2019年12月21日

Vincent van Gogh 展

  令和元年12月21日(土)16:30。窓からは、今にも冷たい雨が降ってきそうな黒灰色の空と、ゴルフ場の照明灯が枯草色の芝生を煌々と照らしているのが見える。今日は、朝から8℃前後の気温が続いていて、これから夜にかけて冷え込み、最低気温は3℃の見込みだ。明日は雨の予報で、山沿いでは雪が降るとの予想だ。

  昨日は、午前中に上野の森美術館で開催されている「ゴッホ展」を見てきた。10月11日(金)から来年1月13日(月)まで上野の森美術館で開催され、来年1月25日から3月29日までは兵庫県立美術館(神戸市)に巡回開催されることになっている。

  今年の2月1日(金)、すなはち平成31年2月1日には、同じ上野の森美術館にて開催された「フェルメール展」を見に行っているので、今年は「フェルメール」と「ゴッホ」を同じ美術館で続けて見ることになった。

  午前10時に家を出て、11時半ごろに美術館に着く。「フェルメール」のときのように並ぶこともなく、スムーズに入場券を購入して、館内に入ることができた。ところが、館内は「フェルメール」ほどではないにしても結構混んでいて、やはり人ごみの後ろから絵を見るか、のろのろと人の流れに従ってゆっくりしか進めない。

  この日は、午後2時半までには新百合ヶ丘駅に戻らなければならない約束があるため、途中からは「ハーグ派」と「印象派」のゴッホ以外の作品はサッと見る程度にして、最後の部屋に集中して展示されているゴッホの作品を重点的に見ることにした。

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  フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜90年)は、37年の短い生涯のうち、画家として活動したのは27歳からのわずか10年に過ぎない。しかし、その10年のあいだに約850点もの油彩画と、素描(デッサン)約1000点を残している。

  今回の「ゴッホ展」では、傑作「糸杉」、「薔薇」をはじめ、初期から晩年まで、世界10か国27か所から重要作品約40点が集結され、ゴッホの画風に大きな影響を与えたオランダのハーグ派とフランスの印象派を代表する画家の作品約30点とともに展示される。

  僕は、これまでゴッホの作品は「ひまわり」しか見たことがない。「ひまわり」は、1987年(昭和62年)に当時の安田火災(現損保ジャパン日本興亜)が53億円で購入し、新宿本社の42階にあった「東郷青児美術館」に展示された。当時、僕は同じビルの32階に勤務していたので、その頃に何回か見に行く機会があった。

  そのときは、ゴッホについてほとんど知識もなく、「これが53億円か」と思った程度で、それほど感動した記憶はない。でも、今回は素直に「いいな!」と思った。なによりも、一途な気持ちがそのままストレートに伝わってくるところが、いいなと思う。一人の男がその不器用で一途な性格の故、社会には馴染めずたったひとつ残された「画家として生きる」ことに己の生命をかけ、凄まじいまでの執念をその作品の中に残している。それが見る者に伝わってくる。

  それと同時に、できればこれから自分も絵を描いてみたいなと思った。これほどに、ひとつのことに没頭できることが羨ましいと思った。これからの自分に、そのような機会があるのかどうか分からないけれど、永年の夢でもある、チェロを弾くことと、絵を描くことがこれから先の時間にあればいいなと強く思った。

  今回の「ゴッホ展」の意味については、作品を出品し監修もしているオランダ・ハーグ美術館のベンノ・テンペル館長の寄稿から抜粋しておく。

  「本展覧会と図録は、ファン・ゴッホが画家として歩み始めてから亡くなるまでの人生、すなわち画家としてのキャリアを開始したオランダに始まり、パリ時代、アルル時代、そしてサン=レミ時代を経て、亡くなるまでを過ごしたオーヴェール=シュル=オワーズまでの最期の時期までを辿る。同時に、彼に影響を与えた画家たちの作品を通して、ファン・ゴッホの成長にも焦点を当てる。ファン・ゴッホに影響を与えたのは、ハーグ派とフランス印象派の画家たちであるが、とりわけ彼の成長におけるハーグ派の重要性は、世間にはほとんど知られていない。ファン・ゴッホと他の画家たちの作品から約70点が精選され、彼の人生と画業について物語ってくれる。中略

