2021年11月28日

独居老人の独り言 雑感

  数日前のNHKテレビで、現在横浜市のJR関内駅近くで建設中の地下1階、地上11階建て(高さ44m)の高層木造ビルと2019年(令和元年)7月に竣工した東急池上線旗の台駅木造リニューアル駅舎を報じていた。その他調べてみると、2025年には日本橋に地上17階、高さ70m、延べ床面積26,000uという計画もある。さらには2041年を目標に、あの住友林業が高さ350m、地上70階建ての木造超高層ビルを建てる構想を発表している。海外でも北米、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、など世界では既に木造の高層ビルがトレンドになっている。(令和3年11月30日深夜)

  令和3年も12月になってしまった。このところずっと留守中に溜まっていた新聞を読んでいるが、残すところあと1か月分ほどになった。切り抜きはもう既に段ボール1箱分に余るほどになっている。

  途中まで書きかけた木造高層ビルの話題は、結論から言うとぼたん園の樹々、特に針葉樹は大部分が既に95年を超え100年の樹齢に近い。これらの樹々は100年近くにわたり光合成によりCO2を吸収して酸素を排出してきた。ただし、樹齢とともに吸収量は低下して現在ではほぼその役割を終えている。吸収されたCO2は燃やさないかぎり大気中に排出されることはなく、木のなかに固定されている。さらに木造高層ビルは鉄やコンクリートを使わないことにより、これらの建材を製造するために大量のCO2を排出することを避けることができるのである。(令和3年12月5日深夜)

       **********

  今日は午後1時から新宿で会社(旧安田火災)勤務時代の同期会があった。武漢ウイルスのせいで、この1年半ほど保留になっていたので久方振りの再会であった。今日の会が200回目とのことで、改めて年月の経過を認識した。以前は殆ど毎月、幹事持ち回りで開催していたので単純計算でもかれこれ20年近く続いていることになる。

  最後に出席者全員(今回は11名)で撮った写真を見て、それまではみんな老人になったなあ、と他人事のように思っていたが、そこに写っているのはみんなと変わらない自分であった。何だかがっかりしたような一方では安心したような気持になった。でも最盛期には20人以上が集まっていたから、それから考えると既に鬼籍に入った者もいるし、現在本人、または奥さんが具合が良くなくて出てこれない者もいる。

  順番に近況報告となったが、話すことはだいたい皆同じで病気、健康、女房、家族、運動(身体の)のことである。あと何回まで続くであろうか、できれば最後の一人になるまで続いて欲しいと思った。(令和3年12月7日深夜)

        *********

  昨日、参議院会館1215号室の参議院議員 青山繁晴事務所から自由民主党の党員申込書と党費を受領した旨の手紙が届いた。青山議員直筆(と思われる)のメッセージが書き添えられている。青山議員は11月の自民党総裁選に出馬する意思を固めていたが、高市早苗議員が一足早く出馬を発表したので急遽同議員の応援に回った。

  日本を取り巻く安全保障環境が益々厳しさを増す中で、自民党の内外で国益を損なう恐れのある状況に止むに止まれず立つことを決意されてのことと思う。残念ながら高市総理は実現しなかったが、いづれどちらかが再び日本のリーダーとして立ち上がるときのために党員となって一票を確保しておきたいと思う。

<青山繁晴議員直筆のメッセージとともに送られてきた手紙>
IMG_6680.JPG

         *********

  話が飛び飛びになってしまうが、ぼたん園の樹々を活かしたいと思う。幸いにも日本中、いや世界中で木が見直されてきている。日本は国土面積の70%を森林が占める森林国である。そして地震国でもある。従来は鉄やコンクリートに比べて耐震性、耐久性、耐火性などが劣るとされてきたが、近年これらの弱点とされてきたことがCLT(Cross Laminated Timber)などの新しい木造建築材や木造工法の技術開発により克服されつつある。

  そして何よりも、木には鉄やコンクリートにはない多くのメリットがあることが魅力である。拙宅のマンションも既に築30年を超え、5年ほど前に全面リフォームを実施した。木が大好きなので木の良さを理解している1級設計士と工務店を選んで、鉄筋コンクリート造りのマンションではあるが、内装は建具、水回り、壁も可能な限り木を多用した。また壁、天井は全て漆喰塗とし、化学物質は排除した。(令和3年12月8日午後10時20分)

