2019年03月18日

松本方哉著「突然、妻が倒れたら」を読んで

  今日は平成31年3月18日(月)、時間は午後20時45分です。

  今日で妻が入院してから2か月と2日が経った。殆ど毎日午後14時から16時までの2時間に限られている面会時間に病院に行っている。1月16日に入院するまでの4か月余りは、一時期は殆ど何も食べられず、かつ飲めなくなった時期もあり本当に困った。毎週金曜日の夜になると、土日に何かあったらどうしよう、月曜まで生きていられるだろうかと不安になった。一度は止む無く、我が人生で初めて救急車を呼んだこともあった。
  
  今は、妻は不味いと言いながらも病院で出される食事を食べているようだ。「ようだ」というのは面会時間が毎日午後の2時間に限られているから食事をするところを見られないからだ。入院前よりは少しは落ち着いたように感じられるが、相変わらず口にする言葉は後ろ向きな言葉ばかりだ。「病は気から」というが、「回復も気から」だと思う。前向きな言葉が聞けるようになれば安心なのだが。

  ところで、先日新百合ヶ丘駅まで出たついでに駅前のOPAビルにあるBOOK OFFに寄ってみた。文庫本のコーナーで目に止まったのが、この記事のタイトルの本である。
  松本方哉(まつもと まさや)氏はフジテレビ解説委員・キャスターである。表紙には同氏の写真が載っているが、思い出した。そういえば何年か前まで滝川クリステルと一緒にニュースアンカーを務めていたことを思い出した。

<「突然、妻が倒れたら」 松本方哉著  新潮文庫>
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  2007年11月22日(木)の夕刻、51歳の夫と46歳の妻、そして10歳(小学校5年)の息子の3人の平和な家族に突然の「運命の一撃」(筆者の言葉)が降りかかる。

  自宅の仕事部屋兼寝室で、アンカーを務めていた番組の準備をしていた夫のところに、ふらふらと入ってきた妻が呂律の回らない言葉で「首の後ろが痛いから眠る」と言ったままベッドに倒れ込んでしまう。あわてて救急車を呼び、ストレッチャーに乗せられ呻いている妻に付き添い、そのとき自宅にいた息子とともに救急車に乗る。ところが救急車はなかなか走り出さない。受け入れてくれる病院が見つからないのだ。筆者は怒りを込めて書く。あの日受け入れを拒否した、医大病院を含む六つの病院の院長に尋ねたい。「なぜ、あなた方とあなた方のご大層な病院は私の妻を拒んだのか?」と。
 
  一方で、ようやく受け入れてくれた「私にはまったくなじみのない名前」の病院、「碑文谷病院」で幸運にも、その夜脳外科医が四人も揃っていて院長を始め文字通り手を尽くしてくれたからこそ、妻は命が助かったのだ、と筆者は述懐している。

  診断名は「くも膜下出血」。脳のくも膜の下の血管が破裂して出血し、脳全体を血液が覆ってしまう状態で、今回のように血腫を作ってしまうこともある。最初の発症時に四分の一余りが死亡し、辛くも死ななかったとしても、すぐ後には血管攣縮(れんしゅく、血腫の影響で脳の動脈が縮んでしまい、最悪の場合血流が途絶える。くも膜下出血の3〜4割で起こる)と水頭症(脳が浮かんでいる脳脊髄液の流れが悪くなり、脳の中に過剰な脳脊髄液が溜まってしまう)という二つの危険が待ち受けていて、これをクリアできずに死亡することもあり、クリアできても身体に重い障害を負うことが多い。そして、後になって妻の場合は「高次脳機能障害」であることを知る。具体的には、注意力や集中力が低下したり、麻痺を負った側(この場合は左側)の空間を認識できなくなるなど、さまざまな行動上の困難が生じる。

