2022年09月04日

独居老人の独り言 令和4年9月

 早いもので、9月に突入してしまった。今日は9月4日、9月最初の日曜日である。朝から晴れて、爽やかで気持ちのいい一日であった。午後から昨日やり残したお大師様の参道の回りの草刈りをした。朝方の起きたては少し寒く感じたので薪ストーブを点けた。そして今、午後の10時26分だが夕方、草刈りを終えてからシャワーを浴びてパジャマに着替え、そのまま食事の支度をして後片付けなどしているうちにもうこんな時間になってしまった。少し寒いので灯油ストーブを点けている。(令和4年9月4日午後10時32分)

 先日、東武で買い物をした後、コーチャンフォーでいつものように本を見ていたら、月刊誌「Wedge ウエッジ9月号」の表書きに「デジタル庁設置から1年 漂流する行政デジタル化 こうすれば変えられる」とあるのに目が止まった。パラパラと捲ってみると、その52ページに「曖昧すぎる日本のかかりつけ医 実現に必要な「公」の視点」という記事があり、以前から日本の行政のデジタル化の遅れはもちろんだが、「かかりつけ医」についても非常に疑問に思っていたので、早速購入して帰宅した。

 記事の筆者は、福祉ジャーナリスト 浅川澄一(あさかわ すみかず)とある。経歴を見ると、1948年生まれ、慶応大学経済学部卒、日本経済新聞社に入社。87年に生活情報誌「日経トレンディ」を創刊、初代編集長、編集委員を経て98年から高齢者ケア、少子化やNPO活動など、社会保障全般を担当、2011年に定年退社、現在は公益社団法人長寿社会文化協会理事、となっている。(令和4年9月6日午前2時30分)

 記事によれば(原文のまま)、
 コロナ禍の2021年初春からワクチン接種が始まった。「接種は住民が通い慣れた地域のかかりつけ医で」と日本医師会は主張した。主張が通り、自治体が地元医師会を通じて診療所での接種をスタートさせた。だが、トラブルが多発する。

 「かかりつけ医のはずなのに、接種できないと言われた。おかしいわね」。住民は時々受診する近くの診療所から、「定期的に受診しないのは、かかりつけ患者ではない」と断られたという。そこで住民は一度も受診したことのない遠方の診療所にいくつかあたり、やっと接種できた。その診療所が「かかりつけ医」であるはずがない。かかりつけ医とは何か。各地で疑問の声が上がった。

 中略。実は、かかりつけ医という用語には法律や制度上の裏付けは一切ない。医師の一方的な思い込みで「私はあなたのかかりつけ医です」と決められてしまう。コロナ禍で多くの日本の医療制度の歪みが露呈した。責任をもって住民を診察する医師が明確でないことが明らかになった。「受診の自由」(フリーアクセス)を否定され、診察を受けられない患者が続出した。医療制度の根底が揺らいでいる。(以上同誌P52、53より抜粋)(令和4年9月6日午後2時23分)

 大分時間が空いてしまったが、続けよう。僕の母は平成14年に78歳で亡くなったが、以前の記事でも書いたように若くして戦争未亡人となり、生まれたばかりの赤ん坊の僕にミルクを飲ませるために父の実家である北海道の北見に行き、苦労したあげくに病を得て8年半もの横浜での闘病生活を余儀なくされた。その間僕は北見の祖父母に引き取られ、中学2年13歳の時に母の退院に伴い母の許に戻された。

 それからは、母と二人で僕が伴侶を得て独立するまで暮らしたが、その間母は病み上がりの身に鞭打つような苦労をしながら僕を育ててくれた。晩年は酸素ボンベを常時携行するような状態であったが、何度僕たち家族(孫も三人になっていた)と一緒に暮らそうと言っても、自分で自分のことができるうちは一人がいいと頑なだった。僕たちに負担をかけたくないとの思いだった。

 そんな母の将来を考えることが多くなったころに、当時一人で北見の実家(当時の河西牡丹園)を継いでいた叔母から、「ひろちゃん、牡丹園の安定した経営には冬の間の収入が必要だけど、何かいい方法を考えておいて」と言われた。そのころはまだ介護保険制度もなく、老人のための公的な施設は国の「措置」によるものしかなかった。平成12年(2000年)に国の介護保険制度がスタートする5年以上も前のことである。(令和4年9月17日 午後11時38分)

 当時は損害保険会社(当時の安田火災海上)に勤務していたので、辞令1枚で北海道から沖縄まで、発令されたら1週間以内に着任しなければならない。母を同道することは不可能である。そこで、万一の場合は当然のことながら老人施設への入居も考えておかねばならない。そのころいろいろと読んだ本のなかで、山井和則著「体験ルポ 世界の高齢者福祉」と斉藤弥生との共著「体験ルポ 日本の高齢者福祉」に書かれている福祉の現場の状況は衝撃的であった。(令和4年9月21日 午後11時43分)

続く

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 令和4年9月25日(日)午前10時40分。天気は快晴、現在の気温は22℃、今日の最高気温は24℃、最低気温は11℃(ただし、26日午前4時から日の出の5時15分まで)の予報である。北見は1年中で一番気持ちの良い日が多い季節である。今日の今がそのときである。

 今朝はいつもの日曜日そうしているように7時半からフジテレビの日曜報道をみてから、9時からのNHKの日曜討論、そして引き続きの番組も今日のテーマは地球温暖化である。見ていて不思議に思うのは、化石燃料や原子力発電の削減、もしくは廃止と再生エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの非化石エネルギー源)の拡大のみが語られ、植物や特に樹木の働きについて語られることが全くないことである。

 誰もが小学校のときに習った植物の光合成については知っているはずである。小学校では植物の葉っぱが太陽の光を浴びてデンプンを作ることを学ぶ。中学生になると理科の授業で、その働きを光合成ということを学ぶ。そして高校生では、光合成とは植物が光(のエネルギー)によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定化する反応であることを学ぶ。(令和4年9月27日 午後11時34分)