  なによりも毎朝起きた時に東の窓から差し込む朝日が木と漆喰に反射して、部屋中が柔らかな光に包まれている感じに心癒される。自然のままの造形物は、こうして資材として加工されても生きている。木や漆喰の壁は呼吸をし、自然に温度や湿度を調節してくれている。生きているからこそ、大事に心を込めて世話をすれば年々風格を増し愛情に応えてくれる。そこが鉄やコンクリートとの一番の違いである。
(令和3年12月9日正午近く) 

 ぼたん園の樹々を無駄にしないように、有効に活用する道を探ってみようと思う。(令和3年12月20日22時25分)

         ******** 

  令和3年12月30日(木)16:25PM、晴れ、現在の気温12℃。今夜は氷点下(-1℃)の予報。
  昨日、やっと留守中に溜まっていた新聞をやっと読み終えた。10月9日に帰宅してからほぼ毎日読んできたが、80日近くかかってしまった。今日からまたブログ再開だ。

  今年も残すところ1日、明後日は新年を迎える。元旦は、今年は武漢ウイルスのせいで流れたが、明後日は子供たち家族が来る。総勢で13人となる。一人から13人に増えたのだから感慨深い。少しは自分が生まれてきた意味もあったのか。今は孫たちの成長が楽しみだ。全員好きなことを見つけて楽しい人生を送って欲しい。 

         ********

posted by ひろちゃん at 21:35| Comment(0) | 日記

2021年11月20日

独居老人の独り言 樋口一葉展

  令和3年11月19日(金)晴れ。県立神奈川近代文学館で開催されている「樋口一葉展 ― わが詩は人のいのちとなりぬべき」を見に行ってきた。午前中は関内で会議があってそれに出席し、終わってからその足で港の見える丘公園内にある会場に向かった。

  今日は晴れていたが気温は暑くもなく寒くもなく平日のせいか、人出もそう多くはなかったのでゆっくり見ることができた。港の見える丘公園には何回かきているが、県立神奈川近代文学館は初めてで、すぐにはどこにあるのか分からなかった。公園の入り口から少し山手方面に行ったところの左側に目立たない小さな案内板があったので、そこを左折して少し下って行くと右手にこれまた目立たない看板が出ている。

<「県立神奈川近代文学館」と看板があったが、その先は通行止めのカラーコーンが置かれていて右側の門扉は閉じていた。警備員に訪ねると、ここは裏門で駐車場はないとのこと>
IMG_6642.JPG

  止む無く公園前の有料駐車場まで戻り、車を駐車して歩いて引き返す。霧笛橋に行きあたると右手奥の階段を昇ったところにコンクリート造りの白い建物があり、樋口一葉展の案内板があった。

<県立神奈川近代文学館>
IMG_6650.JPG

  受付で入場券を買い求めると、丁度2時から2階のホールで解説があるとのことでそのまま2階へ。5分ほどで同館展示課の浅野千保氏の説明(1時間ほど)を聞く。その後、1階に降りて展示場に入る。展示は年代順に4部構成になっていて、一葉の24歳と6か月の短い生涯を辿ることができる。

  そもそも、この特別展を知ったのは令和3年11月8日(月)付けの産経新聞・神奈川版「かながわ美の手帖」の記事を目にしたことにある。今を遡ること50年以上前、私が安田火災(現損保ジャパン)に入社して1年の研修期間を終え、最初の任地である浅草支店(当時は雷門前に社屋があった)勤務となったときに、よく昼飯を食べに行った下谷龍泉寺町の「角万(かどまん)」という蕎麦屋のすぐ近くに一葉が住んでいたという居宅跡があり、台東区の記念館(区立一葉記念館)になっているということを聞いていたので、いつか訪ねてみようと思っているうちに転勤になってしまって思い残した感があったからである。