  本展では、ファン・ゴッホがハーグ派の影響を受けていた初期の時代から、フランス印象派に魅了され画家として成熟するまでの軌跡を辿る。彼はクロード・モネやカミーユ・ピサロをはじめとする印象派画家の作品から色彩がもつ表現の可能性を学び、ハーグ派特有の色調からの移行を果たした。そして最終的に、彼ははっきりとした輪郭線と大胆な色遣いを特徴とする日本の浮世絵から受けた影響を、印象派や新印象派の技法と融合させてゆく。」

  帰りに、以下の2冊の本を買い求めた。
  1.「ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家」 圀府寺 司(こでら つかさ) 角川ソフィア文庫
  2.「Vincent van Gogh」 産経新聞社発行

ハーグ派の画家たちとの出会い
  ハーグ派は、19世紀後半にオランダの都市ハーグを拠点に活動した画家たちのグループを指す。17世紀オランダ絵画の黄金時代より続くレアリスムの流れに属し、街の周辺に広がる田園地帯や海岸に出向いては風景画を描いた。豊かな自然とそこで営まれる素朴な暮らしを詩情豊かにとらえた彼らの作品は、画廊勤務時代からファン・ゴッホを強く魅了していた。

  グループは1870年代に最盛期を迎え、ヤコブ、マテイス、ウイレムのマリス三兄弟やマウフェ、ウエイセンブルフらが中心になり、ファン・ラッパルトら若い世代がそれに続いた。ファン・ゴッホはハーグを訪れると画家たちに教えを請い、ともにスケッチに出かけ、また芸術について熱い議論を交わした。彼らとの交流は1885年頃までにほぼ途絶えてしまうが、この時期に教わった画材の扱い方や目の前のモテイーフをひたむきに観察する姿勢は、画家としての土台を形作ることになった。(2.「Vincent van Gogh」 産経新聞社発行より)

ハーグ派の画家たち
<ヤン・ヘンドリック・ウエイセンブルフ>
・黄褐色の帆の船ca.1875
  今回のゴッホ展で、初めてオランダ・ハーグ派の画家たちについて知ったが、どれも素晴らしい絵だと思った。特にこの絵は、上空に流れる雲の合間から降ってくる光が、悠然と流れる川面とそこに浮かぶ船に映える様子が、なんとも自然で暖かい気持ちにさせてくれる。

<ヨゼフ・イスラエルス>
・縫い物をする若い女ca.1880
  質素な造りの薄暗い室内で、窓から差し込む光のもと、まだ初々しい若い女性が黙々と針を運んでいる。縫い物は自身の嫁入り支度なのかもしれない。実物を見て感じたことは、フェルメールやルノワールの描いた少女やあのイレーヌよりも、もしかしたらもっと精神的に深いものを感じたのかもしれない。

<アントン・マウフェ>
・雪の中の羊飼いと羊の群れ1887-88
  マウフェ最晩年の作品。寒々とした雪の中に固まって群れる羊と一人の羊飼い、そして遠くに小さく群れ飛ぶカラス。寒さがひしひしと伝わってくる。

・収穫Undated
  一面の枯野で腰を曲げて枯草を刈る農夫と、傍らで腰を屈めて刈った草を集める妻、遠くに協会の尖塔と街並みが小さく見える。僕には理想の夫婦に見える。
  ゴッホは弟テオとその妻ハンナへの手紙に、マウフェはいつも「自然は良い、人々が感じているよりも遥かに良いものだ」と言っていた。と書いている。

