2021年04月03日

独居老人の独り言 足柄峠

  令和3年3月31日(水)晴れ、ただし中国からの黄砂により遠景の視界不良な一日でした。気温は高く、半袖では少し寒いかなと思いましたが、ちょうどよいくらいの暖かさでした。

  3月11日の石割山に続いて、3月、2回目の山歩きです。今回も友人のIさんを誘って1200年の歴史を持つ足柄古道を歩きます。足柄山はご存知のとおり金太郎でも有名なところで、麓の大井松田の足柄大橋や今回の駐車場のある地蔵堂、そして足柄峠頂上にも金太郎の像が立っています。

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<地蔵堂への入り口にある金太郎と書かれた案内>

  例によって、朝9時半にI君宅(日野市)に迎えに行き、八王子インターより中央高速に入ります。渋滞はありませんが、結構な台数、特にトラックが目立ちます。今は、圏央道ができて八王子から東名高速の海老名JCTへ簡単に行くことができます。(2015年からはその先、湘南の茅ヶ崎JCTまで開通しています) 海老名JCTで東名高速に入り、少し先の大井松田ICで降り県道をまっすぐ南足柄市方面を目指します。

  欄干に金太郎像が立つ、酒匂川にかかる足柄大橋を渡り少し走ると竜福寺と書かれた信号を右折、緩やかな登り坂を6qほど走ると、左に地蔵堂の案内標識。左折して少しで地蔵堂に到着。ちょうど桜が満開で、地蔵堂の左側の桜並木を進むと左側に駐車場というよりは小公園と言ってもよい広場があります。周りは結構大きな桜の木に囲まれていて、崖の下には清流が流れています。

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<地蔵堂>

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<地蔵堂駐車場の桜>

  身支度をして、地蔵堂の下を通る、足柄峠を越えて御殿場に抜ける車道に出ます。北の方角に矢倉岳870mがよく見えます。車道を少し登って行くと右側に足柄古道の小さな案内板があり、登山道に入ります。ここからは、少し登山道を歩くと再び車道に出て、また登山道に戻るという繰り返しが続き、5,6回繰り返すと、車道脇に休憩小屋とバス停のある「見晴台」に出ます。南の方角に明神ヶ岳(1169m)の頭が見えます。休憩小屋のベンチに座ってコンビニ弁当を広げます。

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<矢倉岳>

  見晴台からは、石畳が整備されていて歩きやすく、途中には「源頼光の腰掛け石」などと書かれた木柱が立つところもあり、その昔名だたる武将や名も無い平民、さらには盗賊なども通る姿を想像してみるのも楽しい時間です。「足柄古道」は、ガイド本のよると大化の改新(645年)頃に足柄道と名付けられ、大和朝廷が官道と定め、その後1200年に渡り利用された。武田信玄や徳川家康などの武将も数多く通り、日本武尊が東征の折、この峠で「あずまはや我が妻よ」と叫んだところとしても知られている。万葉集や更級日記にも登場する。・・・と書かれています。

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<足柄古道の石畳>

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<源頼光の腰掛け石>

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<足柄古道の歴史>


  30分ほど登ると、足柄峠近くの車道に出ます。峠には関所跡などがあるようですが、道に迷って峠を越えて御殿場方面に下ってしまい、途中から気が付いて峠まで引き返すことになりました。
  峠からは車道を反対方向に進み、万葉公園の先から左側にある目立たない「矢倉岳・地蔵堂(万葉ファミリーコース)」の道標に従い、細い道を進みます。すぐに、「熊に注意くま 近くで熊の糞が見つかっています」との立て看板。そうか、金太郎は熊と遊んでたんだ!