 もっと分かりやすくいえば、植物は二酸化炭素をその体内に吸収して、酸素を吐き出すのである。
  

 
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2022年08月12日

東京芸大現役生、三人の演奏によるコンサート

 令和4年8月11日、午後14時から北見芸術文化ホールで開催された演奏会を聞きに行ってきました。演奏者は三人で、三人とも東京芸術大学の現役生です。
 岡本卓徳(たかのり、ヴァイオリン)、塩飽桃加(しわく ももか、ピアノ)、本堂竣哉(ほんどう しゅんや、ピアノ)の三人で、岡本卓徳さんは北見市端野町の愛し野内科クリニック院長の岡本卓(たかし)先生のご長男です。岡本さんは、北見出身で現在2年生、塩飽さんは広島市出身で同じく2年生、本堂さんは北見市出身で1年生です。(令和4年8月12日 午前0時15分)

<北見芸術文化ホール>
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今回の演奏会は愛し野内科クリニックの主催で、入場無料、全席自由席です。入場整理券は必要ですが当日の入場も可能です。4日間とも13時30分開場で14時からの開演ですが、連日の開演前と終了後は岡本先生が来場者のお出迎えとお見送りをなさっていました。演奏会の運営はクリニックのスタッフの方やボランティアの方々のようでした。

<ホール内の演奏会場入り口付近。連日、岡本先生が入場者の出迎えと見送りをされていました>
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<演奏会場の客席後部からステージを見る>
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 演奏会は「オホーツク・ミュージック・フロンティア」と題して、ベートーヴェン・バルトーク・フォーレ ヴァイオリンソナタ全曲演奏会となっています。曲目は、演奏者自身も途中で話していたように高度の演奏技術を必要とする部分も多く、聞いていても結構な力仕事であることが分かります。とてもこれだけの曲を4日間も連続で溌溂として演奏できるということは若さ故に可能なことと感じさせてくれる演奏会でした。

<当日のプログラムから>
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 プログラムの最後に、主催者の「ごあいさつ」として愛し野内科クリニック 院長 岡本 卓 の名前で次のように述べられています。(末尾の部分から一部補足を加えた)
 「我々は、(新型コロナ感染症蔓延で、いったん消えた)クラシック音楽の灯火の再点火を目論み、今回の企画を立案した。三人の芸大生に生演奏を4日間繰り広げてもらうという意欲的なものだ。そしてフレンドリーコースも付け加えた。(演奏会が終わったのち、連日18時過ぎから、地元の皆様との音楽交流として演奏者によるヴァイオリンとピアノのフレンドリーレッスンを開催)以下途中省略。
 この新しい試みが成功し、さらには、来年への布石となれば幸いである。」

<岡本院長の「ごあいさつ」>
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 このような試みがクラシック音楽の生演奏を通して、子供から大人、お年寄りまで北見市民の憩いとなり、心の栄養となって広がってゆくことを期待し、来年以降もますます参加者が増えてゆくことを楽しみにしたいと思います。(令和4年8月13日午後11時51分)
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2022年08月02日

独居老人の独り言 令和4年8月

 今日は8月2日(火)、早いもので、5月10日に北見へ帰宅してから3か月が経とうとしている。関東は連日猛暑、というよりも酷暑というのがピッタリのようだ。今の北見の気温はスマホでは17℃。今日の最高気温は19℃の予想だ。天気は曇りで、恐らく園内の気温は17℃くらいだろう。室内でも少し肌寒いので、さっきから薪ストーブを焚いている。川崎では考えられないことだろう。

 さて、7月に続いてもう少し「イタリア郷土料理美味紀行」を続けよう。

<Veneto州。州都はヴェネツィア。 同書26,27ページより>
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<アドリア海に面したラグーナ(潟)で獲れた魚介料理は、どれも旨そうだ。 同書28,29ページより>
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<一度は行って見たいシチリア島。州都はパレルモ。食材があまりにおいしいので私はたちまち虜になり、シチリア島に3年余り暮らした、と筆者は書いている。 同書68,69ページより>
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<まぐろづくしの町トラバニ、パレルモのウニのパスタは垂涎の一皿。これだけでも行く価値はありそうだ。 同書70,71ページより>
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 2冊目は「Winart The Magazine for Wine Lovers」。コーチャンフォーのワインコーナーを見ていて、同誌の特集 「ポルトガル 知られざるヴィーニョ・ヴェルデの世界へようこそ!」が目に入った。
 ポルトガル。ヴィーニョ・ヴェルデ?2017年(平成29年)の10月22日〜31日までの10日間のポルトガル・スペインを巡るツアーに参加したときのことを思い出した。(2018年1月14日付の記事「中世の遺産と大航海時代の栄華に出会うポルトガル・スペインの旅ー前編参照)

<ワイン&フードマガジン 特集/ポルトガル ヴィーニョ・ヴェルデ 「Winart」No.109>
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 ツアー4日目、10月25日は朝8時30分にポルト郊外のホテルを出発、この日はバスでの市内観光で石畳の坂道と中世の古い石造り建物が立ち並ぶ市街を見た。ポルトガル伝統の青いタイル(アスレージョ)が印象的なサン・ベント駅の朝の通勤風景を見た後、昼前に訪ねたのがドウロ川に架かるドン・ルイス1世橋のすぐそばにあるポートワインの老舗、サンデマンワイナリー(1790年創業)だった。

<ユネスコの世界歴史遺産にも登録されているポルト歴史地区。同誌17ページより>
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<ドウロ川の上流で収穫されたブドウから造られたポートワインはここから積み出される。ポルト歴史地区からドン・ルイス1世橋を渡った対岸(写真手前)にはサンデマンをはじめワイン貯蔵庫がならぶ。同誌52、53ページより>

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 サンデマンワイナリーでは、大きなワイン樽がずらりと並ぶ広大なワイン庫や1900年代初めのヴィンテージワインが「VINTAGE1906」、「VINTAGE1909」・・・・と名札がつけられ、ズラリと並んで保存されているところを見学して、最後はポートワインの試飲も体験した。アルコール度が高く、芳醇な香りが特徴だ。