<マテイス・マリス>
・出会い(仔ヤギ)ca.1865-66
  若い母親がまだ一人歩きできない幼児を支え、子どもは飼い葉を恐る恐る仔ヤギに差し出している。子どもの目線と同じに、低く対象に接近した視点で描かれており、見る者もまるで自分がすぐ近くでこの場面に立ち会っているような親密な感覚を覚える。(2.の解説より)

  農家の庭先の明るい陽射しのもと、くっきりとした光と影の中に微笑ましい場面が描かれ、どこか懐かしい既視感がある。

<ベルナデユス・ブロンメルス>
・室内1872
  農家の暗い粗末な室内であろう、小さなテーブルを挟んで夫が赤ん坊を抱え、妻がテーブルの上の茶碗にお茶を注ごうとしている。大きな窓からは光が差し込んでいるが、テーブルの上には二人の茶碗と赤ん坊に食べさせているジャガイモ?のかけらしかない。暗い室内には家具らしきものは何もない。

  これから農作業にかかる前なのか、あるいは農作業の合間の休憩なのかは分からないが、いつかどこかで確かに見たことのある光景である。

<オランダ時代のフィンセント・ファン・ゴッホ> 
・疲れ果てて Etten,September-October 1881
  炉辺の椅子に座る病気の老人で、膝に肘をついてうなだれるように頭を抱えている。質素な衣服や生活用品がその境遇を物語るようだ。

・永遠の入り口にて 1882
  同じく、炉辺の椅子に座り、両手の拳で顔を覆うようにしている老人。人生の苦悩や悲哀が老人の身体全体から滲み出ているようだ。

・ジャガイモの皮を剥くシーン 1883
  1882年1月からハーグで暮らし始めたゴッホは、クラシナ・マリア・ホールニク、通称シーンまたはクリステインという子連れの娼婦と出会い、同棲するようになる。当時シーンは30過ぎで、未婚ながらすでに3人の子供を出産し、うち2人を生後間もなく亡くしている。ひとり生き残った5歳になる女の子を養い、さらに4人目の子を身ごもっていた。ゴッホは二人を自分の家に住まわせ、弟テオからの仕送りを分け与えることになる。
  ゴッホはこの年に、彼女をモデルにして「悲しみ(Sorrow)」と題したデッサンを描いている。

  この素描からは、ゴッホの人間、特に社会的に恵まれない人間に対する共感と、的確な表現力が見事に融合している。彼女の薄幸な人生と強さがひしひしと伝わってくる。ゴッホは友人に送った手紙で、次のように書いている。「この不器用で、やせっぽちの女性ほど良い助手をもったことはない。僕には彼女は美しく見えるし、彼女の中にはまさに僕が求めているものがある」

・ジャガイモを食べる人々Nuenen,April-May 1885
  小さなランプの光でジャガイモを食べているこの家族が、皿に手を伸ばしているその手で自分たちの土地を耕したということ、つまりそれは「手の労働」であり、彼らがいかに自らの食糧を誠実に得たのかということを、僕はどうしても示したかった。いずれこれが「真の農民の絵」だと言われることになるだろう。僕にはわかっている。

  もし、農民の絵にベーコンや、煙やジャガイモの湯気のにおいがしたら申し分ない。それは不健全じゃない。厩にこやしのにおいがしたら、結構、それこそ厩らしい。畑に熟れた麦やジャガイモや堆肥やこやしのにおいがしたら、それこそ健全だ。だが、「何てきたない絵だ」と言われるかもしれない。その心づもりでいてくれ。ぼくもその心づもりでいる。それでも「真実なもの、正直なもの」を表現しつづけるだけだ。

  ふたたび両親の住む、田舎町ニューネンに戻ったゴッホは、弟テオや妹ウイルへの手紙にこう書いている。

・器と洋梨のある静物Nuenen,1885
  この絵は、写真で見るよりも実物のほうがずっといい。土の匂いがする。樹からもいできた感がする。

・鳥の巣のある静物Nuenen,Octover 1885
  暗い画面は、目を凝らさないとちょっと何が描いてあるのかわからない。よく目を凝らして見ると徐々に自然の芸術作品が見えてくる。