  少し行くと、「直進・矢倉岳、右・地蔵堂(万葉ファミリーコース)」の道標。右は結構急勾配な薄暗い針葉樹林帯の中を下って行きます。最近はあまり人が通っていないようで、途中からコースが分からなくなりそうです。でも、ところどころに赤いビニールのひもが巻いてあるので迷うことはありません。
  ファミリーコースには似つかわしくなく、小さな子供には少し危険もあるのでは、と思いながら30分ほど下って行くと、やがて小川にかかる小さな橋を渡り、道は明瞭で緩やかになり植林された杉林の中を進みます。やがて突然茶畑が現れ、茶畑の間の細い道を下って行き川を渡ると午前中に峠に向かって登り始めた地蔵堂の下の車道の下に出ます。

  駐車場に着くと、休む間もなく今登ってきた足柄峠に向かって車を走らせます。峠を越えて御殿場へ向かいます。本来は、ガイドブックに従い人気のあるという日帰り温泉「御殿場市温泉会館」で汗を流す予定でしたが、ネットで確認すると建て替えのため休業中とのこと。
  仕方なく温泉は諦めて、いつも御殿場の冨士霊園に墓参の帰りに立ち寄る「二の岡ハム」でボロニアハムを買って帰ることにしました。二の岡フーズまでの通りは、今が桜並木の満開でした。今回は時間が無くて冨士霊園には寄ることができませんでしたが、恐らく霊園のあの見事な桜並木も満開だったはずです。

  帰り道は、もう10年以上前になると思いますが、閉店してしまった「木戸」という和食料理の店があった、現在の御殿場アウトレットの近くを通ってみました。「木戸」は、御殿場の冨士霊園に眠る母の墓参りの帰りに偶然見つけた店で、料理が美味しく、かつ上品でとても気に入った店でした。また、富士山が店内から正面に大きく見えて、いつも店内がゆったりした雰囲気で、従業員の方たちとも仲良くなりました。御殿場に別荘を構えた岸信介、佐藤栄作など代々の総理大臣が贔屓にしていたとの話も聞きました。

  数年前までは、空き地になっていましたが、今回は、行ってみてびっくり!!パリで三つ星レストラン「Rwstaurant KEI」のオーナーシェフ小林桂が和菓子の「とらや」とのコラボによりフレンチレストラン「Maison KEI」を今年の1月にオープンさせていました。詳しくは「Maison KEI」で検索。
  なお、「木戸」が無くなってからは、国道246沿いにあるフレンチ、「欧風めしや セルポア」を利用しています。小さな店ですが、家庭的なメニューと味が私は気に入っています。「御殿場セルポア」で検索。予約がベターです。

  これからも、できれば月に2,3回は山歩きを続けたいとIさんとは帰りの車中で話合いました。因みに家では毎朝体重を測っていますが、前回の石割山も今回の足柄峠も、翌朝の体重は出かける前より約1s減ることが分かりました。寿命がくるまで元気で生きるためには、毎回の1s減を積み重ねてゆくことを目標にしたいと思います。「1日8,000歩、中強の度歩行20分」とともに目標ができました。

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2021年03月13日

独居老人の独り言 石割山

  一昨日、令和3年3月11日(木)久し振りに(かれこれ5年以上)山歩きに行ってきました。富士山と山中湖が一望できるなだらかな山頂と、二つに割れた巨岩がご神体となっている石割神社を辿る「石割山」です。会社勤務時代から永年一緒に山歩きをしてきた親友のIさんを誘っての山行です。

  朝6時半に目覚めると、昨日の天気予報のとおり雲一つない快晴です。八王子のIさんの自宅まで車で迎えに行って、近くの中央高速八王子インターを利用、コロナ禍の平日とあって渋滞することもなく順調にドライブ、相模湖を過ぎると左右には昔よく通った丹沢や二人で登った懐かしい奥多摩の山々が見えてきます。

  大月で高速道路は甲府・諏訪方面と分かれて左の富士・河口湖方面へと向かいます。ここからは正面に真っ白に化粧をした富士山が、進むに従い大きく圧倒されます。15,6qほど走り、河口湖インターで降りて国道138号線(旧鎌倉街道)を河口湖とは反対の山中湖方面に進みます。

  少し走ると、右側に富士浅間神社、さらにしばらく行くと左に忍野八海で知られる忍野入口の案内板を見て、ほどなく山中湖畔に出ます。そこから山中湖を左に見ながら湖畔沿いに走ります。途中、右折して御殿場へ抜ける国道138号線とは別れて、直進し道志方面へ向かう国道413号線を辿ります。

