2019年05月31日

令和元年5月31日(金)、今朝の牡丹開花情報

  現在、令和元年5月31日午前10時40分です。

  昨日、30日午後と、31日今朝の牡丹の開花状況を写真でお知らせします。今週末から来週末にかけてぐらいが満開となりそうです。残念なことにスマホ撮りでもあり、なかなか本物の牡丹の花の気品までは表現できません。そして、やはり午前中(できれば早朝)が見頃です。

<5月30日 8:36撮影。 写真の上を左クリックすると拡大できます。以下同じ>
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<5月30日 14:49>
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<5月30日 14:49>
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<5月30日 14:56>
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<5月31日 10:13>
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<5月31日 10:15 手前、左右に咲いているのは九輪草。>
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<5月31日 10:16>
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<5月31日 10:17>
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<5月31日 10:17>
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posted by ぼたん園々主 at 11:15| Comment(0) | 日記

2019年05月29日

令和元年、牡丹の開花状況について

  令和元年5月29日(水)12時、この記事を書いています。今日は、昨日までとは打って変わって明け方から静かに雨が降って、気温も13℃と寒いくらいです。(室内は暖房しています)

  5月23日(木)から咲き始め、5月26日(日)、27日(月)と、連日38℃を超える猛暑(酷暑?)が続いたため、現在2割ほどの牡丹が咲いています。例年と比べて1週間以上早い開花です。牡丹の花は特に暑さと雨に弱いので、このままの気温が続くと5月のうちに満開を迎え、6月初めには終わってしまうのではないかとさえ思いました。

  しかし、今日はこのような天気、気温なので今後の予想が難しい状態です。スマホの天気予報では明日からの天気は曇りが多く雨もあるようで、気温は23℃〜25℃と、微妙に例年の開花状況に戻りつつあるような気もします。ただ、せっかく咲いても雨続きでは綺麗な花は長続きしません。

<咲き始めた牡丹(令和元年5月27日 10:15撮影)>
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<創立記念碑と牡丹(令和元年5月27日 10:27撮影)>
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<蓮華つつじ(令和元年5月23日 11:16撮影)>
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<連日の猛暑と芝生の様子(令和元年5月25日 11:36撮影)>
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  昨日28日(火)午後、北海道新聞の記者の方から電話があり、カメラマンの方と牡丹の取材に見えました。今日29日(水)午前、先ほど近くのローソンで朝刊を購入してきました。

<北海道新聞、令和元年5月29日 朝刊の記事。写真を左クリックすると拡大されます>
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posted by ぼたん園々主 at 14:37| Comment(0) | 日記

2019年05月14日

103歳になってわかったこと

  新百合ヶ丘駅で友人と待ち合わせをして、大分早目に着いてしまったのでいつものように本屋に寄って目に止まった本をパラパラと捲ってみた。以前、北見のコーチャンフォーでも気になっていた、1913年(大正2年)生まれの篠田桃紅という女性美術家が書いたエッセイである。文庫本で200ページほどの本だから半日で読める分量である。

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  本の題名は「103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」で、初版は平成29年となっている。「墨を用いた抽象表現者として世界に広く知られており、数えで107歳となった今も第一線で制作している。その作品は大英博物館、メトロポリタン美術館をはじめ、世界の美術館に収蔵されている」と紹介されている。
  読み進んで行くと、映画監督の篠田正弘は従弟に当たると書かれている。この本のなかで、特に印象に残った部分と僕の感想を書く。

第一章 103歳になってわかったこと
  「自分には死生観はない」と言い切っている。「人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。現に、私に何か考えがあってうまれたわけではありませんし、私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。」
  また、「死んだ後の魂についても、さまざまな議論がありますが、生きているうちは、確かなことはわかりません。人の領域ではないことに、想いをめぐらせても真理に近づくことはできません。それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。」とも。

  毎年4月下旬から11月初旬まで、およそ半年を北海道の自然のなかで過ごしていると本当に「自然のはからい」を身近に感じることが多い。この世の全ての生きとし生けるものは、自然の大きな「はからい」によって生かされていることを感じ、人間もまたそのなかのone of themに過ぎないことを実感できる。

  ただし、「自然のはからい」は著者の言うように、人の知能の外、ひとの領域の外にあって、人間にとって好ましいこともあれば、過酷な現実である場合もある。人間にできることは、そのような「自然のはからい」のなかで考え、迷い、努力し、最後は己の判断を信じて、できることを実行することしかない。

  僕にはまだ、「一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけ」という心境に達することはできそうもない。毎日、迷うことばかりで、とても自然体で生きて行けそうもない。100歳になったら、少しはそういう心境になれるのだろうか?