  甲斐国(現・山梨県塩山)の農家であった一葉の両親は江戸へ出て、明治維新後父親は東京府の下級官吏となる。明治5年、一葉(本名は奈津、後に夏子とも称す)は東京で5人兄妹の次女として生まれる。明治22年に父、則義が死去してからは17歳の一葉が戸主として一家を支えることとなる。そのために小説家になろうと決意し、いくつかの習作を執筆する。しかし、「文学は糊口の為になすべき物ならず」として、明治26年21歳のときに吉原遊郭に近い下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉)に転居し、荒物と駄菓子を売る小さな雑貨店を開くが9か月で行き詰まり廃業、翌明治27年22歳で本郷区丸山福山町(現・文京区西片)に転居する。(令和3年11月19日)

<文学館前から横浜港の方向を見る>
IMG_6646.JPG

  丸山福山町に転居した一葉は、その年の12月に「大つごもり」を「文学界」に発表する。それから没年の明治29年1月までのわずか1年余の間に「たけくらべ」(明治28年1月〜29年1月)、「ゆく雲」(同28年5月)、「にごりえ」(同年9月)、「十三夜」(同年12月)、「わかれ道」(同29年1月)などの小説を次々と発表、自ら「塵の中」と称した社会の底辺でこの時代を生きる女性の現実を描いた。

<文学館と大佛次郎記念館を結ぶ霧笛橋>
IMG_6649.JPG

<霧笛橋から望むベイブリッジ>
IMG_6652 (1).JPG

  一葉は24年という短い生涯の中で経済的に余裕のあった幼少期の頃を除いて、17歳のときに父親が事業の失敗と病気で亡くなってからは、戸主として残された借金の返済と家族を養うために、恐らく日本で最初の女性職業小説家となった。そして19歳から24歳までの短い間に、数々の名作を残した。 その間に生活の糧を得るために商売にも手を出すがうまくは行かず、その間に自身の身の回りで見聞きした社会の底辺で生きる人々の心情をありのままに書いた。

  一葉自身が身を置き、身近で見聞きし体験したこの時代は今の時代とは比べ物にならないほどの閉塞感があったであろうことは想像に余りある。身分制度や女性差別、そして貧困。しかし、その中で健気にも、強くも命を燃やして懸命に生きたその生涯は、現代においても姿形は変わっても同じような悩みや苦しみを抱えて声も上げられない女性たちの魂の叫びとも共鳴するものだろう。既に時代は重高齢化社会(65歳以上のうち、75歳超の高齢者が半分以上を占める社会)に突入しており、特に高齢女性の一人暮らし所帯が急増することは目に見えている。
 
<大佛次郎記念館とイギリス館、111番館の間にはイングリッシュローズ・ガーデンがある。>
IMG_6655.JPG

<同、ガーデンの噴水>
IMG_6658.JPG

<港の見える丘公園展望台のすぐ傍に掲げられているUW(I wish you a pleasant voyage)国際信号旗>
IMG_6659.JPG

  来年は樋口一葉の生誕150年となる。(令和3年11月24日午後10時39分)
posted by ひろちゃん at 00:33| Comment(0) | 日記

2021年11月07日

独居老人の独り言 やっぱり富士山は世界一の秀峰

  令和3年11月5日(金)、6日(土)と富士山の青木ヶ原樹海を歩いて、山麓で一泊してきた。予報では両日とも晴れで、その前後は暫く曇りまたは雨となっていたのでピンポイントで急遽出かけることにした。予報どうり5日当日の朝は雲ひとつない快晴で、いつものように我が愛車のGOLF VARIANTを駆って午前6時前に我が家を出発。そして、いつものようにI氏宅に寄り八王子インターから中央高速で河口湖インターまでは快調な走行であっという間に到着。目的地の富岳風穴前に着いたのは丁度9時。

  風穴前の駐車場に車を止めて、国道139号を渡ったところから樹海遊歩道に入る。ここは西湖の南西側に当たり、ここから西湖の西岸にある西湖野鳥の森公園まで行き、そこから樹海の中を突っ切る樹海遊歩道を紅葉台(1,165m)に向かって進む。富岳風穴前から紅葉台の登り口までで、歩行時間はおよそ3時間ほどである。その間は溶岩の上にできた森だからだろうか、あちこちに溶岩の窪みや穴があり、その上にツガやヒノキなどの根が浮き出たように張り出して、その根や地表を青い苔が覆っていて、普通の山の林相とは大分趣が異なる。鬱蒼としてあまり陽が届かないせいか、前夜雨が降ったのだろうか、湿気を感じる。

