8日(金)午前11時半ころ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説中だった安倍晋三元首相が背後から近寄った暴漢に手製の銃様のもので撃たれ、救急車、ドクターヘリで搬送されたが、同日午後5時すぎに搬送先の病院で亡くなった。
この日は10時ころから園内の草刈りをしていて、昼近くに近くのスーパーまで車で買い物に行って、帰ってきて正門のところで園内に車を入れて門を閉めようとしていたところに、たまたま通りかかった近くに住む顔見知りの女性から立ち話でニュースを聞いた。
犯人についても、その背景や動機についてもまだ何も分からないが、何ということをしてくれたのか。これで日本の安全保障はまた停滞するどころか、大きく後退してしまうのではないか。暗澹たる気持ちになった。一度は政権を手放さざるを得ない事態に追い込まれ、政治家にとっての地獄から再び復活し、歴代の首相の誰も成し得なかった安保法制、制限つきではあるが集団自衛権の行使などに道を開き、日米同盟強化、さらにはインド太平洋構想を提唱、その後のクアッドに道を拓いた功績は米欧の首脳の誰もが認めるところである。
また、その人間的な魅力についても祖父に岸信介、父に安倍晋太郎、大伯父に佐藤栄作、とその生まれや育ちは別としても明確な国家観、歴史観を持ち、側聞するところによれば大変な読書家であり勉強家である。そして、「人たらし」とも言われるような人間的な魅力を持った人物のようである。トランプやプーチンなど一筋縄ではゆかない相手とでも、臆することなく対等な付き合いができる。記憶が薄れてしまったが、確かケネディ駐日大使をファンにしたエピソードもあった。若き官房副長官時代の金日成との拉致被害者返還交渉についても然りである。
それにしても、67歳はまだ若い。日本は貴重な政治家を失ってしまった。 合掌
(令和4年7月11日午後9時38分記)
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平成17年6月に叔母が亡くなって、2年後の平成19年から毎年北見へ来るようになってから早いもので今年で15年になる。15年間川崎と北見の二拠点生活を続けていると、それぞれのよいところもわるいところも、あくまでも主観的なものではあるが、年々明確になってくる。
先ず第一に挙げられるのは気候の違いである。もっとも毎年北見に滞在するのは4月末か5月中旬から9月初めくらいまでで、9月から翌年の4月までは川崎で過ごしているので年間を通じて単純に比較はできない。特に北見の冬は、子供のころ(幼児から中学2年まで)の記憶しかないので、零下20℃の寒さや吹雪の日の通学などはそのころの思い出の中にしかない。
それでも、わずか8度の緯度の差(北見43°、川崎35°)とはいえ、明らかに1年間の平均気温の差は10℃以上あるのではなかろうか。最近では北見でも4,5月の春先に30℃を超える日があったり、6〜8月には39℃などという、東京で言えば記録的な猛暑日も珍しいことではなくなっている。ただ、総じて言えることは、そうした高温は長続きはせず、7月中旬くらいまではむしろ低温注意報が出るような一桁から10℃台前半程度の寒い日が続く。従って6月までは殆ど毎日薪ストーブのお世話になることが多い。
ひと昔前までは、北海道には梅雨がないなどと言われたが、その年によっては6月に関東の梅雨のように雨が降り続き、蒸し暑い日が続くこともある。そうかと思えば、昨年のように6月は殆ど雨が降らずに、農家特にタマネギ農家が甚大な被害を受けることも起こる。ただ、関東との一番の違いは暑くても気温の割には湿度が低いので、東京のような寝苦しいような夜はない。特にぼたん園の中は街中より2,3℃は気温が低いので、木陰に入れば過ごしやすい。(令和4年7月18日午後11時31分)
二番目に挙げたいことは、日常生活の利便性についてである。確かに川崎市の自宅は小田急線の新百合ヶ丘駅からは歩けば20分はかかるが、バス便が充実していて4〜5系統のバスが我が家の目の前(正確には目の下。4階から見下ろすので)のバス停(百合丘カントリークラブ前)を経由しているので、10分とは待たずに利用できる。
また、歩いて2,3分のところに「イオン・スタイル」と「CO-OP生協」のスーパーもあり、またちょっとした買い物はバスを利用すれば10分ほどで新百合ヶ丘駅まで出られるので、「イトーヨーカドー」や「小田急OXストアー」、「イオン」などで、さらに待ち合わせや会食にはコヒーショップやレストランも各種揃っている。電車に乗れば新宿や渋谷までは30分かからずに行かれるし、都心まででも1時間もかからない。