 ポルトガルは9月〜11月が秋で、10月〜2月は雨期だそうなので、雨期のはじめになるがツアー中は雨の日はほとんど無く、日中は夏のような陽射しの日も多かった。夜も15℃前後で過ごしやすかった。雪は降らないと言っていたが、それを除けば北海道の気候に似ているなあと思った。

 ポルトガルのあとはスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラを経由してマドリッドに向かったが、途中バスの車窓からはブドウ畑がどこでも見られるし、途中立ち寄るレストランでもホテルでもその地で収穫されたブドウから造られたワインが必ず供される。

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 3冊目は国内に戻って、「戦国武将が眠る霊峰 高野山 空海が求めた密教の聖地」(三栄ムック 時空旅人 ベストシリーズ)である。コーチャンフォーに限らず、本屋で必ず「高野山」や「空海」「弘法大師」の文字が目に入ると必ず手に取って見てしまう。
 河西のルーツが四国讃岐(正確には旧香川県大川郡白鳥(しろとり)町。現、東かがわ市)にあるからである。空海の生地は讃岐国多度津郡屏風浦(現、香川県善通寺市)であり、従って河西家は代々真言宗なのであり、菩提寺は白鳥の千光寺なのである。

<完全保存版 サイエンスムック 時空旅人 ベストシリーズ 「高野山」(三栄)>
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 白鳥町のホームページには以下のように書かれている。                       
  香川県東讃地区の白鳥、大内、引田町は手袋の町。明治時代から手袋産業が栄え、今では全国で90%
  以上の生産量を誇っています。手袋産業の開祖はこの町の千光寺の副住職であった両児舜礼(ふたご
  しゅんれい)が、明治の中頃、大阪においてメリヤス手袋製造業を始め、その後舜礼の弟子であった
  棚次達吉らがその技術を広め、今では日本だけでなく、世界の手袋産地として有名です。以下省略。

 そのようなことで、ぼたん園園内には弘法大師像があり、今は10年以上前に老朽化のために取り壊されたしまったが、現在は河西建設の駐車場となっているところに東西に細長い建物があり、一周すれば四国八十八か所の参拝ができる礼拝所があった。

 さらに、祖父の貴一が生前に建立した河西家の墓が高野山の奥の院のすぐ前の霊園にある。5,6年前になるかと思うが、妻と車で墓参りに行ったことがある。伊勢に一泊して伊勢神宮に参拝した後、高野山まで足を延ばし、菩提寺(普賢院)の宿坊に一泊し、翌朝墓参した後、奥の院を訪ねた。
 僕がまだ北見にいた小学生か中学生のころに数度、祖父や祖母に連れられて高野山の宿坊に宿泊した記憶がある。そのときの境内や寺院の森閑として幽玄な記憶が蘇った。

<高野山1200年、悠久の時を超えて、今―。同誌18,19ページより>
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<空海の生涯にみる 高野山成立と弘法大師伝説の誕生。同誌24,25ページより>
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<古地図と古写真で訪ねる高野山 奥の院。同誌40,41ページより>
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(令和4年8月3日 夜)

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 いくら誠意を持って接しても相手には伝わらないこともある。他人の心だけは自分の思うようにはならないのである。それが明らかに相手の誤解であっても相手がその誤解を解く意思がない場合はどうしようもないのである。こちらが誤解を解こうとすればするほど、さらに頑なになってしまう場合はどうすることもできない。(令和4年8月4日18時27分)

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 今日は8月6日、原爆から77回目の「原爆の日」である。一瞬にして亡くなった人はもちろん、その年(1945年、昭和20年)の末までに亡くなった人は14万人と言われている(広島市推定)。一人一人に親があり、子供があり、兄弟があり、夫があり、妻があり、恋人があり、そして過去があり、未来があったはずである。

 今、僕はこうして77歳の齢を重ねてなお、これから先のことをあれこれと心配している。人間の運命とは何なのだろう。父は23歳で家族のため、国の為に死ななければならなかった。僕はこの歳にして、子供たちに、あるいは孫たちに何を残せるだろうかを心配している。明日、大地震が起きて、あるいは1か月先に癌が見つかって余命1か月を宣言されるかも知れないのに。

 自分が生まれてきた、そして今まで生きてきた意味って何なんだろう。誰かを幸せにしたのだろうか。誰かを不幸にしたことにさえ気づかずに生きてきたのではないだろうか。愛するってどういうことなんだろう。キリストは人間を救うために自ら十字架に架けられた。自分は愛する者のために躊躇なく死ねるのか。言葉ほど頼りないものはあるだろうか。言葉にすればするほど虚しさが増すような気がしてしまう。(令和4年8月7日午前0時18分)

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 令和4年8月7日(日)、現在の時間は13時30分。午前中まで曇っていた空が今は晴れてオホーツクブルー(川崎の空とも、九州や沖縄のそらとも違う透明なブルー)の空に薄く白い雲が、水彩画のように時の経過とともに、ゆっくりと形を変えながら浮かんでいる。午前中は23℃だった気温は今は25℃に上がっている。朝方は少し寒く感じられたので薪を焚いたが、今は窓を全部開けて室内のドアも全て開け放している。

 午前中にテレビで三浦綾子の生涯を纏めた番組をやっていたので見ていたが、生きるということの意味や最悪の状態のときに彼女に生きる希望をもたらした二人の男性(後に二人とも夫となり支えた)とのこと、小説に込めた思いなど前夜思ったことと重なる内容だったので、途中からではあるが録画した。(8月7日夕方)
 
 三浦綾子は旭川の出身で北見に近いし、クリスチャン(プロテスタント)でもあり、また確か夫の三浦光世氏は牡丹園に来園されたこともあるので、以前から関心は持っていたが、その著作は「塩狩峠」(文庫本)を10年近く前に購入して途中まで(最初の方で、今はほとんど憶えていない)しか読んでいない。

 小説よりも彼女の生き方や、二人の男性(夫)との精神的な遣り取りに関心がある。24歳で肺結核を発病してから次々と襲ってくる病魔と闘いながらも1999年(平成11年)に77歳で亡くなるまで、短歌、小説と著作を続けた。こうした経歴を知ると、環境は全く違うが年代や長年の間病苦と戦った一人の女性として、どうしても母のことを想ってしまう。人間の強さとは、そして愛の強さはどこからくるのだろうか。(令和4年8月9日午後4時52分)