  湖の東岸の平野の交差点を右折し、道志方面に向かうとまもなく左手に「石割神社」の案内板。そこを左折して、雑木林を抜け川沿いのゆるやかな勾配の道を登って行くと右手に赤い鳥居が見え、その向かい側が駐車場になっていて7,8台の登山客らしき車が駐車しています。

  小さな赤い鳥居をくぐると、一直線に見上げるような階段が続いています。階段は最近整備されたらしく、立派な石段ですが結構勾配がきつく見上げると山の頂上まで一直線に続いているようにみえます。
  あとで聞いたところによると、全部で400段以上あるそうで、この記事を書いている翌々日の今でも足の筋肉が張って歩くたびにびっこを引いているような状況です。
  石段を登り切ったところには、避難小屋を兼ねた休憩所があり小さな広場にはベンチもある。ここで12時近くになったので八王子のコンビニで買ってきた弁当を食べて水分を補給する。

  休憩所からは比較的ゆるやかな笹道を1時間ほど登ると石割神社に到着。小さな鳥居の右手にはご神体のふたつに割れた巨岩がそそり立っています。二礼二拍手一礼して頂上を目指す。神社からの登りは狭く、次第に急な登りとなり、灌木の根が雨に流されて露出しているところもあり、ロープと両脇の笹につかまりながら身体を持ち上げなければならない。

  やがて、前方が開けて石割山山頂に出る。標高1413メートルの頂上は結構広々としていて、眼下には山中湖と正面には少し薄雲がかかっているが、白く化粧をした富士山、右に三つ峠山、富士山とは反対側には御正体山など道志の山が見渡せるパノラマが展開する。風もなく穏やかな日差しのなか、久方ぶりに味わう寛ぎの時間でした。

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<石割山山頂から見る富士山と山中湖>

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<山頂から見る反対側、道志の見正体山>

  山頂からは大平山への道標に従い、急な下り坂をロープに助けられながら30分ほど下ると三叉路になっている平尾峠に着く。ここから直進すると10分ほどで平尾山の頂上に立てるようですが、今日は無理をせず下山を急ぐことにします。平尾峠の三叉路を平野方面の道標に従い左の道を選択します。

  平尾峠からの下り道は最初は平ですが徐々に勾配が急になりますが、道はよく整備されていて石ころもなく、石割山の登りよりはずっと楽に下ることができます。やがて直進は平野方面となるY字路を左に進み樹林帯のなかをジグザグにくだり、沢を渡ると林道に出る。林道を少し下れば間もなく石割神社登山口と駐車場が見えてくる。

  ガイドブックにある駐車場から車で5分の「石割の湯」に寄ってみましたが、生憎この日は休館日。しかし、河口湖インターに戻る途中に姉妹施設の「紅富士の湯」があると入り口に書かれているので、そちらに寄ってみることにしました。「紅富士の湯」は行ってみると、自分の好みは別としてなかなか立派な施設で大浴場あり、霊峰富士を仰ぐ(ただしこの日は見えず)露天風呂やサウナ(ただしこの日はコロナで閉鎖)、大広間兼食堂、個室まで揃っています。

  帰途は渋滞もなく、Iさんの自宅経由で自宅に戻ったのは午後8時頃でした。穏やかな好天に恵まれ、コロナ禍での引き籠り状態から久し振りに正常な日常を取り戻した一日でした。
  できれば、これからも月に2、3度はこうした山歩きを続けたいと思っています。

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<石割山山頂、逆光の筆者>
 
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2021年01月22日

独居老人の独り言 アメリカの大統領選挙について

  令和3年1月21日(木)午後6時20分。快晴、現在の気温は8℃。

  今日の午前2時(現地時間20日正午)、民主党のジョー・バイデンが第46代の米国大統領に就任した。一方、トランプ大統領(当時)は19日、国民に向けて「お別れのメッセージ」をビデオで発表した。約20分間の演説のなかで、「私たちが起こした運動は始まったばかりだ」と述べた。

  今回の大統領選挙については、間違いなく不正はあったと思う。4年前の大統領選挙ではアメリカの大手マスコミはもちろんのこと、日本のマスコミもヒラリーの当選を疑う者は殆どいなかった。ところが、大方の予想に反してトランプが当選した。当時の民主党やメインのマスコミに油断があったことは否定できない。だから、トランプの就任後、ロシア疑惑を捏造(結果的には何ら確たる証拠を提示することはできなかった)し巻き返しを図ったが後の祭りであった。