  入院から2週間後、更なる試練がやってくる。脳内の患部の爾後を確認するために足のつけ根からカテーテルを挿入して脳まで到達させ、そこで造影剤を注入し直接患部の血管を診る検査である。その結果分かったことは、手術の時に動脈瘤のこぶに詰めたコイルが、縮んでしまい血液がこぶの中に流れ込み、再び破裂が起こり得る状態であることが判明する。これを避けるためには、コイルを詰め直す必要がある。再手術が必要だということだ。

  入院から25日目、この再手術も何とか乗り越えるも次なる転機が迫ってくる。もちろんその間も最初の手術後の直後から、担当の理学療法士の指導により家族も協力してリハビリが続けられている。

  現在の健康保険法では、病を発症した当初に急性期の病院にいられるのは最大で1か月程度となる。それを超すと、病院が受ける診療報酬がマイナスに転じてしまうため、患者は回復期医療の病院への転院を余儀なくされるのである。この法制度は質の高い医療を迅速に効率的に提供するメリットがある、という建前だ。

  筆者は書く。「私は「効率的」という言葉ほど「胡散臭い」言葉はないと思う。医業はいつから「算術」になってしまったのか。「医は仁術」という言葉を、こうした「効率」をうんぬんする厚生省の官僚の机に一枚一枚貼って、毎朝100回お題目として唱えさせたいくらいだ。この制度下では、患者の家族は苦しい淵にある患者を必死で介護しながら、同時に次に患者を移す病院を考える離れ業を要求されるのだ。そんな時間はないに等しい。この段階では、患者にはケアマネジャーのような人もいないことがほとんどなのだ。幸い、妻の入った病院は、病院事務の方々などが私達家族の先行きを親身に考えて、アドバイスして下さったから助かった。それでも私は、妻の介護の合間に時間を作り、子どもと二人で三か所ほどの病院を歩いて回り、次の病院を決めた。その経験からも、診療報酬で病院を脅し、患者を犠牲にしてでも「効率」を追求するような制度は、即刻変えるべきだと思う。」

  年が明けて2008年1月、1か月以上を過ごした碑文谷病院から、やっとのことで見つけたリハビリ専門病院である渋谷の初台リハビリテーション病院に転院する。ここは、回復期にある患者にリハビリを行うために作られた病院であり、早速に「リハビリ医療」が開始される。作業療法士(Occupational herapist:OP)、理学療法士(Physical Therapist:PT)、言語聴覚士(Speech-Language-Hearing Therapist:ST)、の他にナースも、ケアワーカー(介護福祉士)、管理栄養士、薬剤師がチームとなって、医師の指導の下で、患者のリハビリに取り組んで行く。と同時に家族も患者が自宅に戻ってからの生活に向けて患者と共にリハビリと介護について指導と訓練を受けてゆく。

  筆者はこの初台リハビリテーション病院について、この病院を選んだ理由として、自ら夜中にネットで調べた中で唯一参考にした情報として「帰宅率」(病院から歩いて退院する患者の割合)を挙げている。この病院が公表しているデータ(平成18年1月から12月まで)では76.4%の患者の退院先が自宅となっている。この回復率を可能にしているのは、職員の若さと「情熱」だと書いている。

  さらには、この「情熱」こそが、いまの日本社会に欠けているものであり、その欠如がいまの日本を駄目にしている大きな要素ではないか。「冷めた国」日本。儲かればよい。偉くなってしまえばよい。ばれなければ何をやってもよい。そうした愚かな考えが、日本の未来を暗くしている。組織が優秀かどうかは、「成果があがっているか」ではなく、「情熱のほとばしりをその組織から感じられるかどうか」にあるように思う。この病院からは、情熱のほとばしりが強く感じられた。妻の貴重な三か月を預けるのに相応しいと、何度も思った。と続ける。

  そして、2008年4月の、そろそろ桜が終わろうとしているころに、初台リハビリテーション病院から帰宅する。帰宅したばかりの夫婦を襲ったのは、心無い遠慮会釈のない視線やレストランの応対だった。もちろん、そうした輩ばかりではなく、近所の住人や近くの花屋ではやさしい言葉をかけられたりもする。