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 BURUCKNER SYMPHONY No.9 IN D MINOR LOVRO VON MATACIC CZECH PHILHARMONIC ORCHESTRA をBGMに、この記事を書いている。

 誰にも邪魔されることなく、誰に気兼ねすることもなく、深く音楽とともに思考を集中することができる。何という幸せなことか! 11日(木)から14日(日)まで、連続4日間の若い演奏家の清新な音楽に浸った後の至福のときである。

 今日、15日(月)は77回目の終戦の日である。午前中に園内の観音様と弘法大師様にお参りをして、昭和14年8月29日ノモンハンにて26歳で戦死した伯父、博さんと、我が父、久夫(昭和19年10月25日、フィリピンのルソン島レガスピー沖にて特攻死、享年23歳)に感謝の念を捧げた。朝から晴れて気温は午前中で24℃と爽やかであった。午後になって、2時ころから雨が降り始め今の時間も外は雨が降り続いているようだ。

<77回目の終戦記念日の空。早くも秋の気配>
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<爽やかな朝の陽に樹も草も伸び伸びとしているようだ>
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<青空に観音像が映える>
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<赤子を左手に抱える弘法大師像>
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(令和4年8月16日午前0時12分)

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 令和4年8月19日(金)午後12時50分になろうとしている。今日の現在の気温と最高気温は19℃、最低気温は15℃の予報だ。昨夜から午前中までは雨がふっていたが、今は雨は止んでさっきまでは陽が射していた。夜中は少し寒く感じたので、灯油ストーブを点けていたが今は薪ストーブを空気を遮断して弱めに焚いている。

 SCHUMANN PIANO CONCERTO(PIANO ARGERICH) & VIOLIN CONCERTO(VIOLIN KREMER) CHAMBER ORCHESTRA OF EUROPE conducted by HARNONCOURT を聞きながらこの記事を書いている。
 一昨日、17日に東武イーストモールに買い物に行った帰りにコーチャン・フォーに寄って、いつものように店内を一回りしてきた。 

 今回購入したのは、2冊。1冊目は帯広の株式会社クナウパブリッシングという出版社が発行する季刊(年4回)マガジン「スロウ(SLOW)」。社名の「クナウ」はアイヌ語のクナウ(福寿草)・ノンノ(花)から取った、と書いてある。2冊目は買う積りはなかったが、手に取ってパラパラとページをめくっていると、食いしん坊の自分には堪らない写真が目について、7月31日に記事に書いた「イタリア郷土料理美味紀行」を思い出してしまった。「ブルーガイド わがまま歩き イタリア」(実業之日本社)である。

 「スロウ」は、巻頭特集として「花咲く庭のおすそ分け」と題し、(令和4年8月20日午前0時)3軒の手造りの庭を持つカフェを紹介している。いづれも北海道の自然に魅せられて、道外から夫婦または夫婦と娘で移り住み、こよなく愛する地でそれなりに苦労もあったはずの歴史を重ねながらも癒しを求めて訪れる人々との心の触れ合いを大切にしている様子が伝わってくる。(令和4年8月22日午前0時49分)

 因みに3軒は、それぞれ海編、森編、山編として、海編では、新冠町(にいかっぷ。サラブレッドのふるさとでもあり、百名山の幌尻岳登山口でもある町)にある小さなガーデンカフェ、「茶菓いっ風」を取材している。
 およそ40年前に広島県から移住してきた夫婦と娘がオープンして16年目を迎えたガーデンカフェからは放牧されているサラブレッドと、その向こうには太平洋が見える。

 森編は、四季彩の丘や青い池などの観光スポットで知られる美瑛町の人里離れた森の中に建つログハウスの「cafe de La Paix(カフェ・ド・ラぺ)」である。パリやアルジェリアなど、海外で暮らした経験もあり、東京での生活を送る一方で夫婦で「山の中のログハウスで暮らしたい」という夢を求めて20年以上前に辿り着いたのが、美瑛の地であった。春から秋にかけては美瑛、冬の間は店を閉めて暖かい海外や沖縄などの南の国で暮らす。

 山編は、道南の駒ケ岳の眺望にひと目惚れした夫婦が、畑と森を挟んだ先に駒ケ岳が一望できる草地を購入し、住まいを建て2014年の春にカフェと1日1組限定の山小屋風の宿「cafe&lodge coco-desse(ココデッセ)」をスタートさせた。カフェの裏側(庭がある反対側)のテラス席からは四季折々の変化を見せる駒ケ岳が悠々とそびえる姿が一望できる。(令和4年8月25日午前1時25分)

 その他にも、北海道の定番スポットともいわれる5つの「北のガーデンめぐり」として、2009年に開園し、23ヘクタールの広大な面積に7つのガーデンエリアを持つ帯広市の隣り、幕別町の「十勝ヒルズ」。

 そして僕の好きなマウレ山荘からも近い滝上町、昭和59年(1984年)から町が芝桜に続く観光スポットとして、山を切り開いて造った「香りの里ハーブガーデン」。4ヘクタールの敷地内には約300種類のハーブを含む草花が植えられている。

 3番目は札幌市郊外にある、畑造りが好きだった父親が残した山を引き継いだ娘姉妹が経営する「エルクの森ガーデン」。山裾から斜面を昇るように造られたパークゴルフコース(ゴルフ場は1989年オープン)とガーデン、さらにその奥には野菜畑やワインブドウ畑があり、ワイナリーも併設する。

 4番目は帯広市郊外にある「真鍋庭園」である。ここの最大の特徴は道内はもちろん、道外や海外(主にカナダ、アメリカ、イギリス、ロシア)から導入した針葉樹が中心の森であることである。帯広には河西の親戚(祖父貴一の兄弟・姉妹の系譜)も多いので「真鍋庭園」にはずっと関心があったが、未だ訪れたことはない。今回この記事で、初代の真鍋佐市氏が香川県からの入植者であることを知った。昭和初期に3代目が庭園の原型を造り、現在は5代目とのこと、ぼたん園との歴史の類似性を感じる。