  アメリカの大統領選挙は、日本の選挙とは大きく異なり各州によって選挙制度も違うようである。
  トランプが当初からツイッターなどで郵便による投票は不正が生じる可能性が高いと反対していたが、現に最近の情報では、投票数の半分は郵便投票によるものであり、四分の一が期日前投票、そして残りの四分の一が投票日当日の投票場での投票であったようである。そして、これは民主党が4年前の教訓から水面下で郵便投票拡大によるトランプの逆転を画策した結果であるという情報もある。

  日本人はアメリカの選挙戦の状況はテレビやネットの映像でしか見ることができないが、それでもトランプの集会の熱気と、コロナ対策のためとはいえバイデンの集会のそれとは明らかな格差が見て取れた。そして、CNN、ワシントンポスト、ニューヨーク・タイムズといったいわゆるメインストリーム・メディアはもちろんのこと、いまや国論までもまでも支配しかねないような力を持ってしまったGAFAまでもがいっせいにトランプの再選を阻止しようとして、あからさまな言論妨害をしている。

  バイデン親子(バイデン本人とハンター・バイデン)のスキャンダルについては、具体的な証拠や証言があるにもかかわらず大手マスコミは全く取り上げようとはしない。このスキャンダルが事実とすれば(その確率は高い)米国及び世界にとって深刻な問題である。クリントン、オバマまでの民主党政権の対中共政策の失敗が今日の中国共産党の傲慢を許してきたことを考えると、バイデン政権の行く末については全く信用ができない。

  幸いにも、武漢ウイルスの蔓延に対する一連の中国共産党の言動によって、大方の西側諸国にもその正体が徐々に知られつつある。国内では香港における一国二制度の蹂躙、チベットやウイグルにおけるジェノサイドともいわれる人権弾圧、そして軍事力や経済力による領土や主権の拡張に対する飽くなき追及。一帯一路戦略、南シナ海、東シナ海における現状変更、中印国境紛争、尖閣における日本に対する明らかな主権侵害、歴史的に見ても理不尽な台湾への恫喝など、その覇権振りは今や見過ごせない存在となっている。

  「中華民族の偉大なる復興」をスローガンとして掲げる習近平率いる中国共産党は、今や建国100周年となる2049年までに世界一の覇権国家となる野望を隠そうとしない。そして、確実に「超限戦」(目的のためには手段を選ばない戦争)や「ステルス戦」(20世紀型の兵器戦ではなく、経済、外交、情報、金融などの「見えざる手段」による21世紀型の戦争)などといわれる巧妙な戦略を世界に浸透させようとしている。

  ようやく、中国共産党の脅威(最終的には世界を共産化することを目指す全体主義国家)に気づき始めた民主主義、人権、法の支配を共通の価値観とする国々が、安倍前首相が提起した「自由で開かれたインド太平洋」のもとに、クアッド(日・米・豪・印)やファイブアイズ(米・英・カナダ・豪・ニュージーランドの軍事情報共有を主な目的とするとする協定で、英国ジョンソン首相は日本の参加を提案している)などの中国包囲網の構築に動き始めている。

  また、トランプ前大統領によって米国が離脱したあとのTPPを安倍前首相が中心となってまとめたCPTPP(=TPP11)には、EUを離脱した英国が正式に加盟申請をしている。もっとも、バイデン大統領に変わった米国と、トランプの米国が離脱した直後からCPTPPへの参加に意欲を表明している中国との間にはこれからも駆け引きが続きそうだ。

  いづれにしても、日本としては同盟国である米国や、価値観を共有する友邦と協調しつつも自主独立かつ世界を主導する気概を持って、間違っても超限戦やステルス戦に篭絡されることなく毅然とした道を進んで欲しい。
  
  
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2020年12月26日

独居老人の独り言 岡本先生の著書について

  今日は令和2年12月26日(土)である。現在の時刻は22時22分。今日は快晴で、現在の外気温は5℃、明朝は2℃まで下がる予報だ。

  昨日まで、第2信として愛し野内科クリニックの岡本卓先生との出会い、そして先生の指導によって自分自身が九死に一生を得た経験を書いた。
  ここでは、岡本先生と出会う最初のきっかけとなった先生の著書2冊、「インスリ注射も食事制限もいらない糖尿病最新療法」(角川SSC新書)と「薬が減らせて血糖値にもしばられない糖尿病最新治療法2」(角川SSC新書)について紹介したい。

