2018年08月14日

僕の心に残る好きな映画

 最近、映画を見る機会が少なくなった。昔(ビデオやネットが普及する以前)は映画を見るためには映画館に行くしかなかった。今は、ビデオを借りてきて見る時代も終わりに近づいている。
 現在はAMAZONのPRIME会員になっているので、いつでも直接ネットで好きな映画を視聴することができる。 ただし、好きな、と言ってももちろん見たい映画がなんでも見れるわけではない。特に最近の映画には見たいと思うものが少ないし、心に残っているような昔の映画も殆ど見られない。(と勝手に思っている)

 僕は中学2年の1学期までは北海道の北見市で育った。因みに生まれたのは東京、信濃町の慶応病院である。
 昭和20年3月と言えば東京が連日のB29による空襲により甚大な被害を受けていた時である。
 僕が生まれる前年の10月には既に父、久夫は遠くフィリピンのレガスピー空港から戦闘機で飛び立って戻らぬ人となっていた。
 そして、僕は3歳の時に母が病気になり横浜、鶴見の病院に入院したため父の実家である北見市の祖父の許に引き取られた。それから母がようやく退院して何とか普通の生活ができるようになったのを機に僕を取り戻すまで約10年間祖父母の許で暮らした。母の許へ戻ったとき僕は中学2年、13歳になっていた。

 僕の最初の思い出の映画は、小学生のころ毎年12月になると祖父に連れて行かれた「忠臣蔵」である。祖父は昭和の初めまでは道議会議員を務めていたが、昭和2年に最愛の妻を失ってからは政治からは身を引き牡丹園(当時)の創立、整備に全霊を傾けた。そして昭和14年に長男の博をノモンハン事件で、昭和19年には大東亜戦争(太平洋戦争)で三男の久夫(僕の父)を失った。「忠臣蔵」は思い出の映画というよりは祖父の思い出である。

 その後は、中学生の1,2年のころ見た石原裕二郎主演の映画である。当時北見の映画館は北見銀座と言われた繁華街に2軒か3軒あり、2軒は邦画、他の1軒は洋画が専門だったような気がする。邦画は確か東宝会館とか言ったと思うが、誰かと一緒に見に行った記憶は無いので一人で見に行った。「嵐を呼ぶ男」(昭和32年公開)、「風速40メートル」(昭和33年公開)、「錆びたナイフ」(昭和33年公開)、「紅の翼」(昭和33年公開)、「陽のあたる坂道」(昭和33年公開)などが記憶にある。
 中でも「陽のあたる坂道」は田舎町に育った自分にとって、東京の生活は眩しく憧れに近い存在に映った。
そのころの記憶には洋画も何本かあり、他は忘れたがウイリアムホールデンの「慕情」(昭和30年公開)が内容は憶えていないが記憶に残っている。

  中学2年の2学期から(昭和33年か34年だと思う)僕は東京へ出てきて母と一緒に暮らすようになった。母はとても映画好き(といっても洋画だけで邦画は全く見ない)だったので、その影響を受けて僕も見るのは殆ど洋画だった。
  と言っても、当時は映画館で見た記憶は殆どなく専ら当時普及し始めたテレビ、それも我が家ではテレビを買う余裕は無かったので、大家さんの(当時は間借り暮らしだった)テレビを大家さんの留守中にお手伝いさんに、内緒で見せてもらった。
  また、母からは映画音楽についてもいろいろな名曲を教えてもらった。「エストレリータ」(1913年メキシコのマヌエル・マリア・ポンセ作詞・作曲)は誰の演奏で聞いていたのか記憶がないがよく聞いた。ビリーワイルダーの「Love in the Afternoon」の「魅惑のワルツFascination)」などなど、数え上げたらきりがない。これはマントヴァーニの演奏でよく聞いた。