 最後は旭川市郊外の「上野ファーム」である。TVドラマ(だったかな?)で話題になった「風のガーデン(富良野町)」のデザイナーとして知られるようになった若くて可愛い女性ガーデナー(上野砂由紀さん)一家が経営するガーデンである。上野家はそもそもは1906年から代々続く米農家だったとのこと。1983年に米の個人販売を始めたことが転機となった。砂由紀さんの母、悦子さんが米を買いに来てくれる人たちに見て貰いたいと敷地内の山の周辺にハーブを、田んぼの畦道にルピナスを植えたのが始まりだったという。2001年には、イギリスでガーデニングを学んでいた砂由紀さんが帰国、家族総出での庭造りが始まる。(令和4年8月27日午後12時24分)

 その他にも、道内各地の山野草や高山植物を専門に扱う園芸店(札幌)、1年中花が楽しめるドライフラワー専門店(札幌、富良野、オンラインショップ)、「植物の持つ力を信じる」ガーデンデザイナーとランドスケープデザイナーが母娘の願いを叶えて造った人気カフェ(幕別町)、6月中旬、マーガレットの白い花で埋め尽くされる散策路のある牧場(十勝中札内村八千代地区)などなど、自然好きにはたまらない記事に溢れている。

 どの記事にも共通しているのは、北海道の自然に魅せられた人たちの自然に対する愛情の深さである。優しいばかりではない、自然の厳しさを家族やパートナーとともに乗り越えて、ガーデンやカフェを訪れた人たちの喜びを自分たちの喜びとし、明日への活力としていることである。若いうちはそれほどに感じなくても、人間は年齢を重ねるに従い自然に回帰することで初めて安寧と安らぎの生活を取り戻すことができるという事実に本当に気がつくのだと思う。

<コンセプト型通販付きマガジン「スロウ」(クナウマガジン)と「わがまま歩き イタリア」(実業之日本社)>
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 「ブルーガイド わがまま歩き イタリア」は、パラパラとページを捲るだけでも楽しい。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ナポリなどの魅力的な都市、イタリア・アルプスでは東のドロミティ街道とコルチナ・ダンぺッツオを起点とするハイキングを、西のヴァッレ・ダオスタの州都アオスタからロープウエイで行けるピラの展望台からモンテ・ビアンコ(モンブラン)、モンテ・チェルヴィーノ(マッターホルン)、モンテ・ローザを一望してみたい。さらには、紺碧の海と急峻な崖に建ち並ぶパステルカラーの家々が美しい「アマルフィ海岸」、そして地中海に浮かぶイタリア最大の島シチリアにも渡ってみたい。

 美の国、芸術の国でもあるイタリア。教会建築もさることながら、ローマではヴァチカン美術館システィ―ナ礼拝堂の「最後の審判」(ミケランジェロ)、同じくヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ像」、フィレンツェのウフィツイ美術館では「ヴィーナスの誕生」、「春」(ボッティチェッリ)、「受胎告知」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)、「聖母子と二天使」(フィリッポ・リッピ)を、ミラノのサンタ・マリア・テッレ・グラツィエ協会にある「最後の晩餐」(ダ・ヴィンチ)などは是非見ておきたい。(令和4年8月27日午後11時9分)

 その他にイタリアに行ったら是非見たいもの、聞きたいものがある。それは、一つには最近でこそ観る機会がほとんど無くなってしまったが、大好きだったイタリア映画の舞台となったところを訪ねてみたい。そして、もう一つはやはり本場のオペラを観て聴いてみたい。

 最後に、食いしん坊の自分としては最大の楽しみであるイタリアの郷土料理を、その地のイタリアンチーズとワインと共に堪能したい。有名レストランの一流料理人が造る料理もいいが、できれば田舎の普通の家庭で映画やテレビでよく見るように近くの家族、親戚が集まって一緒に賑やかにおしゃべりをしながら、おばあちゃんの代から伝わるその家の家庭料理を味わってみたいと思う。

 以上のような夢を叶えるには、どうも1週間やそこらのツアーでは無理だろう。やはり、少なくても1か月、できれば3か月くらいはどこかに居を構えて地元のイタリア人と友達になる必要がありそうだ。そして家族ぐるみでの付き合いができるようになれば、毎年1年のうち3か月はそこで暮らし、その地を拠点にして、それこそイタリアを「わがまま歩き」することも夢ではなくなるかも知れない。(令和4年8月29日午後11時4分)

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2022年07月11日

独居老人の独り言 令和4年7月

 令和4年7月11日(月)午後7時44分。今日は午後からは雨が降り、現在の気温は28℃。最高気温は33℃だったようだ。少し蒸しているが、蒸し暑いというほどではない。

 8日(金)午前11時半ころ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説中だった安倍晋三元首相が背後から近寄った暴漢に手製の銃様のもので撃たれ、救急車、ドクターヘリで搬送されたが、同日午後5時すぎに搬送先の病院で亡くなった。

 この日は10時ころから園内の草刈りをしていて、昼近くに近くのスーパーまで車で買い物に行って、帰ってきて正門のところで園内に車を入れて門を閉めようとしていたところに、たまたま通りかかった近くに住む顔見知りの女性から立ち話でニュースを聞いた。

 犯人についても、その背景や動機についてもまだ何も分からないが、何ということをしてくれたのか。これで日本の安全保障はまた停滞するどころか、大きく後退してしまうのではないか。暗澹たる気持ちになった。一度は政権を手放さざるを得ない事態に追い込まれ、政治家にとっての地獄から再び復活し、歴代の首相の誰も成し得なかった安保法制、制限つきではあるが集団自衛権の行使などに道を開き、日米同盟強化、さらにはインド太平洋構想を提唱、その後のクアッドに道を拓いた功績は米欧の首脳の誰もが認めるところである。