  「今の私は、自分の意に染まないことはしないようにしています。無理はしません。今日、明日のことでしたら、まだ生きているだろうと思うので、お約束しますが、あまり先のお日にちでの約束事はしません。」

  この気持ちは、よく分かるなあ。若いころから頭で考えていることと口から発する言葉が違う人は信用ができないと思ってきた。自分自身も自分の気持ち、心に正直に生きたいと思って生きてきた。歳を取ってきたらますます、その感が強くなってきた。不器用なんだな。

  無理はしたくない。自分の心と違う言葉を口にすることほど、嘘をつくことと同様に心の負担になるし、疲れることはない。できれば、いつもありのままの自分に正直でいたい。そのことで他人に誤解されるようなことも多いが、自分を偽るよりはずっといい。僕もあまり先の約束はなるべくしないようにしている。だから、ゴルフも止めたし、山歩きもごくごく気心の知れた友人との約束しかしないようにしている。

  「自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。」
  
  僕も今は自らに由って生きていると思っている。家族には迷惑をかけているかも知れないが、半年は北海道で好きなことをやらせて貰っているし・・・・・。
  その意味で孤独で寂しいと思ったことはないが、だからといって人間は孤独で寂しい存在ではない、とは思えない。人間は生まれてから死ぬまで、ずっと孤独で寂しい存在だと思っている。だいじなことは、その寂しさにどう向きあうのかということだと思う。

  著者は生涯、一人身で家庭を持たず、どこの美術団体にも所属せず、なにかへの責任や義理はなく、ただ気楽に生きている、と書いているが、確かに最初から家族もなく自分一人であれば、他人(特に家族)に対す責任も義務もなく気楽ではあろう。

  しかし、以前「孤独」について書いたように、僕は人間は、愛する人(人と限らない場合もある)がいて初めて孤独から解放されると思っている。愛する対象が自分自身しかないという状態は、やっぱり「寂しい」と思う。フロムが言うように、「愛されること」ではなく、「愛すること」ができる対象があって、初めて人間は孤独から解放されると思う。だから、僕にとっては最も孤独を感じるとすれば、それは愛する対象を失ったときだろうと思う。正確にいえば、孤独と寂しいは違う。だけど、「愛すること」ができる対象を失うことは孤独であり、そして寂しいことだと思う。

  歳をとって失っていくものもあるが、得るものもまったくないわけではない、という。それは、自分というものの限界を知り、歳をとったらもう得られないものと、歳をとったことで初めて得られたもの、それらを達観して見ることができるようになったことだ、という。

  「人にはできることと、できないことがあることを思い知ります。そしてやがて悟りを得た心境に至ります。それは、できなくて悲しいというよりもあきらめることを知ります。ここまで生きてこれだけのことをした。まあ、いいと思いましょうと、自らに区切りをつけなくてはならないことを、次第に悟るのです。老いるということは、天へと続く、悟りの階段を上がっていくことなのかもしれません。」
  
  僕も、確かに若いころにはできていたことができなくなっていることは幾つかある。しかし、まだまだ努力次第で回復ができないわけではないと思っているし、気力は若いころよりもむしろ上がっているように感じる時もある。あきらめや達観、悟りはもう少し先のことでいいと思っている。

  「気楽なものと頼れるもの」と題して、人間というものは、常になにかを頼りにして生きたい生き物で、なんの不安もなく生きている人はいないが、生きているうちにいろいろな経験を積んで、少しは自信をつけているから、生きていられる、という。そして、この世には全面的に頼れるものなんてない、と書く。

  「個人というものはどんなことがあっても、個人。家族も友人も、他人です。自と他の区別があります。人という生き物の宿命で、一人で生まれて、一人で生きて、一人で死んでいきます。」
  「なによりも、人は自然の産物です。自然のなかの生き物の一種です。人は、驕り高ぶる生き物なので、自然を征服してきたつもりになっているかもしれませんが、風を止めることもできない、雨を降らせることもできない、天地自然に対して無力です。むしろ、自然のほうが、人間どもに少しかじられたけれど、このくらいなら許してあげようぐらいに思っているかもしれません。自然物には莫大な種類があります。人は動物の一種、うさぎや亀などと同じ一種。自然の産物として生まれただけ、そう思えば気楽なものです。」
  