  富岳風穴前の青木ヶ原遊歩道入口にある看板には、こう書かれている。            
  「命は親から頂いた大切なもの。 もう一度静かに両
   親や兄弟、子供のことを考えてみましょう。
   一人で悩まず相談して下さい。 連絡先 ・・・」

<青木ヶ原遊歩道入口にある看板。 5日午前9:08撮影。>
IMG_6597.JPG

<昼なお暗い遊歩道。5日午前10:57撮影。>
IMG_6605.JPG

  紅葉台(1,165m)までは約30分ほど登ると展望台に到着する。展望台は少し広い広場になっていて、南には富士山が大きく見える。北側は西湖とその向こうに昔登ったことのある鬼ヶ岳(1,738m)や節刀ヶ岳(1,736m)、毛無山(1,500m)が見える。何と言ってもこの日は富士山の眺望が最高であった。

<紅葉台から見る富士山。5日午後12:24撮影。>
IMG_6621.JPG

<紅葉台の紅葉。5日午後12:32撮影。>
IMG_6619.JPG

  紅葉台からさらに15分ほど登ると三湖台(1,202.6m)があるが、ここは私有地らしく売店があって屋上が展望台になっているが、展望台に上がるには200円の料金が必要。馬鹿らしいので少し下の草地から富士山を写真に撮って下山、国道139号の下のトンネルを潜って再び青木ヶ原樹海を進むと50分くらいで鳴沢氷穴に出る。そこからさらに樹海の中を20分ほど進むと出発点の富岳風穴前に着く。時計は午後2時30分を指していた。

<三湖台付近から見る富士山。5日午後12:56撮影。>
IMG_6622.JPG

<同、筆者近影。5日午後13:03撮影。>
IMG_6623.JPG

  この日は、富岳風穴前から今朝ほど通ってきた国道139号を河口湖方面に少し戻り、道の駅「なるさわ」の裏手にある「富士眺望の湯 ゆらり」で汗を流し、さらに国道を河口湖方面に戻った国道沿いにある「吉野荘」というホテルに宿泊した。結構大きなホテルでこの日の泊り客は我々二人だけだった。
  4階の部屋と展望風呂からは富士山が大きく見え、手前には広い畑と民家が見渡せる。食事は夕食も朝食も広い食堂で二人だけでゆっくりと寛いで美味しく頂いた。コロナ禍でさぞかし経営は大変なことだろうと思われる。

<富士眺望の湯 ゆらり。5日午後14:55撮影。>
IMG_6625.JPG

<Resort Inn 吉野荘の部屋からの眺望。6日午前8:41撮影。>
IMG_6629.JPG
<同、畑と民家。6日午前8:41撮影。>
IMG_6630.JPG

  翌日(6日)も朝から快晴で高速道路も全く渋滞も無く、順調に帰宅した。久し振りに近くで見た富士山は、やっぱり世界に誇れる美しい山だと改めて思った。                 
                         了

posted by ひろちゃん at 20:57| Comment(0) | 日記

2021年11月06日

独居老人の独り言 ボーンブロス

  令和3年11月6日(土)午後6時25分。昨日は、富士山の樹海を歩いてきた。その日は鳴沢村(青木ヶ原樹海のある富士山麓の村)で泊まり、本日昼近くに帰宅した。これについては次回の投稿とすることにして、今日はその前に1日1食、あるいは1日1.5食を実行するきっかけとなった「ボーンブロス」(骨のスープ)について書くことにする。

  10月17日の記事「体重目標達成!!」に書いたとおり、9月25日朝の体重測定で80sを切り79.95sを達成した。今年の5月に北見へ行く前は92sだったので、約12sの減量である。現在は少し増えて82sになっているが、それにしても10s減である。5月17日に北見へ行ってから、倒木の処理と薪割、草刈りなどの作業を雨天の日以外は続けたので2sくらいは減ってきていたが、それ以上はなかなか進捗しなかった。