 また、その人間的な魅力についても祖父に岸信介、父に安倍晋太郎、大伯父に佐藤栄作、とその生まれや育ちは別としても明確な国家観、歴史観を持ち、側聞するところによれば大変な読書家であり勉強家である。そして、「人たらし」とも言われるような人間的な魅力を持った人物のようである。トランプやプーチンなど一筋縄ではゆかない相手とでも、臆することなく対等な付き合いができる。記憶が薄れてしまったが、確かケネディ駐日大使をファンにしたエピソードもあった。若き官房副長官時代の金日成との拉致被害者返還交渉についても然りである。

 それにしても、67歳はまだ若い。日本は貴重な政治家を失ってしまった。   合掌
(令和4年7月11日午後9時38分記)

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 平成17年6月に叔母が亡くなって、2年後の平成19年から毎年北見へ来るようになってから早いもので今年で15年になる。15年間川崎と北見の二拠点生活を続けていると、それぞれのよいところもわるいところも、あくまでも主観的なものではあるが、年々明確になってくる。

 先ず第一に挙げられるのは気候の違いである。もっとも毎年北見に滞在するのは4月末か5月中旬から9月初めくらいまでで、9月から翌年の4月までは川崎で過ごしているので年間を通じて単純に比較はできない。特に北見の冬は、子供のころ(幼児から中学2年まで)の記憶しかないので、零下20℃の寒さや吹雪の日の通学などはそのころの思い出の中にしかない。

 それでも、わずか8度の緯度の差(北見43°、川崎35°)とはいえ、明らかに1年間の平均気温の差は10℃以上あるのではなかろうか。最近では北見でも4,5月の春先に30℃を超える日があったり、6〜8月には39℃などという、東京で言えば記録的な猛暑日も珍しいことではなくなっている。ただ、総じて言えることは、そうした高温は長続きはせず、7月中旬くらいまではむしろ低温注意報が出るような一桁から10℃台前半程度の寒い日が続く。従って6月までは殆ど毎日薪ストーブのお世話になることが多い。

 ひと昔前までは、北海道には梅雨がないなどと言われたが、その年によっては6月に関東の梅雨のように雨が降り続き、蒸し暑い日が続くこともある。そうかと思えば、昨年のように6月は殆ど雨が降らずに、農家特にタマネギ農家が甚大な被害を受けることも起こる。ただ、関東との一番の違いは暑くても気温の割には湿度が低いので、東京のような寝苦しいような夜はない。特にぼたん園の中は街中より2,3℃は気温が低いので、木陰に入れば過ごしやすい。(令和4年7月18日午後11時31分)

 二番目に挙げたいことは、日常生活の利便性についてである。確かに川崎市の自宅は小田急線の新百合ヶ丘駅からは歩けば20分はかかるが、バス便が充実していて4〜5系統のバスが我が家の目の前(正確には目の下。4階から見下ろすので)のバス停(百合丘カントリークラブ前)を経由しているので、10分とは待たずに利用できる。

 また、歩いて2,3分のところに「イオン・スタイル」と「CO-OP生協」のスーパーもあり、またちょっとした買い物はバスを利用すれば10分ほどで新百合ヶ丘駅まで出られるので、「イトーヨーカドー」や「小田急OXストアー」、「イオン」などで、さらに待ち合わせや会食にはコヒーショップやレストランも各種揃っている。電車に乗れば新宿や渋谷までは30分かからずに行かれるし、都心まででも1時間もかからない。

 これに対して、北見はJR北見駅からぼたん園までゆっくり歩けば30分近くかかる。バスもあるが利用したことはない。専ら北見での日常生活には車は必需品である。車さえあれば、北見市街地であればどこへでも15分あれば行ける。北見駅と市役所までは7,8分、日常の買い物は「CO-OP札幌」か「イオン」、最近は端野町の「東武」まで行くこともあるが、CO-OPまでは歩いても5分、イオンは車で5分、東武は10分ほどかかる。川崎との一番の違いは、駐車場が全て平置きで時間制限なしの無料であることだ。従ってゲートも無ければ、待つことも無い。東武に行くときは近くに「コーチャンフォー」(大規模書店)があるので、立ち寄ることが多く、店内をぐるぐる回って立ち読みをしていると、あっという間に2,3時間は経ってしまう。そういう時でも全く時間を気にすることなく、ゆっくりと用を足すことができるのが最大のメリットだろう。(令和4年7月19日午後11時14分)

<端野町の「東武」こと「東武イーストモール」>
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<北海道の「TUTAYA(書店)」こと「コーチャンフォー」>
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 さらに、日常の特に食料品は川崎では主に僕が自分の好きなものを買い出しに行くのだが、ほとんどの食料は近くのスーパーや駅隣りのヨーカドーやOXやイオンではなく、車で15分ほどかかる新百合から3駅新宿寄りの生田にある「エブリデイ・ロープライス」が売りの「OKストア」まで行く。一番気に入っているのはロープライスはもちろんだが、その経営理念に好感が持てるからだ。例えば、原則として合成着色料や酸化防止剤の添加物がない食品を仕入れていて、止むを得ず添加されているものには大きな字で添加されている旨の表示がされている。

 これに対して、北見ではCO-OPでもイオンでもまだまだ「赤〇〇号」や「青〇〇号」、「亜硝酸」などの表示のある加工肉や明太子を堂々と売っている。有機栽培の表示のある野菜も売っているがまだまだ少数派だ。ただし僕は日本の厚生省が認定する「有機栽培」は子供が大人になるまでの間に何ら影響がないというエビデンスが無い限り信用していない。もっとも、これは川崎でもOK以外は同じようなもので、グルテンフリー(小麦不使用)に至っては北見ではもちろん、川崎でもほとんど見ることはないし、例えあったとしても店中探さないと見つけられない。

 それでも、欧米並みとは行かないまでも合成着色料や酸化防止剤、グルテンフリーなどに関心を示している店舗が北見にも川崎にも全くないわけではない。例えば、川崎でも車で10分ほど走れば横浜市青葉区の美しが丘には「成城石井」があるし、嬉しいことに北見のスーパー「東武」にも品数は少ないが成城石井のコーナーがあり、北見の他のスーパーよりは自然食品に拘った品揃えがある。成城石井がローソンの傘下に入ったからだろうか。北見にもコンビニのローソンは結構多いし、ぼたん園のすぐ向かいにもある。(令和4年7月20日午後5時53分)