 また、24時間誰かが付き添っていることが必要不可欠な状態を、仕事を持つ夫と小学生の子どもの二人だけで見なければならず、昼間は夫が家にいて妻を見て、子どもが帰宅したらバトンタッチして子どもが妻を見て、夫が働きに行くという生活を続けるしかなかった、という。介護保険については詳しいことが書かれていないが、入院中に要介護の認定を申請したのだろう。それでも、保険を使って妻を見てもらえるのは日に二時間が限度だった。介護保険制度の矛盾や役所の通り一遍の対応についても具体的な疑問を提示している。

  一家には、その後も2009年の3月初めにくも膜下出血の発症前から他の病院で指摘されていた卵巣膿腫の悪性転化や薬による壮絶な治療や後遺症と戦わなければならなかった。それでも親子三人、訪問看護の医師や看護士、リハビリのための作業療法士、理学療法士、ナースやヘルパーに助けられながらも、協力し合って果敢に戦った。

そして、今も夫は日々戦いながら「医療と介護」の現場に触れて学んだ経験を社会に返して行きたいという思いから、頼まれて講演活動を続けている。講演を通して超高齢化社会を目前にして、その備えや覚悟が感じられない今の社会に対して、相変わらず街で実際に体験した障害者に対する心ない対応や制度の欠陥に関して警鐘を発信している。

  この本を読んで、率直な感想は「人間の運命とは、かくもはかなく脆いものなのか」ということ、そして他人の痛みは自分も実際に体験してみなければ、決して分からないということを痛感した。今回のようなことが無ければ、僕はこのような本を読むこともなかっただろうし、自分に降りかかった不幸を恨んで神に毒づいていたかもしれない。そして世の中には、自分の不幸よりももっともっと不幸な境遇に置かれた人々がいることを深く考えることはなかっただろうと思う。

  このまま平穏無事な人生を過ごしていたなら、言葉だけではなく、本当に他人の痛みを自分の痛みと同じに感じることができない人間で一生を終わっていたかも知れない。そう考えると、病気や不幸は人間の成長にとって決して無駄なことではないと思うし、神に感謝したいという気持ちになる。

  それと、人生にはやはりパートナーが必要だと思った。それも、夫婦というパートナーが最も重要だ。今回のように妻が突然倒れた場合、あるいは逆に夫が突然倒れた場合、最も頼りになるのはパートナーである。

  今回は、たまたま妻が具合が悪くなったが、これが自分自身である可能性の方が高いのが自然である。お互い様なのである。例外はあるかも知れないが、親はもちろんのこと、兄弟姉妹、子どもも所帯を持っていれば決して頼りにはならないし、また頼りにすべきではないと思う。その点、夫婦は運命共同体である。そうではない夫婦もあるかも知れないが、それは問題外である。日頃はお互いに空気のような存在であっても、いざとなれば頼りにできるのはパートナーしかいないのである。

  特に歳を取ってくるとその重要性は殊更に増してくる。若いうちは病気や事故で入院しても誰彼となく気にかけて心配してくれる人もいるだろうが、世間には、年寄りが入院してもすぐに忘れ去られるのがオチである。いくら同情してくれることはあっても、他人にとっては他人の痛みは他人事なのである。たとえ家族であっても、夫々大事な家族を抱えているのであって、最後は決して頼りにできるものではないし宛てにすべきではないのである。

  人生に、不幸な出来事はないに越したことはないが、誰でも必ず何度かは大きな不幸に巡り合う。そんな時に、愛する人がいれば、それが夫婦であり、恋人であれば、そしてその愛が本物であれば、どんな苦難にも耐えられる。むしろ苦難を乗り越えることによって愛はさらに深まる。人を愛することによって、初めて人間は強くなれるし、成長できることを確信した。        了
posted by ぼたん園々主 at 23:52| Comment(0) | 日記