  現在、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)の感染者は世界全体では7940万人、死者数は174万人になっている(12月25日現在)。日本の感染者数は21万人、死者は3200人である(同日現在)。
  これに対して日本の糖尿病患者数は糖尿病の可能性のある人を含めると、なんと2210万人といわれている。これはもう完全にパンデミックと呼んでもおかしくない状況である。

  岡本先生がこの2冊の本で警鐘を鳴らしているのは、次のようなことについてである。

1.血糖値はとにかく厳しく下げればよいのか?
  現在の日本の糖尿病治療が厳格な血糖値コントロールを要求するものが主流であり、血糖値は低ければ低いほどよいといわれている。ところが世界の流れはすでに、血糖値は緩やかにコントロールする方向に変わってきているというのである。日本では依然として厳しい食事制限(カロリー制限)やインスリンを中心とする薬物治療が主流となっている。現在日本で常識とされている糖尿病治療がいかに時代遅れになっているのか警鐘を鳴らしているのである。

  それは、以下のようなエビデンスに基づいている。
  2008年2月6日、アメリカで「アコード試験」と呼ばれる糖尿病治療研究の成果が報告された。この検査はそもそも、糖尿病患者の血糖値を厳格に正常化しようとしたほうが、そうでない場合に比べて生存率がよくなることを証明するために2001年にスタートした試験であった。

  試験の対象はアメリカとカナダの糖尿病の患者1万人以上で、ヘモグロビンA1c(注)を6.0%未満に厳格にコントロールして血糖値を正常化させるグループと、ヘモグロビンA1cを7.0%から7.9%の比較的緩やかにコントロールするグループとに分け、追跡して比較した。

  結果は、まったく予想外なものとなった。血糖値を厳格にコントロールしたグループのほうが、死亡率が22%も死亡率が高かったのである。
 *(注)ヘモグロビンA1c:赤血球中のヘモグロビンにぶどう糖が付着した度合いを示す数値で、過去1
〜2か月間の血糖値が反映されている。

  そもそも日本での血糖値コントロールの評価は、ヘモグロビンA1c5.8%未満が「優」、6.5%未満が「良」、とされ、とりあえずは6.5%未満を目指すことになっている。これは1995年に発表された「クマモト・スタディ」という研究のデータがもとになっている。これは日本人の糖尿病患者110人を対象に、6年間治療と追跡調査をしたもので、強化療法といって1日に3,4回インスリン注射をしてできるだけ血糖値を正常化しようとしたグループと、従来のインスリン注射をしたグループとを比較したものだという。
  その結果、糖尿病網膜症と糖尿病腎症について強化インスリン療法を行ったグループによい成績が出たというもので、その数値がヘモグロビンA1c6.5%であったということが根拠となっている。

  これについて、岡本先生は@インスリン治療では必ず低血糖が起こるが、患者たちに重症の低血糖がほとんど起きていないこと、Aインスリン強化療法では必ず見られるはずの体重増加がほとんど起きていないこと、B研究に参加したのが熊本大学と二つの関連病院だけで対象110人という限られた人数であり、追跡期間も短いこと、などの疑問を呈している。

  以上のような日本の血糖値コントロールの評価に対して、欧米で採用されている血糖値コントロールの目安はヘモグロビンA1c7.0%が採用されている。これは1998年に発表された「UKPDS」と呼ばれる、イギリスの糖尿病合併症予防に関する研究で、3867人の糖尿病患者の治療と10年間の追跡調査の結果に基づくものである。

  この研究では、血糖値と血圧を下げると合併症(糖尿病網膜症、糖尿病腎症、糖尿病神経障害を糖尿病の三大合併症という)が減るという結果がでたが、そのとき合併症のリスクが減少するのがヘモグロビンA1c7.0%だったので、以降欧米では血糖値コントロールの目安としてヘモグロビンA1c7.0%が採用されることになったのである。