パリでの印象派の画家達との出会い
  1886年2月末、ファン・ゴッホは突然パリに出てきた。到着した後で急な来訪を謝罪する走り書きをテオに送っていることから、やや衝動的な行動だったようだ。モンマルトルのラヴァル通りにある弟の部屋に転がり込むと、さっそく「パリの屋根」や「ブリュット=ファンの風車」のように周囲の風景を描きとめている。ファン・ゴッホは、約2年のパリ滞在中に大きな出会いをいくつも果たした。

  孤高の画家モンテイセリ、日本の浮世絵、タンギーやタッセといった画材屋、そして印象派の画家たち。印象派についてはすでにテオから手紙で知らされていたが、ファン・ゴッホはどちらかと言えば懐疑的なままだった。しかし、パリで初めて目にした彼らの作品は大きな衝撃となり、後に明るい色調の作品を描き始めることになる。1886年の間はこれまでのように茶やグレーを基調にした写実的な作品を手がけていたが、一方で「花瓶の花」のように、いくつもの異なる原色の間に調和をとろうと色彩研究を行っていた。(2.解説より)

印象派の画家たち
<アドルフ・モンテイセリ>
・庭園の宴Undated
  この他にも、「陶器壺の花」「ガナゴビーの岩の上の樹木」「猫と貴婦人(猫の食事)」が展示されていたようだが、僕は混んでいたので見ずに飛ばしてしまった。

<カミーユ・ピサロ>
・ライ麦畑、グラット=コックの丘、ポントワーズ

<パリ時代のヴィンセント・ファン・ゴッホ>
・タンギー爺さんの肖像Paris,January 1887
  モンマルトルのテオとゴッホの住まいの近くにタンギーの画材店はあった。店主のタンギーは売れない画家たちの面倒をよく看ていて、「タンギー爺さん」として彼らから慕われていた。

<南仏アルル時代のヴィンセント・ファン・ゴッホ>
・麦畑とポピーArles,1888
  この絵も、写真でみるより実物のほうがずっといい。色彩が生き生きと見える。色彩の躍動感は写真では伝わってこない。アルルの空はオホーツクの空を連想させる。

・麦畑Arles,June 1888
  この絵を見ていると、北海道の大空町の麦畑やひまわり畑にいるような気持ちになる。オホーツクの透明な空気の中を青い空から降り注いでくる太陽の光と、あらゆる植物と土の匂いと、あらゆる昆虫のざわめきが聞こえてくる。麦畑やひまわり畑の中を走り回っていた北見のこどものころが蘇ってくる。

<サン・レミ療養院時代のゴッホ>
・糸杉Saint Remy,June 1889
  緑の炎が燃え上がり、うねりながら天を目指して登っていくような糸杉である。1889年5月にサン=レミの療養院に入院してから2か月程後に描かれた絵である。

・薔薇Saint Remy,May 1890
  翌年の1890年、サン=レミの療養院を退院する前には体調が安定し、多くの作品を描いている。花の静物画も複数描いている。その中のひとつ。

<終焉の地、パリ郊外オーヴェール・シュル・オワーズでのヴィンセント・ファン・ゴッホ>
・ガシェ博士の肖像 1890

・オーヴェールの教会 1890

・鴉の群れ飛ぶ麦畑 1890

  これらの作品は、今回の展覧会には含まれてはいないが、ゴッホ最晩年の作品である。この年の7月27日には、ファン・ゴッホは腹部に銃弾をかかえたまま帰宅した。翌日、パリから弟テオがかけつけたが、医師も銃弾を取り除くことはできず、29日息をひきとる。享年37歳。自ら銃弾を打ったのか否かは現在も分かっていない。 
posted by ぼたん園々主 at 20:52| Comment(0) | 日記