 それと、これは生活者の目線で見ればメリットなのかもしれないが、事業者の目線からすればデメリットと言えるかもしれないことがある。それは川崎市と北見市では人口が違う。川崎市の150万人に対して北見市は11万人、そして面積は川崎市が149Kuなのに対して北見市は1,427Kuだから、その人口密度は川崎市の10,784人/Kuに対して北見市は僅かに80人/Kuなのである。何が言いたいかといえば、ともかく空いているのである。道路は渋滞などという言葉とは無縁であり、どこへ行くにも事故でもない限り正確に時間が読めるのである。また、ごく一部の店の特定の時間を除けば待たされる、または並ばなければならないということは有りえないのである。

 これは、事業者の眼からすれば誠に厳しいことで新しく開店しても、最初のうちは物珍しさからそこそこ客はくるが、すぐに飽きられてしまうと閑古鳥が鳴くようになる、というのが北見ではよく言われることである。ぼたん園に国際試合のできるカーリング場を造りたい、と言ってもなかなか大手のスポンサーは手を挙げない。人口が11万ではペイしない、というのがその理由である。新百合ヶ丘辺りでは場所さえよければ、よほどのことが無い限りそこそこの客はつく。もっとも、必要な資金額が違うけれど。(令和4年7月20日午後9時32分)

 そして、3番目に挙げたいことは自然にどれだけ近いかどうかということである。これは圧倒的に北見が勝っている点である。例えば一番身近な水と空気。残念ながら水については北見も川崎も大差はない。どちらも基本的には水道水である。これは水源の違い(北見は常呂川、川崎は多摩川?)はあるがどちらも浄水場で人工的にろ過され、消毒のため塩素が添加されている。

 日本では水道法によって塩素濃度を0.1ppm以上に保つことが決められている。水道水1ℓに1rの塩素が入っていると1ppmとなり、水道法の規定は最低でも0.1ppmとされ、それ以上であればいくら濃くても構わないということである。因みに現状では、東京や大阪のような大都市では1.0〜1.2ppm、地方都市では0.6〜1.0ppmのようである。一方、欧米を見てみると特にヨーロッパでは地下水を水源とすることが多く、塩素を入れていないか、入れていても0.1ppm以下としている国が多いようだ。水道水が美味くないとされるアメリカでさえ0.05ppm以下である。さらには、一時期問題とされた塩素から生成されるトリハロメタンの発がん性についてもうやむやにされたままだ。

 ことほどさように、日本のお役所は有害か無害か確たるエヴィデンスが無い場合は国民の立場に立たずに声の大きい方、圧力(脅しや金の力)の大きい方に引きずられるのである。これは国民が大人しく、欧米のように自己主張が少ないことにも問題がある。国民が関心が薄いから、政治家も票にならないことには無関心を決め込むのだ。話が逸れてしまったが、だから我が家は毎日飲む水は高くても体によいと言われる自然水を買う。一つ水について付言すると、ぼたん園内の住宅の水道水は他にない特徴がある。それは園内の蛇口から出る水道水が、緑園通りと北3線通りの水道本管から敷地内の地中を3,40mほど通ってくるからだ。夏は手が切れるほど冷たく、草刈りなどで汗をかいた手や顔を洗う時は本当に身が引き締まる。西瓜やトマトを冷やすことも訳ない。これは川崎では味わうことはできない。以降8月に続く。(令和4年7月29日午後10時50分)

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 今日は7月31日。現在の時間は午後16時21分、天気は曇り。1時間半ほど前までは晴れて気温は31℃、少し蒸していて、今は26℃で爽やか。因みに今夜の最低気温の予想は16℃だから今夜もぐっすり眠れそうだ。昨日は午前中にローソンの隣の野菜畑(といっても武漢ウイルスが始まってからは野菜は造っていない。園内の住宅(正式には宗教法人の庫裏)近くでの一人分の野菜造りに切り替えた。)の草刈りを炎天下のなか頑張ったので、今日は休養日。スタッフのSさんも今日はお休みなので園内は静かそのもの。

 朝から好きなTV番組の録画を観たり、好きな音楽を聴いたり、そして先日コーチャンフォーで興味の赴くまま購入してきた本を観たり読んだりしている。特にMOOK本のような写真が多い本は、見ているだけでも楽しい。

<こんなイタリアン知らなかった!「保存版 イタリア郷土料理美味紀行」(平松 玲 講談社)>
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 パラパラと頁をめくったら、美味しそうなイタリア料理の写真がいっぱい。走り書き(「はじめに」)を読んでみると、筆者は1995年にフィレンツェに半年ほど暮らすつもりでイタリアに渡るが、イタリア料理のとりこになり18年間もイタリアで暮らすことになる。そもそも当時は食品や料理の写真撮影を生業としていたが、デジタル技術が主流となりそれまでアシスタント修行で身につけた技術が不要となり、進退きわまっていた。

 そして、そもそも料理写真の道に入ったのは、食通の父親とその腹を満たすために母親が上質の食材を仕込んで料理を造り続け、それが昂じて料理研究家になった。だから、生家の冷蔵庫はいつも食材であふれ、料理のおけいこがある日は、その恩恵にあずかる子供時代を送った。初めて出版したグルメエッセイの帯に「食いしん坊カメラマン」と書かれた由縁は一日にして成らず、なのである。そんな自分が食の国、イタリアへ行ったのだからイタリア料理のとりこにならないわけがない。と書いている。

 これを読んで、すぐに連想したのが河西軒(かさいけん)のことである(2020年1月31日の記事「ホテルニューグランド」の<追記>参照)。大正末期から昭和にかけての北海道、それも北の果ての地で当時の西洋式ホテルの最先端をゆく横浜の「ホテル・ニューグランド」から料理人を呼んで本格的フランス料理を出す西洋料理店を経営していた祖父、貴一とみせ夫婦の伝承のことである。その時代には僕はまだ生まれていないが、「食いしん坊」の血はいくらか受け継いでいるような気がする。誠に一人勝手に、妙な親近感を覚えたのである。