  映画館に映画を見に行く時代からビデオ屋ができてビデオを借りて映画が見れるようになると、片っ端から面白そうな映画を借りて見た。
  思い出すままに挙げると、母に薦められて見たスペイン映画「汚れなき悪戯」、アラン・パーカーの「Midnight Express」、ピーター・ウイアーの「モスキート・コースト」、「刑事ジョン・ブック/目撃者」。アンリ・ジョルジュ・クルーゾーのイブ・モンタン主演「恐怖の報酬」、デビッド・リーンの「戦場にかける橋」、「ライアンの娘」、「ドクトル・ジバゴ」、ビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」、ジュゼッペ・トルナトーレの「ニュー・シネマ・パラダイス」、ピエトロ・ジェルミの「鉄道員」、「刑事」、フェデリコ・フェリーニの「道」、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」、ビットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」、クロード・ルルーシュの「男と女」、ニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」、「フルメタル・ジャケット」、シドニー・ルメットの「12人の怒れる男」、マイケル・チミノの「デイア・ハンター」、フランク・キャプラの「素晴らしき哉人生」、チャールズ・チャップリンの「ライムライト」、「街の灯」、アルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」、リチャード・ギア、デブラ・ウインガー主演、テイラー・ハックフォードの「愛と青春の旅立ち(原題はAn Officer and a gentleman)」、ジャック・タチの「僕の伯父さん」、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグの先駆ルイ・マル弱冠25歳の、そしてジャンヌ・モローとマイルス・デイヴィスのミュートトランペットの存在感が印象的な「死刑台のエレベーター」、高峰秀子主演、木下恵介の「二十四の瞳」、同じコンビ+佐田啓二の「喜びも悲しみも幾年月」、小津安二郎の「東京物語」、「晩春」、「秋刀魚の味」、 黒沢明の「蜘蛛の巣城」(これは確か北見で見た)、「七人の侍」、「生きる」、小林正樹の「切腹」、「東京裁判」、「上意討ち 拝領妻始末」、熊井啓の「日本の熱い日々・謀殺下山事件」、「愛する」、監督や映画の内容は全く憶えていないが、主題歌の「Temptation」と主演女優のエレオノラ・ロッシ・ドラーゴは今も鮮明に憶えているイタリア映画「激しい季節」、ジェームスデイーン出演、エリア・カザンの「エデンの東」、ジョージ・ステイーブンス監督の「ジャイアンツ」、ニコラス・レイ監督「理由なき反抗」、マックイーン主演のピーター・イエーツ「ブリット」、マックイーンとダステイン・ホフマン主演のフランクリン・J・シャフナー、「パピオン」、ジーン・ハックマン主演、ウイリアム・フリードキンの「フレンチ・コネクション」・・・・・
 
  10年前のぼたん園でまだまだCOOPも、街灯も、もちろんLAWSONも無かったころ、夜10時頃外出から帰り、真っ暗な参道を歩きながらふと空を見上げると、黒々と天に向かって立つ木々の間から見たあの天の川のように輝く星たち。僕の心は君たちでできている。今でも。

   僕は嘘と虚構は嫌いだ。だから小説や映画もリアリテイーの無いものは興味が無い。一時期は宮崎駿の「風の谷のナウシカ」や高畑勲の「火垂るの墓」などのアニメ映画も新鮮に思えて見たが、僕にとってはやはりアニメは現実感がない。小説であっても所謂「社会派」と呼ばれるものや「ドキュメンタリー」ものが好きだ。
  「事実は小説より奇なり」というが作り物より、事実(真実)が一番面白い。だから映画も現実感の無いものは面白くない。俳優も「演技」を感じさせない俳優がいい。僕は特に最近の日本のイケメン俳優は映画俳優としては落第だと思うし興味がない。男としていかにも中味が薄っぺらい感じがしてしまい個性の強い俳優のほうが好きだ。洋画では単なるイケメンは通用しない。素人を起用して全く演技を感じさせない映画がたまにあるが新鮮でいい。

  蛇足だが、母が亡くなる2,3年前に我が家に自分で手作りの小さなホームシアターを作った。小さいながらスクリーンだけは100インチのスクリーンを入れた。映画好きだった母への親孝行のつもりだったが、世田谷まで迎えに行って川崎の我が家で映画を見て、また世田谷まで送って行った。最初に見せたのがチャン・イーモウの「初恋の来た道」とジュゼッペ・トルナトーレの「ニュー・シネマ・パラダイス」だったと記憶している。そのころから母は段々億劫になって見に来る回数も減り、もっといっぱい見せたかったが果たせなかった。
  今は、僕が半年は北見にいるのと、ビデオ屋が無くなったので見る機会が少なくなった。それと最近の新しいオーデイオ・ビジュアルの機器やケーブルは昔の機器には対応しておらず、ついつい面倒になって宝の持ち腐れ状態になっているが、時代はどんどん進んでNetを通じていつでも好きな映画が見られる(on demand)らしいので近いうちにまた復活させようと考えている。
 
posted by ぼたん園々主 at 10:40| Comment(0) | 日記
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