  ここでは、著者の人間観、自然観が披瀝されている。僕もまったく同感である。この世で最期まで頼りになるのは自分自身、ただ一人である。人間は自然の一産物に過ぎないと思っていた方がよい。人間だけが特別なのだと思うことは、驕りであり独りよがりに過ぎないと思う。ただ、僕はもしも、人が一人ではないとすれば、それは自分が心から愛することができるもう一人の人(一人とは限らず、人でなくても構わないとは思う。そういう人や存在があればではあるが)でしかないと思っている。

第二章 何歳からでも始められる
  103歳の著者が、自らの経験をとおして伝えようとする言葉には、それなりに説得力がある。参考にはなるかも知れないので記しておく。

〇なんでも言っておく、伝えておく
   老いたら老いたで、まだなにができるかを考える。長生きするほどに、この世の中と隔たるけれど。
   ⇒僕は、少なくとも頭脳さえしっかりしていれば大抵のことは幾つになってもできると思う。

〇(人に)頼らずに、自分の目で見る
   自分の目でみれば、新しい発見、新しい喜びがある。この絵はなにを表しているか、その答えは人それ  ぞれ。
   ⇒人は自分自身の頭脳をよく働かせている限りは、死ぬまで瑞々しい感性を保つことができると思う。

〇いつでも面白がる
   新しいものに 接するときは、うぶなままでいたい。感動する気持ちがあれば、この世は楽しい。
   ⇒年齢に関係なく好奇心を持ち続ける。

〇なにかに夢中になる
   夢中になれるものが 見つかれば、人は生きていて救われる。頭で納得しよう、割り切ろうとするのは  思い上がり。
   ⇒自分の心を解き放つことができれば、必ず夢中になれるものは見つけられる。
〇やっておきたいと思うことは、どんどんやる
   人には柔軟性がある。これしかできないと、決めつけない。完璧にできなくたっていい。人生の愉しみ  は無尽蔵。
   ⇒柔らかな頭脳、そして心。

〇誰もやらないときに、やったことが大事
   受け入れられるか、認められるかよりも行動したことに意義がある。人の成功を見届けてからの、あと  出しじゃんけんではつまらない。
   ⇒自由な発想と他人のやらないことをやる勇気。

〇規則正しい毎日から自分を解放する
   予定や目標にとらわれると、ほかが見えなくなる。ときには、その日の風まかせにする。自分に規律は  課さないし、外からも課せられない。
   ⇒ときには「ゆとり」や「遊び」も大事。

〇真実は伝えられない
   真実は見えたり聞こえたりするものではなく、感じる心にある。察することで、真実に近づける。
   ⇒確かに、真実は文字にしても、言葉にしても伝えられない場合が多い。特にSNSやメールでは人の   心や感情の機微は伝えられないし、誤解されることのほうが多い。

〇1+1が10になる生き方
   なんとなく過ごす。なんとなくお金を遣う。無駄には、次のなにかが兆している。必要なものだけを   買っていても、お金は生きてこない。
   ⇒人生には無駄や遠回りも、ときには失敗も必要。

〇自分の心が、ほどほどを決める
   幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある。いいことづくめの人はいな   い、一生もない。
   ⇒ほどほどがちょうどいい。

第三章 自分の心のままに生きる
  著者は、10代、20代を日中戦争、第二次世界大戦と戦争の時代に青春時代を過ごしている。当時の女性は家制度に縛られ、自分の納得のゆく相手との結婚は難しく、同世代の男性は戦争に駆り出されていて意に染まる相手には出合えなかった時代である。でも、常に心は自由を求めて心の求めるところに従い、自立した人生を送っていく。
  
  書の道を進むに従い、文字の決まりごとから離れて自由になりたい、新しいかたちを生み出したいと希うようになり、墨による抽象表現という、自分の心のままを表現する、新しい分野を拓く。その作品は、ニューヨークで評価されることになり、1956年(昭和31年)に渡米する。
  