2.糖尿病治療で本当に大切なことは何か?
  糖尿病の治療では先ずは生活習慣の改善による血糖値のコントロールが求められる。日本ではその目標としてヘモグロビンA1c6.5%という厳しい数値が与えられることになる。
  それは糖尿病でなにより恐ろしいのは、細い血管や神経が傷つくことにより起こる糖尿病網膜症、糖尿病腎症、糖尿病神経症の三大合併症だとされているからである。
  しかし、岡本先生は糖尿病の合併症は細い血管や神経にだけ起こるのではなく、それよりも太い血管に動脈硬化がが起きることによる脳梗塞、狭心症や心筋梗塞、下肢閉塞性動脈硬化症という大血管病の方が重大な問題だとする。

  細い血管(毛細血管など)の問題である三大合併症は糖尿病発症後、治療をしないままで5〜10年くらい経ってから現れるのに対し、大血管の問題である動脈硬化は境界型の人であっても既に危険な状態になっている場合がある。やっかいなのは、本人に自覚症状が無いことが多い。(現に自分の場合がそうであった)

  三大合併症は糖尿病に特有で、確かに困った問題ではある。しかし、このことばかりが声高に言い立てられ、太い血管で進行している動脈硬化や、重大な大血管病が案外知られていないのは重大な問題であり、動脈硬化によって太い血管が詰まって起こる脳梗塞や心筋梗塞は突然死に繋がる場合があるので、そうした生死にかかわる病気を防ぐことこそ糖尿病治療の目的とすべきだ、と岡本先生は警告する。

  実際に糖尿病患者の死因の26.8%が「心血管疾患」となっている。(「アンケート調査による日本人糖尿病患者の死因ー1991〜2000年の10年間、1万8385人での検討」『糖尿病』50巻、2007年)
  それ故に、岡本先生は糖尿病患者の治療では動脈硬化を食い止め、脳梗塞、狭心症や心筋梗塞を防ぐことを第一の課題としている。

  そのためには、血糖値だけでなく、コレステロール、血圧を一緒に管理し、悪玉コレステロールは薬で抑え、血圧は減塩食と運動でコントロールするよう勧めるという。もう一つは、糖尿病の患者には先ずは心臓への注意を欠かさないという。そのためには、24時間心電図を積極的に活用することが有効であり、また循環器の医師との連携こそが重要であるとしている。

3.糖尿病治療の落とし穴、低血糖とは?
  低血糖とは、血液中のブドウ糖濃度が低くなり過ぎた状態をいう。血糖値がどのくらいだと低血糖と言うかの厳密な定義はないが、血糖値が50〜60r/dlくらいになるとさまざまな症状が出て、重症になると死に至ることもある。低血糖になると、体がぶるぶる震えたり、汗が噴き出たり、心臓がどきどきしたりするような分かり易い症状ばかりではなく、胸が痛んだり、気持ちが落ち込むなどの低血糖とは無関係に思えるような症状も出るという。

  糖尿病でインスリン注射をしている場合だけではなく、飲み薬であっても低血糖になる可能性がある。血糖値を厳格にコントロールしようとすると、どうしてもインスリン注射や強い飲み薬を使用することになるが、それらによって起きる低血糖状態は胸痛や、うつや、落ち込み、疲れなどの症状も問題だが、夜間、睡眠中に起きる本人が気づかない低血糖が日中よりも何倍も多いことが分かってきた。(イギリスのマックナリー博士らの2007年の研究報告。インスリン注射による治療をしている患者160人に連続糖測定装置を装着して24時間モニターした結果、日中よりも夜間起きる本人が気づかない低血糖が特定の時間帯では100倍も多いことが判明した)