  コロナウイルス(武漢ウイルス)が猛威を振るい始めて、「免疫力」について知りたいと思い、「カイチュウ博士」で有名な藤田紘一郎先生の本を購入して読んでみた。藤田先生の本は、大分前に子供のアトピーや自分自身の花粉症で困ったときに読んでいたので馴染みがある。それは、以下の2冊である。
@「腸内細菌博士が教える 免疫力を上げる食事術」 2020年12月初版発行 ワニブックスPLUS新書
A「感染症と免疫力 腸内細菌博士が教える新型コロナ予防法」 2021年2月初版発行 同上    

  上記の2冊のうち、特に@で詳しく説明されている免疫力を高める食事法の中でも、先生ご自身が毎日実行されているという「ボーンブロス」について触れてみたい。私自身も先に述べた1日1食を実行することになったのは、北見へ行く前にこの本を読んで「ボーンブロス」を実行していたことがそのきっかけとなった。(令和3年11月6日午後8時50分)

<藤田紘一郎 東京医科歯科大学名誉教授の著書2冊>
IMG_6633.JPG

  ボーンブロスとは、鶏や豚、牛の骨を煮出してとるスープのことである。なぜこのスープが免疫力の向上によいのかは上記の本を読んでいただきたい。ここでは説明しない。@の154ページにはこう書かれている。
  「骨を煮ていると、骨やじん帯からコラーゲン、プロリン、グリシン、グルタミンなどの栄養成分が出てきます。これらは、腸もれ(*)の改善に役立ちます。腸の細胞をつくる材料となって、状態のよい腸壁を築き、腸にあいた細かなすき間をふさいでくれると期待できるのです。しかも、小腸の細胞が働くエネルギー源にもなります。」

  (*)ここでいう腸もれとは、山田正彦著 「売り渡される食の安全」(角川新書)で指摘されている遺伝子組み換え食品や、Dr.ウイリアム・デイビス著 「小麦は食べるな!」(日本文芸社)、デイビット・パールマター著 「「いつものパン」があなたを殺す」(三笠書房)、ステイーブン・R・ガンドリー著 「THE PLANT PARADOX」(翔泳社)などで指摘されているグルテンやレクチンなどによるリーキーガット症候群(腸管壁侵漏症候群)のことであると思われる。

  藤田博士は歳をとったら朝食は無理してとらなくてよいと書いている。ただし、朝は副交感神経から交感神経への切り替えをスムースに進めるためには何かを口にすることが大事だとも。例えば、冷えた水一杯、コーヒー一杯、味噌汁一杯でもよい。そして、昼は「ボーンブロス」を食べ、夕食は好きなものを腹八分目に食べる。60歳を過ぎたら、良質のたんぱく質をとることも大事。

  以上のことから、私は5月に北見へ行って一人で食事を作るようになってからは、6月から試しに一日一食を実行してみることにした。ただし、朝は飲物と場合によってはヨーグルトなど何かしら口にすることとし、夕方4時頃には外での作業を切り上げ、買い物などを済ませて5時頃には夕食を摂ることにした。

  夕食は、少し値段が張っても好きなもので、なるべく良質のたんぱく質を摂るように心がけている。同時に4,5日分作り置きをした「ボーンブロス」を摂ることで腸内環境を整え、免疫力の向上も図れるものと考えている。一日一食は、この「ボーンブロス」があることである意味安心して実行できるような気がしている。実際、6月からこれらを実行して約3か月余りで10sの減量になり、体調も頗るよい。具体的には、以前より便通が規則的になったし脚の痛みも無くなった。