 さらには、僕の命の恩人である愛し野内科クリニックの岡本先生が監修した料理本「糖尿病とアルツハイマー病を予防する地中海式和食レシピ」(角川SSCムック)を思い出した(2020年12月2日の記事「独居老人の独り言 愛し野内科クリニック岡本先生との出会い」参照)。イタリア料理は美味いだけじゃなく、身体にもいいんだ。

 さすが写真家だけあってたくさんの写真が掲載されていて、かつそのどれもが実に美味そうでリアルである。そして、18年のイタリア暮らし(その間、フィレンツェ、シチリア島パレルモ、ローマ、ペルージャに居住)と帰国してからも現在まで8年間、毎年数回は渡伊するという現地取材によりイタリア各地の郷土料理を通して料理の由来や歴史までが語られていて読み物としても楽しい。

 この本を読んで、観て、是非にもイタリアに行って現地の料理を味わい、人々と直に触れ合いたいと思った。最近は観る機会が減ってしまったが、数々の名画で楽しませてくれた大好きなイタリア映画の舞台にも立ってみたい。あの素朴なひとたちは今でも変わらず暮らしているのだろうか。

<Contents(目次)よりイタリアの各州。 同書6,7ページより>
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<Lazio州、州都はローマ。 同書8,9ページより>
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<ローマの料理から。 同書22,23ページから>
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 以降8月に続く。(令和4年7月31日午後22時38分) 
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2022年06月28日

自家菜園の様子 

 今日は令和4年6月28日(火)です。時間は午前7時51分、天気はスマホの予報では一日曇りとなっていますが、今現在は快晴(窓から見える空に雲はなく、青い空しか見えません)で、気温は19℃、予想最高気温は23℃です。爽やかな、室内に居ても空気がひんやりと感じます。

 数年前までは毎年、北3線道路を挟んで向かい側、今はローソンの隣の畑でトマト、タマネギ、ジャガイモ、ホウレンソウ、ニンニク、ダイコン、トウモロコシなどを造って、収穫期にはタマネギ、ジャガイモ、ニンニク、ダイコンを日頃お世話になっている東京の税理士さんや家族に送ったり、行きつけの床屋さんにお分けしていましたが、武漢ウイルス以降は園内の住宅近くで専ら自分一人分の野菜を栽培しています。

 昨年は6月にほとんど雨が降らずに油断していたら、全滅(消えてしまった)してしまいました。今年は今までのところ適当に雨も降り、水遣りにも気を配っているので順調に育っています。トマトのためのビニールハウスもビニールを新調しましたが、自分が食べるだけなので大玉2本、ミニ2本しか植えていません。空いたスペースにはキウリ、ナス、ピーマンを植え、それでも余る残り半分はSさんがトマトを植えています。(それでも四分の一は余っています)

<ビニールハウスの中のトマトなど。令和6月13日11:42撮影>
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 それでも気温に合わせて暑い日はビニールの裾を挙げたり、中段や入口のビニールを開けたり、夜は動物(主にキツネ)が入らないようにビニールの裾や入口を締めたりしなければなりません。またビニールハウス自体はあくまでもトマトの雨除けのためのものですから、キウリ、ナス、ピーマン、(特にナス)は水がたっぷり必要なので、雨が降っても2,3日に一度は必ず水遣りが必要です。(令和4年6月28日夜)

<今日は昼で33℃超えです。令和4年6月25日12:36撮影>
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<6月24日12:31撮影>
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 ビニルハウス前の畝には、一番手前に自分自身の消費用のパセリ、レタス、バジル、セロリ、カボチャをそれぞれ1株づつ植えてあります。パセリはみじん切りにして、タマネギのみじん切り(太陽光にできるだけ晒す)とツナ(水煮缶)を混ぜてマヨネーズで味付けしたペーストに加え、それをこんがり焼いたトーストに乗せて食します。バジルはもちろんパスタに、セロリは適当な大きさに刻んでイカクン(イカの燻製)と和えてレモン汁を振りかけてビールのおつまみに使います。カボチャは独自のやり方で、すなはちポンジュース(ミカン)で煮ます。甘党の自分としては、ビート糖(甜菜糖)を少々加えることもあります。

<6月25日12:31撮影>
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 残りの畝にはジャガイモ(男爵)とコンパニオンプランツでもあるニンジンとゴボウの種を蒔きました。ジャガイモは土寄せの手間を省くため、苗を通常より2倍ほど深く植えます。また畝の中央にゴボウの種を筋蒔きし、その両方の外側にニンジンの種を好光性なので浅く蒔きます。

<6月27日10:19撮影>
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<ゴボウ(畝の中央)とニンジン(両脇の二筋)が芽をだしました。6月28日10:31撮影>
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 パセリ、レタス、バジル、セロリ、カボチャは1株づつですが、一人分の必要量としては充分です。ジャガイモやニンジンはカレーやビーフシチューなど、ゴボウは植物繊維が豊富なのでキンピラゴボウや常食しているボーンブロスにと、使い道は多岐にわたります。

 これらに、少し離れたところに今年新しく作った畝に白タマネギの苗を100本と赤タマネギの苗を50本植えました。去年は渇水で全滅させてしまったので水遣りと米糠と油粕(菜種油)を半々に混ぜたものを撒いておきます。これだけあれば一人で半年間の野菜は充分間に合います。そして、毎日安心して美味しく過ごすことができるのですから、本当に自然の恵みに感謝せずにはいられません。感謝!!

<タマネギの畝。6月19日11:48撮影>
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<今年初めての収獲。6月13日11:48撮影>
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<今年初めてのイチゴの収獲。6月24日12:32撮影>
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<手前からキュウリ2本、ナス2本、ピーマン4本、ミニトマト2本、大玉トマト2本。6月28日10:32撮影>
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(令和4年7月10日 午後22:53)

 
posted by ひろちゃん at 08:36| Comment(0) | 日記