  岡本先生は、「インスリン注射も食事制限もいらない 糖尿病最新療法」の最後のほうで次のように述べている。
  「なぜ私がこれほど心臓の検査に力を入れるのかといえば、糖尿病を診る立場からは、心筋梗塞の予防が最も重要だと考えているからです。そして、糖尿病を診ている医師が、いかに症状のないうちに、患者さんを循環器の医師に連携していくかが大事だと思うのです。中略
  アコード試験が示した血糖値正常化をめざす厳格な血糖値コントロールが血中のインスリン濃度を高め、それが心筋梗塞に影響するであろうこと。これまで糖尿病治療は血糖値コントロールに重きが置かれ、血糖値を正常化すれば死亡率も下がるという思い込みで進められてきました。しかし、事実はそうではなかったのです。
  もちろん、血糖値が正常であることはいいことには違いありません。しかし、血糖値を無理やり下げる、それも心筋梗塞のリスクのある高血圧その他の合併症を持った人の血糖値を無理やり下げることは、死亡率を高めてしまうのです。このことは、糖尿病治療の到達点をどこに置くかという問題への視点を提供してくれます。糖尿病治療の効果を測るときには、血糖値を見るのではなく、その最終的な到達点である心筋梗塞を予防したのかどうかをこそ、見るべきでしょう。」
 
  
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2020年12月02日

独居老人の独り言 愛し野内科クリニック岡本先生との出会い

  今、ここに一通の紹介状がある。あて先は、北見市の北星脳神経・心血管内科病院 循環器科 福原源太郎先生御机下、そして差出人は、同じく北見市の愛し野内科クリニックとなっている。
  発信日付は2011年(平成23年)8月30日、となっているから、今から9年前である。この封書は封のところに「岡本」の朱印で割り印がされているので、本来は直接あて先の北星脳神経・心血管内科病院の福原源太郎先生に手渡されるべき封書であったはずである。今手許にあるということは当然のことながらあて先には届いていないということである。

  僕が東京都府中市の榊原記念病院で心臓の冠動脈のステント手術を受けたのが2014年(平成26年)の8月21日だから、先の紹介状の発信日から既にほぼ3年が経っている。この間、毎年愛し野クリニックの岡本先生から毎年紹介状を書いていただいているので、通算すると4通もの紹介状を書いていただいたことになる。今から考えると、その間に全く自覚症状がなかったとはいえ、我ながらあきれてしまう。

  この年(2014年)の確か7月初めだったと思うが、岡本先生から4通目の紹介状を渡されて、さすがに申し訳ないと思ったので、渋々ながら北星脳神経・心血管内科を訪ね、持参した紹介状を提出し検査を受けた。
  担当医の福原源太郎先生の最初の一言は、今でも憶えているが「河西さん、詰まっていますよ!天皇陛下と同じです!」であった。目の前のコンピューターには心臓らしきものと、それから伸びている太い血管らしきものの画像が映し出されている。2本の太い動脈が左右から心臓を包み込むように延びている。心臓の筋肉に栄養を送る「冠動脈」といわれる動脈だ。画像には左冠動脈が映し出されていて、心臓の鼓動に合わせて波打つように動いている。それは造影剤が黒く流れていることでそれと分かるのだが、途中から3本に枝分かれしていて、そのうちの2本が明らかに途中から先が白くなっていて流れていないことが分かる。血流が止まっているところから先の心臓の筋肉は壊死して、いづれ心臓は鼓動を停止する。「心筋梗塞」である。「97%詰まっています。すぐにでも手術が必要です。手術は北見ではできないので、札幌で受けることになりますが、どうしますか?」

  晴天の霹靂である。いままでも、今現在も全く自分には自覚症状が無い。胸が痛むこともないし、めまいもしたことが無い。全く心当たりが無いのである。8月か9月には自転車でスペインのサンチャゴ巡礼を敢行する計画である。「手術は旅行から帰ってからでは駄目ですか?」と僕。「とんでもない。東京で手術を受けるのなら、すぐに奥さんに迎えに来てもらいなさい。」と先生。「え?」。「飛行機はエコノミー症候群の恐れがあります。」

  それから急いで川崎の自宅に戻って(飛行機は何とか一人で搭乗した)、7月9日には救急扱いで府中の榊原記念病院の初診を受け、各種検査ののち前述したように8月21日には桃原哲也先生により手術を受けた。その後は2018年4月と翌年の2019年1月と4月に経過診療を受けたが、特に支障は無かった。
  その間は川崎にいるときは自宅近くの新ゆり内科橋央医師、北見にいるときは愛し野内科クリニックの岡本卓医師をかかりつけ医として毎月1回は検診を受けている。今のところは、お二人の医師の指導に従い検査数値に特に異常は無く、生活にも何ら支障はない。有難いことである。