  ニューヨークは、世界中からさまざまな人種、文化、習慣を持つ人々が集まっているから、お互いに違いを認め合わなければやっていけないし、むしろお互いに違いを楽しんでいるようなところがある。彼女には毎日がわくわくするような日々だったに違いない。
  
  僕も50代初めの頃に研修という名目ではあったが、会社の費用でロサンゼルスからニューヨークまで10日間ほどの研修旅行(見分を広めるという意味において)に参加させてもらったことがあるが、ニューヨークが一番活気があり面白かった。いまさら悔やんでも仕方がないが、若いうちにもっと自由な世界で視野を広げていればもっともっと自分自身の感性を磨くことができただろうと思っている。今からでもまだ遅くはないかも知れない。いろいろな所へ出掛けて多様な人間、思考、文化、宗教、習慣を、見て聞いて、体感したいと思う。

  これからの若い人たち、子供たち、とくに孫たちには、是非とも海外の生活も体験して欲しいと願う。少なくとも、歳をとってから悔やむことのないように。広い視野と、心の広さを持った人間に成長して貰いたいと思う。

第四章 昔も今も生かされている
〇よき友は、自分の中で生きている
志ある友は、友であることが誇らしい気持ちになる。物くれる友は、やはりありがたいけれど。
⇒よき友とは、窮地に陥ったときにも変わらずに近くに居続けてくれる友のことだと思う。

〇物は思い出の水先人
懐かしい人との時間は、鮮明に生き続けている。思い出の物が、昔と今をつなげる。
⇒僕は残念ながら、思い出につながるような物は母の形見以外に持ち合わせていない。  

〇悩み苦しむ心を救った日本の文学
身を挺して、悩み苦しみを書き著した天才・芥川と太宰。人はどう生きるべきか、永遠のテーマで正解はない。
⇒北見の住宅に、誰が購入したのか、誰が読んだのか分からないが、「芥川龍之介全集」全12巻 岩波書店がある。それ以外にも多くの文学全集、古事記、万葉集、源氏物語などの古典全集、哲学全集、そして美術全集などが遺産として残されている。残された時間でとても読み切れる量ではないが、チャレンジしたいと思っている。

〇どうして傲慢になれましょうか
運命の前では、いかなる人も無力。だから、いつも謙虚でいる。どんなに愛する人でも、いつ奪われるかわからない。
⇒覚悟はできているか?自然とはそういうものと受け入れること。

〇生かしていただいている
時宜に適って、人は人に巡り合い、金の言葉に出会う。医者の「治りますよ」で、私は死病から生還した。
⇒人との巡り合いは大事にしたい。他人との巡り合いが人生を変える。人との巡り合いを大切にしない人は決して幸せな人生を送れない。僕にも命の恩人がいる。感謝を忘れないようにしたい。

〇争いごとを避けて、風流に生きた父
親子といえども、伝ええぬこともあったのではと想像する。いつの世も、人は時代の子。
⇒父との思い出がない僕にとって、今の時代に父親の役割とは何なのか迷うばかりだ。ただひとつ明確なことは、いつの時代であっても父親の役割は家族を守るということであることに変わりはない。

〇全人類が価値を認めて愛するもの
未来永劫、全人類にとって、ありがたい、母という存在。行きたい道をゆきなさい、といってくれた私の母。
⇒「ありがたい」としか言いようのない存在。この世には、母という女性ほど強くて、男が尊敬しなければならない存在はない。

〇自分が立ちうる場所に感謝する
人生は山あり谷あり。ようやく平地を得たとき、感謝して大事にする。どんな斜面にも、つかのま安心できる場所がある。
⇒「わが立つそま」(そま=杣とは、滑り落ちそうな山の斜面にある、ほんの少し平らになった場所の意味)。なかなか含蓄のある、いい言葉だと思う。「わが立つそま」のある人は幸せだし、大事にすべきだと思う。

〇唯我独尊に生きる
自分の心が一番尊い、と信じて、自分一人の生き方をする。着物の文化、日本の文化は、末端のほうから途絶えている。
⇒他人や周りの環境に左右されない、自分自身の信念を持って生きる。他人は他人、自分は自分。

  最後に、蛇足ながら副題の「人生は一人でも面白い」は編集者が考えたのだろうと思うが、僕は個人的には「人生は二人ならもっと面白い」と思う。
  
  
posted by ぼたん園々主 at 23:10| Comment(0) | 日記