早いもので、9月に突入してしまった。今日は9月4日、9月最初の日曜日である。朝から晴れて、爽やかで気持ちのいい一日であった。午後から昨日やり残したお大師様の参道の回りの草刈りをした。朝方の起きたては少し寒く感じたので薪ストーブを点けた。そして今、午後の10時26分だが夕方、草刈りを終えてからシャワーを浴びてパジャマに着替え、そのまま食事の支度をして後片付けなどしているうちにもうこんな時間になってしまった。少し寒いので灯油ストーブを点けている。(令和4年9月4日午後10時32分)
先日、東武で買い物をした後、コーチャンフォーでいつものように本を見ていたら、月刊誌「Wedge ウエッジ9月号」の表書きに「デジタル庁設置から1年 漂流する行政デジタル化 こうすれば変えられる」とあるのに目が止まった。パラパラと捲ってみると、その52ページに「曖昧すぎる日本のかかりつけ医 実現に必要な「公」の視点」という記事があり、以前から日本の行政のデジタル化の遅れはもちろんだが、「かかりつけ医」についても非常に疑問に思っていたので、早速購入して帰宅した。
記事の筆者は、福祉ジャーナリスト 浅川澄一(あさかわ すみかず)とある。経歴を見ると、1948年生まれ、慶応大学経済学部卒、日本経済新聞社に入社。87年に生活情報誌「日経トレンディ」を創刊、初代編集長、編集委員を経て98年から高齢者ケア、少子化やNPO活動など、社会保障全般を担当、2011年に定年退社、現在は公益社団法人長寿社会文化協会理事、となっている。(令和4年9月6日午前2時30分)
記事によれば(原文のまま)、
コロナ禍の2021年初春からワクチン接種が始まった。「接種は住民が通い慣れた地域のかかりつけ医で」と日本医師会は主張した。主張が通り、自治体が地元医師会を通じて診療所での接種をスタートさせた。だが、トラブルが多発する。
「かかりつけ医のはずなのに、接種できないと言われた。おかしいわね」。住民は時々受診する近くの診療所から、「定期的に受診しないのは、かかりつけ患者ではない」と断られたという。そこで住民は一度も受診したことのない遠方の診療所にいくつかあたり、やっと接種できた。その診療所が「かかりつけ医」であるはずがない。かかりつけ医とは何か。各地で疑問の声が上がった。
中略。実は、かかりつけ医という用語には法律や制度上の裏付けは一切ない。医師の一方的な思い込みで「私はあなたのかかりつけ医です」と決められてしまう。コロナ禍で多くの日本の医療制度の歪みが露呈した。責任をもって住民を診察する医師が明確でないことが明らかになった。「受診の自由」(フリーアクセス)を否定され、診察を受けられない患者が続出した。医療制度の根底が揺らいでいる。(以上同誌P52、53より抜粋)(令和4年9月6日午後2時23分)
大分時間が空いてしまったが、続けよう。僕の母は平成14年に78歳で亡くなったが、以前の記事でも書いたように若くして戦争未亡人となり、生まれたばかりの赤ん坊の僕にミルクを飲ませるために父の実家である北海道の北見に行き、苦労したあげくに病を得て8年半もの横浜での闘病生活を余儀なくされた。その間僕は北見の祖父母に引き取られ、中学2年13歳の時に母の退院に伴い母の許に戻された。
それからは、母と二人で僕が伴侶を得て独立するまで暮らしたが、その間母は病み上がりの身に鞭打つような苦労をしながら僕を育ててくれた。晩年は酸素ボンベを常時携行するような状態であったが、何度僕たち家族(孫も三人になっていた)と一緒に暮らそうと言っても、自分で自分のことができるうちは一人がいいと頑なだった。僕たちに負担をかけたくないとの思いだった。
そんな母の将来を考えることが多くなったころに、当時一人で北見の実家(当時の河西牡丹園)を継いでいた叔母から、「ひろちゃん、牡丹園の安定した経営には冬の間の収入が必要だけど、何かいい方法を考えておいて」と言われた。そのころはまだ介護保険制度もなく、老人のための公的な施設は国の「措置」によるものしかなかった。平成12年(2000年)に国の介護保険制度がスタートする5年以上も前のことである。(令和4年9月17日 午後11時38分)
当時は損害保険会社(当時の安田火災海上)に勤務していたので、辞令1枚で北海道から沖縄まで、発令されたら1週間以内に着任しなければならない。母を同道することは不可能である。そこで、万一の場合は当然のことながら老人施設への入居も考えておかねばならない。そのころいろいろと読んだ本のなかで、山井和則著「体験ルポ 世界の高齢者福祉」と斉藤弥生との共著「体験ルポ 日本の高齢者福祉」に書かれている福祉の現場の状況は衝撃的であった。(令和4年9月21日 午後11時43分)
続く
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令和4年9月25日(日)午前10時40分。天気は快晴、現在の気温は22℃、今日の最高気温は24℃、最低気温は11℃(ただし、26日午前4時から日の出の5時15分まで)の予報である。北見は1年中で一番気持ちの良い日が多い季節である。今日の今がそのときである。
今朝はいつもの日曜日そうしているように7時半からフジテレビの日曜報道をみてから、9時からのNHKの日曜討論、そして引き続きの番組も今日のテーマは地球温暖化である。見ていて不思議に思うのは、化石燃料や原子力発電の削減、もしくは廃止と再生エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの非化石エネルギー源)の拡大のみが語られ、植物や特に樹木の働きについて語られることが全くないことである。
誰もが小学校のときに習った植物の光合成については知っているはずである。小学校では植物の葉っぱが太陽の光を浴びてデンプンを作ることを学ぶ。中学生になると理科の授業で、その働きを光合成ということを学ぶ。そして高校生では、光合成とは植物が光(のエネルギー)によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定化する反応であることを学ぶ。(令和4年9月27日 午後11時34分)
もっと分かりやすくいえば、植物は二酸化炭素をその体内に吸収して、酸素を吐き出すのである。
2022年09月04日
独居老人の独り言 令和4年9月
posted by ひろちゃん at 22:50| Comment(0)
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