2019年06月19日

ふたたび孤独について

  最近、本屋の店頭には孤独に関する新書が目立つ。いろいろと読んでみたが、大体は孤独こそ自己の内面に深く向き合うことで真に豊かな人生を送れる、と言うのが結論になっているものが多いように思う。あたかも、孤独を礼賛するようなものもある。

  本当にそうだろうか?確かに孤独(自分一人)の状態にあることは、他人から邪魔されることなく、他人の評価や承認を求めようとする必要もなく、より深く自己を見つめることができる。自分は本当は何がしたいのか、したくないのか?何をすべきなのか、すべきではないのか?どんな人間になりたいのか、なりたくないのか?自分にとって、一番大事なことは何なのか?等々、ゆっくり静かに考えることができる。

  孤独には三つの様相があるとするものもある。(「孤独の達人」 諸富祥彦著 PHP新書)
  一つは、パートナーがいない、友達がいない、といった社会的孤立。あるいは、配偶者や恋人、家族を失うという喪失感。自分で選んだわけではなく、否応なくそのような状態に追いやられてしまった「非選択的な孤独」ともいえる孤独。ただひたすら寂しい、喪失と絶望にうちひしがれた孤独である。

  二つ目は、普段、仕事仲間や家族(配偶者を含め)や友人、恋人などとの人間関係に縛られ、心身ともに疲れた人が、自分を解き放って自由と解放を獲得する、自分から主体的に選択する「選択的孤独」。

  三つ目は、世の中の喧騒から離れて徹底的に孤独に徹し、一人黙して自己の内面深くに沈潜する「実存的な深い孤独」。自己と向き合い、自己と対話する時間がなくては、人間としての真の成長はない。また、創造的なこと(思想、芸術、科学的な発見など)は、孤独な作業からしか生まれないし、深い孤独を知った人間は、表面的なつながりは避けて少数の人との深く、親密な関係でしか満たされなくなる。

  僕は、人間は本来孤独なものだと思っている。誰でも、少なくとも生まれてくるときと、死ぬときは一人である。友達や、配偶者や恋人、家族、にも行き違いはあるし、いつかは別れのときもくる。その意味では誰しも「非選択的な孤独」な存在であることは仕方のないことだと思う。寂しい存在なのだと思う。

  そのことを認めたうえで、では、その孤独に自分はどう向きあうのか、孤独で寂しいから友達や恋人を求めて彷徨うのか、配偶者や家族に救いを求めるのか、はたまた、最近はLINEやFACEBOOKのような手段で不特定多数の人と繋がろうとするのか・・・・・。なんとも、余計に寂しくなるだけのような気がする。そのような関係(お互いに一人では寂しいから、という関係)は長続きはしない。

  かといって、人間関係に疲れたから孤独になりたいというのも誰にでもあることだが、これとて寂しいことには変わりないと思う。いくら自分を解き放って自由だといっても、永遠に孤独が続くことには耐えられないだろう。特に、大きな挫折を経験したり、自分でも年老いたと感じるときには、仕方がないと諦めるか、誰かに慰めて欲しいとか、そばにいて欲しいとか思うのが人間だ。

  ましてや、積極的に孤独であることを選択し孤独に徹することは、確かに何か創造的な仕事を成し遂げるときには必要なものかも知れないが、四六時中孤独に徹することなど普通の人間にできることなのだろうか。  普通の人間は、一つ目の「非選択的な孤独」に常に留まっているか、時々二つ目の「選択的な孤独」と、稀には三つ目の「実存的な深い孤独」の間を往ったり来たりしているのではないだろうか。

  例えば、偶然なことから出会った女性(男性)にひと目惚れしたとしよう。自分の人生で二度と巡り合うことはないと思えるほどの、自分にとって理想の女性(男性)だと思い、誠実に自分の思いを告白し、相手もそれなりに好意を見せてくれていた(と思っていた)とする。しかし、それから暫くして、ある日突然、自分としては納得のいかない理由で(あるいは、理由さえも告げずに)付き合いを拒否される。

  思いが深ければ深いほど、心は傷つき、なかなか立ち直ることさえできない。孤独で寂しいときを耐えなければならない。「非選択的な孤独」である。とてもとても、「選択的な孤独」や「実存的な深い孤独」の心境にはなれない。僕は、それが人間というものだと思う。

  最近は、世の中が昔と比べると、まだまだ欧米には及ばないにしても、多様性を容認するようになったからか、あるいは、よりストレスフルになっているからか、恋愛をしない若者が増えているそうだ。また、生涯結婚せずに独身で過ごす人や、結婚しても数年で別れる人、最近は20年も30年も連れ添ったにもかかわらず離婚する、いわゆる中年、熟年離婚も増えている。
  それは、人々の考え方がより自由になったからでもあり、必ずしもネガテイブなことではない。ただし、恋愛や結婚をリスクと考えて臆病になるか、あるいは逃避的になっているとすれば、それはつまらない人生を送ることになることだと思う。

  僕は、この世には「愛すること」ほど素晴らしいことはないと信じている。幾つになっても、それは最高の幸せであると思う。ただし、「愛すること」には覚悟と忍耐と勇気が必要不可欠だ。時には大きな犠牲が必要なこともある。

  自ら孤独を求めて心の安らぎを得ることも、孤独に徹することで自分自身を深く見つめることも、ときには必要なことであることは間違いない。しかし、人であれ、自然であれ、他の何かであれ、「愛すること」ほど心ときめき、心安らぐことはない。だから、僕はもし人間が孤独や寂しさから解放されることがあるとすれば、それは唯一「愛すること」でしかないと信じている。

posted by ぼたん園々主 at 01:41| Comment(0) | 日記