これに対して、北見はJR北見駅からぼたん園までゆっくり歩けば30分近くかかる。バスもあるが利用したことはない。専ら北見での日常生活には車は必需品である。車さえあれば、北見市街地であればどこへでも15分あれば行ける。北見駅と市役所までは7,8分、日常の買い物は「CO-OP札幌」か「イオン」、最近は端野町の「東武」まで行くこともあるが、CO-OPまでは歩いても5分、イオンは車で5分、東武は10分ほどかかる。川崎との一番の違いは、駐車場が全て平置きで時間制限なしの無料であることだ。従ってゲートも無ければ、待つことも無い。東武に行くときは近くに「コーチャンフォー」(大規模書店)があるので、立ち寄ることが多く、店内をぐるぐる回って立ち読みをしていると、あっという間に2,3時間は経ってしまう。そういう時でも全く時間を気にすることなく、ゆっくりと用を足すことができるのが最大のメリットだろう。(令和4年7月19日午後11時14分)
<端野町の「東武」こと「東武イーストモール」>
<北海道の「TUTAYA(書店)」こと「コーチャンフォー」>
さらに、日常の特に食料品は川崎では主に僕が自分の好きなものを買い出しに行くのだが、ほとんどの食料は近くのスーパーや駅隣りのヨーカドーやOXやイオンではなく、車で15分ほどかかる新百合から3駅新宿寄りの生田にある「エブリデイ・ロープライス」が売りの「OKストア」まで行く。一番気に入っているのはロープライスはもちろんだが、その経営理念に好感が持てるからだ。例えば、原則として合成着色料や酸化防止剤の添加物がない食品を仕入れていて、止むを得ず添加されているものには大きな字で添加されている旨の表示がされている。
これに対して、北見ではCO-OPでもイオンでもまだまだ「赤〇〇号」や「青〇〇号」、「亜硝酸」などの表示のある加工肉や明太子を堂々と売っている。有機栽培の表示のある野菜も売っているがまだまだ少数派だ。ただし僕は日本の厚生省が認定する「有機栽培」は子供が大人になるまでの間に何ら影響がないというエビデンスが無い限り信用していない。もっとも、これは川崎でもOK以外は同じようなもので、グルテンフリー(小麦不使用)に至っては北見ではもちろん、川崎でもほとんど見ることはないし、例えあったとしても店中探さないと見つけられない。
それでも、欧米並みとは行かないまでも合成着色料や酸化防止剤、グルテンフリーなどに関心を示している店舗が北見にも川崎にも全くないわけではない。例えば、川崎でも車で10分ほど走れば横浜市青葉区の美しが丘には「成城石井」があるし、嬉しいことに北見のスーパー「東武」にも品数は少ないが成城石井のコーナーがあり、北見の他のスーパーよりは自然食品に拘った品揃えがある。成城石井がローソンの傘下に入ったからだろうか。北見にもコンビニのローソンは結構多いし、ぼたん園のすぐ向かいにもある。(令和4年7月20日午後5時53分)
それと、これは生活者の目線で見ればメリットなのかもしれないが、事業者の目線からすればデメリットと言えるかもしれないことがある。それは川崎市と北見市では人口が違う。川崎市の150万人に対して北見市は11万人、そして面積は川崎市が149Kuなのに対して北見市は1,427Kuだから、その人口密度は川崎市の10,784人/Kuに対して北見市は僅かに80人/Kuなのである。何が言いたいかといえば、ともかく空いているのである。道路は渋滞などという言葉とは無縁であり、どこへ行くにも事故でもない限り正確に時間が読めるのである。また、ごく一部の店の特定の時間を除けば待たされる、または並ばなければならないということは有りえないのである。
これは、事業者の眼からすれば誠に厳しいことで新しく開店しても、最初のうちは物珍しさからそこそこ客はくるが、すぐに飽きられてしまうと閑古鳥が鳴くようになる、というのが北見ではよく言われることである。ぼたん園に国際試合のできるカーリング場を造りたい、と言ってもなかなか大手のスポンサーは手を挙げない。人口が11万ではペイしない、というのがその理由である。新百合ヶ丘辺りでは場所さえよければ、よほどのことが無い限りそこそこの客はつく。もっとも、必要な資金額が違うけれど。(令和4年7月20日午後9時32分)
そして、3番目に挙げたいことは自然にどれだけ近いかどうかということである。これは圧倒的に北見が勝っている点である。例えば一番身近な水と空気。残念ながら水については北見も川崎も大差はない。どちらも基本的には水道水である。これは水源の違い(北見は常呂川、川崎は多摩川?)はあるがどちらも浄水場で人工的にろ過され、消毒のため塩素が添加されている。
日本では水道法によって塩素濃度を0.1ppm以上に保つことが決められている。水道水1ℓに1rの塩素が入っていると1ppmとなり、水道法の規定は最低でも0.1ppmとされ、それ以上であればいくら濃くても構わないということである。因みに現状では、東京や大阪のような大都市では1.0〜1.2ppm、地方都市では0.6〜1.0ppmのようである。一方、欧米を見てみると特にヨーロッパでは地下水を水源とすることが多く、塩素を入れていないか、入れていても0.1ppm以下としている国が多いようだ。水道水が美味くないとされるアメリカでさえ0.05ppm以下である。さらには、一時期問題とされた塩素から生成されるトリハロメタンの発がん性についてもうやむやにされたままだ。
