を高めて行く。

   会場に戻ろう。1階の1室に展示されている8点は右側の壁に「マリアとマルタの家のキリスト」が、そして左壁の端に「牛乳を注ぐ女」が展示され、正面の大きな壁には中央近くに「取り持ち女」が、両側には「手紙を書く女」、「窓辺でリュートを調弦する女」、「真珠の首飾り」、「手紙を書く女と召使」、「紳士とワインを飲む女」が展示されている。

   8点の中では、右端の「マリアとマルタの家のキリスト」が一番大きく(160×142p)、中央近くの「取り持ち女」が次に大きい(143×130p)くらいで、あとは40〜50p四方の大きさである。

   フェルメール展を見に行く前に2冊の本、朽木ゆり子著 「消えたフェルメール」(集英社インターナショナル新書)と小林頼子著 「フェルメール作品と生涯」(角川ソフィア文庫)を読んで出掛けたので、幾許かの知識を得ることができた。

<小林頼子著「フェルメール 作品と生涯」(左)と 朽木より子著「消えたフェルメール」(右)>
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   いまフェルメールの作品がなぜ世界中で愛され、ブームのようになっているのだろうか?先ず挙げられる理由は作品数が少ないことである。その作品数も専門家によって32枚から37枚の間で意見が分かれている。

   また、数が少ないだけにブランド性が高く1点の値段が数十億になることも珍しくないため、贋作事件や盗難事件も数多く起きている。今回展示されている作品の中でも「手紙を書く女と召使」はアイルランドの同じ邸宅から二度も盗まれたが、二度とも戻ってきた。今回は期間限定の展示であったため見ることができなかった「赤い帽子の女」は小林頼子氏は後世の模作ではないかと書いている。1990年にボストンの美術館から盗まれたレンブラントの「ガリラヤの海の嵐」と一緒に盗まれたフェルメールの「合奏」は29年経った今も行方が分からない。

   今回展示された8点のうち、「マリアとマルタの家のキリスト」と「取り持ち女」、そしてそれ以外の作品との間には明らかに違いが見て取れる。そこには物語画家(宗教や神話などの物語を主題とする絵画を描く画家)としてスタートしたフェルメールが、「取り持ち女」以降専ら風俗画家(当時のオランダ市民の日常を描く画家)に転身したことがある。その背景には当時のオランダの政治的な変化、すなわち絵画のスポンサーが貴族から市民に変わったことが最大の影響力として存在する。そして、その変化は絵の主題だけではなく絵の描き方も変えて行くのである。

   フェルメールの描いた風俗画は17世紀のオランダの市民の日常生活であり、人物も一人ないしは二人であり、鑑賞のために特別な神話や宗教の知識は必要としない点も人気のひとつかも知れない。画面の構成にしても、独特の光と影の描写や色彩の選択なども、よく見るにつれて緻密に計算されていることが伝わってくる。解説書を読むと、フェルメールは一度描いた絵を自分が納得の行くまで手許に置いて何度でも修正する完全主義者であったという。

   僕は今回の8点のなかでは、やはり一番好きな絵は「牛乳を注ぐ女」だ。題材、構図、光と色彩の描写などのすべてが、この絵全体から静謐さや透明感を感じさせることに成功しているからだと思う。
   今回の展示作品には入っていないが、「真珠の耳飾りの女」(1665−66年)、「天秤を持つ女」(1662−65年)、「天文学者」(1668年)、「地理学者」(1669年)、「少女」(1668−69年)、「小路」(1658−59年)、「デルフト眺望」(1659−60年)なども見てみたい作品だ。

  
posted by ぼたん園々主 at 00:06| Comment(0) | 日記