  それにつけても、もし偶然にも岡本先生に出会っていなければ今頃はとっくにあの世に行っていたはずである。岡本先生のことを初めて知ったのは、全くの偶然である。2015年9月10日付の記事「命の恩人」にも書いたとおり、今から15年近く前、平成17年に叔母が亡くなった前後であったと思うが、いつも会社の帰り(その頃はまだ会社勤務で東京まで通勤していた)に立ち寄る本屋で先生の著書、「インスリンも注射も食事制限もいらない糖尿病最新療法」が目に留まったからである。

  題名が気になったことと、本を開いてみてその著者略歴の最後に、「2009年2月より北海道北見市で愛し野内科クリニックを開業」と書かれていたからで、早速買い求めて帰宅し読んだ。
  その内容は、それまで10年近く会社の健康診断や近所のかかりつけ医、そして2002年(平成14年)の5月に世田谷の関東中央病院での2週間の教育入院(糖尿病の初期の患者に糖尿病とは何か、悪化を防ぐための生活指導などを行う入院)などで受けてきた指導とは大分異なるものだった。

  翌年の春、僕は北見へ行ってすぐに岡本先生を訪ねた。愛し野内科クリニックはぼたん園からは車で15分くらい、JR石北線の駅で言うと北見駅から網走方面に向かって柏陽駅の次、愛し野駅の駅前、と言っても駅(無人駅)の周りにはクリニックと薬店があるだけで、駅の反対側(北側)は畑である。
  それでも、いつ行ってもクリニックの待合室は満室で、診察を待つ患者は絶えることが無い。2,3時間待ちは当たり前で、朝8時半からの開院の30分以上前から入り口にある専用の箱に診察券を投入して、順番待ちをする患者が多い。

  先生の著書には、『インスリン注射も食事制限もいらない糖尿病最新療法』(角川SSS新書 2009年)の他にも『薬が減らせて血糖値にもしばられない糖尿病最新療法2』(角川SSS新書 2012年)、『薬にも数値にも振り回されない高血圧最新療法』(角川SSS新書 2011年)、『本当は怖い「糖質制限」』(祥伝社新書)、糖尿病とアルツハイマー病を予防する地中海式和食レシピ』(監修 角川SSCムック 2013年)があり、その他にも『愛し野だより』として、最新の医療情報を中心にその時々の話題や「くちびるに歌を」と題したエッセイを自らお書きになっている。今、僕の手許には『愛し野だより』平成21(2009)年2月9日の第1号も、令和2(2020)年8月5日の第550号もあるので、これからも続いて行くのだろう。
  これらの著書や著書以外の本も、『愛し野だより』も待合室に置かれていて、いつでも希望者に貸し出されている。『愛し野だより』は、希望すればコピーをして無料で頂くこともできる。

  『愛し野だより』の第1号で、岡本先生は「院長の挨拶」として、いみじくもこう述べられている。
  「患者様本位の医療提供を目指したい思いでこの度、愛し野クリニックを開業いたしました。昨今の医療は機械文明に振り回されたふしの感じられるところが多いと思います。中略。
  私は患者様との直接的な人間関係重視の医療を大切にしていきます。そして機械文明に振り回されず機械文明を使いこなしていきたいと考えています。患者様にとって心ある医療となるよう最善を尽くしますので、どうぞよろしくお願いします。」

  これだけの患者を毎日こなしながら、本も書き、常に国内外の新しい知見を学習され、患者のため地域医療のために活動を続けておられること、そしてなによりも患者のことを大事に考え、いつも明るく接して居られる姿に頭が下がる思いをしている。

人生において人との出会いほど大切なことは無い。一期一会、どんな人であれ自分の人生にとって掛け替えのない宝となる可能性を持っている。永い人生、いつどこでどんなことが起こるかは誰にも分からない。神様の采配は己一人の小さな目で見ていては到底理解はできない。

  自分の体験を基に、岡本先生の著書を中心に紹介したいと思って書き始めたが、そこまで行かないうちに紙数が増えてしまった。今回はここまでとして、また機会を改めたいと思う。

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posted by ひろちゃん at 23:54| Comment(0) | 日記