ことほどさように、日本のお役所は有害か無害か確たるエヴィデンスが無い場合は国民の立場に立たずに声の大きい方、圧力(脅しや金の力)の大きい方に引きずられるのである。これは国民が大人しく、欧米のように自己主張が少ないことにも問題がある。国民が関心が薄いから、政治家も票にならないことには無関心を決め込むのだ。話が逸れてしまったが、だから我が家は毎日飲む水は高くても体によいと言われる自然水を買う。一つ水について付言すると、ぼたん園内の住宅の水道水は他にない特徴がある。それは園内の蛇口から出る水道水が、緑園通りと北3線通りの水道本管から敷地内の地中を3,40mほど通ってくるからだ。夏は手が切れるほど冷たく、草刈りなどで汗をかいた手や顔を洗う時は本当に身が引き締まる。西瓜やトマトを冷やすことも訳ない。これは川崎では味わうことはできない。以降8月に続く。(令和4年7月29日午後10時50分)
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今日は7月31日。現在の時間は午後16時21分、天気は曇り。1時間半ほど前までは晴れて気温は31℃、少し蒸していて、今は26℃で爽やか。因みに今夜の最低気温の予想は16℃だから今夜もぐっすり眠れそうだ。昨日は午前中にローソンの隣の野菜畑(といっても武漢ウイルスが始まってからは野菜は造っていない。園内の住宅(正式には宗教法人の庫裏)近くでの一人分の野菜造りに切り替えた。)の草刈りを炎天下のなか頑張ったので、今日は休養日。スタッフのSさんも今日はお休みなので園内は静かそのもの。
朝から好きなTV番組の録画を観たり、好きな音楽を聴いたり、そして先日コーチャンフォーで興味の赴くまま購入してきた本を観たり読んだりしている。特にMOOK本のような写真が多い本は、見ているだけでも楽しい。
<こんなイタリアン知らなかった!「保存版 イタリア郷土料理美味紀行」(平松 玲 講談社)>
パラパラと頁をめくったら、美味しそうなイタリア料理の写真がいっぱい。走り書き(「はじめに」)を読んでみると、筆者は1995年にフィレンツェに半年ほど暮らすつもりでイタリアに渡るが、イタリア料理のとりこになり18年間もイタリアで暮らすことになる。そもそも当時は食品や料理の写真撮影を生業としていたが、デジタル技術が主流となりそれまでアシスタント修行で身につけた技術が不要となり、進退きわまっていた。
そして、そもそも料理写真の道に入ったのは、食通の父親とその腹を満たすために母親が上質の食材を仕込んで料理を造り続け、それが昂じて料理研究家になった。だから、生家の冷蔵庫はいつも食材であふれ、料理のおけいこがある日は、その恩恵にあずかる子供時代を送った。初めて出版したグルメエッセイの帯に「食いしん坊カメラマン」と書かれた由縁は一日にして成らず、なのである。そんな自分が食の国、イタリアへ行ったのだからイタリア料理のとりこにならないわけがない。と書いている。
これを読んで、すぐに連想したのが河西軒(かさいけん)のことである(2020年1月31日の記事「ホテルニューグランド」の<追記>参照)。大正末期から昭和にかけての北海道、それも北の果ての地で当時の西洋式ホテルの最先端をゆく横浜の「ホテル・ニューグランド」から料理人を呼んで本格的フランス料理を出す西洋料理店を経営していた祖父、貴一とみせ夫婦の伝承のことである。その時代には僕はまだ生まれていないが、「食いしん坊」の血はいくらか受け継いでいるような気がする。誠に一人勝手に、妙な親近感を覚えたのである。
さらには、僕の命の恩人である愛し野内科クリニックの岡本先生が監修した料理本「糖尿病とアルツハイマー病を予防する地中海式和食レシピ」(角川SSCムック)を思い出した(2020年12月2日の記事「独居老人の独り言 愛し野内科クリニック岡本先生との出会い」参照)。イタリア料理は美味いだけじゃなく、身体にもいいんだ。
さすが写真家だけあってたくさんの写真が掲載されていて、かつそのどれもが実に美味そうでリアルである。そして、18年のイタリア暮らし(その間、フィレンツェ、シチリア島パレルモ、ローマ、ペルージャに居住)と帰国してからも現在まで8年間、毎年数回は渡伊するという現地取材によりイタリア各地の郷土料理を通して料理の由来や歴史までが語られていて読み物としても楽しい。
この本を読んで、観て、是非にもイタリアに行って現地の料理を味わい、人々と直に触れ合いたいと思った。最近は観る機会が減ってしまったが、数々の名画で楽しませてくれた大好きなイタリア映画の舞台にも立ってみたい。あの素朴なひとたちは今でも変わらず暮らしているのだろうか。
<Contents(目次)よりイタリアの各州。 同書6,7ページより>
<Lazio州、州都はローマ。 同書8,9ページより>
<ローマの料理から。 同書22,23ページから>
以降8月に続く。(令和4年7月31日午後22時38分)