  私が「ボーンブロス」を作るときに用意する食材は以下のとおり。
 @肉は鶏の手羽中を1パック。量によって何種類かあるが、私がいつも行くOKストアでは最も少量でも300gほどである。イオンやコープでは1パック100g前後から売っている。OKストアでは豚や牛のスペアリブも売っているが、鶏手羽中が一番コラーゲンが多いような気がしている。
 A野菜については、私はキャベツ(1/4玉1個)、タマネギ(中玉1個)、ニンジン(1/2本)、ゴボウ(1.5cm径×10cm)、ジャガイモ(中玉2個)は必ず使うが、その他にも買い物に行ってその日よさそうなものがあれば、ブロッコリー、ニラ、ホウレンソウ、アシタバ、オクラ、ピーマン、パプリカなどを入れることもある。その他に必ず入れるものにキノコがある。種類はなんでもよいようだが、私はいつもヒラタケ1パックとキクラゲ1パックを用意する。
 Bその他に用意するものとして、コンソメスープの素(2,3個)、クレイジーソルト(アメリカ産の岩塩とハーブの調味料)、EXバージン・オリーブオイル、りんご酢、水500CCくらい、がある。

  作り方は至って簡単で一人用4〜5日分であれば、
 @鶏中手羽はパックのビニールを剥がして、トレイの上から熱湯をかけて余分な脂と臭みを取り、キッチンペーパーで1本づつ水気を拭いておく。
 A野菜は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモはカレーライスを作るときと同じように切り、ゴボウは5cmの短冊に切る。キャベツは適当な大きさに手で千切っておく。
 B少し大き目の鍋(1〜1.5ℓ)にEXバージン・オリーブオイルを大匙1〜2杯ほど敷き、鶏手羽中と玉ネギを入れて中火で炒める。玉ネギがしんなりして、鶏手羽中が白くなったら水を加える。
 C煮立ったら、ニンジン、ゴボウを加え、少ししたら千切ったキャベツと、ヒラタケ、キクラゲを一口大に切って入れ、コンソメ2〜3個と天然塩を二つまみほどとクレージーソルトを好みに応じて加える、
 Dさらに30分ほど煮たらジャガイモを入れる。10分ほどでジャガイモが柔らかくなったら、ブロッコリー、ニラ、ホウレンソウ、オクラ、ピーマン、パプリカなどがあれば加える。
 E最後に卵を割り入れてもよいが、私は予め3個ゆで卵を作っておいてその都度1個づつマヨネーズをつけて食べている。さらに、食べる直前にりんご酢を少量加えると味もよく、身体にもよい効果があるようだ。

  その他にも免疫力向上によいもの(あるいはよくないもの)として、以下のようなことも書かれている。
 @玄米(無農薬栽培)にもち麦を混ぜて炊く。(玄米は不溶性食物繊維は豊富だが、水溶性食物繊維はあまり含まない。)私は、北見では玄米を焚くのは面倒なので、コープの少量白米やわらかご飯(120g×6パック)にそのままご飯にかけるだけのもち麦のパック(1袋でご飯2杯分)をプラスして食べていた。
 A白く精製された主食や砂糖はとらない。(グルコース・スパイク→臓器と血管の慢性炎症)私は、
川崎に戻ってからは玄米にもち麦を混ぜて炊いている。我が家では、以前より白い砂糖は一切買わないで、専ら北海道産の甜菜糖(ビート糖)を使用している。甜菜糖は白砂糖とは異なり、オリゴ糖やミネラルを多く含み血糖値スパイクを起し難く、腸内のビフィズス菌を増やすことで免疫力の向上に寄与するようだ。
 B米のとぎ汁にキャベツやニンジン、長ネギ、長いも、オクラ、ニラなどを漬けて冷蔵庫に入れておくと、いつでも漬物や薬味として使える発酵食品として乳酸菌優勢の腸をつくることができる。
 Cミネラル・ウオーターは硬度120r/L以上で「鉱水、鉱泉水、温泉水」の表示のあるものを。
特に九州霧島地方のシリカ入りの天然水がお薦め。シリカは細胞膜の弾力を保ち、皮膚や骨、毛髪を作る成分なのだそうだ。私は「のむシリカ」を定期購入している。(令和3年11月8日)

<我が家のボーンブロス。左はりんご酢とみかん、右はクレージーソルトとブロッコリー。>
IMG_6594 (1).JPG
                         了 
posted by ひろちゃん at 18:47| Comment(0) | 日記