Erich Fromm(1900〜1980)は著書「The Art of Loving」の中で愛はArtだと言っている。ここでいうArtはSkillのことである。愛は「技術」だと言っているのである。決して愛は「恋に落ちる」などと表現されるように、ある日突然誰もが経験することができるものではないとする。愛とは永続するものであり、art(技術)を磨くように努力しなければ習熟できないものだと言う。
そして、現代人は「愛すること」を「愛されること」と勘違いしていること、あるいは愛は対象の問題だと、すなはち自分は人を愛する能力は充分に持っているが、それに相応しい相手がいないのだという思い込みである。要は自分自身の未熟さなどには思い至らず、相手のせいにしていることに気がついていない。確かに世の中をよく注意して観察すると、老若にかかわらず「愛されること」にしか関心がない人、いつまでも背が高いとか、収入が高いとか、見た目がいいとか、外見ばかりにこだわって人間そのものを見ることができない人は多い。
さらに今の若い人は僕らの時代とは大分違うようだ。第一に結婚年齢が随分遅くなっている。昔は女は25を超えたら「12月26日のクリスマスケーキ」などと言われ、男も30を超えるとあたかも心身に欠陥があるようなことを言われた。そもそも生涯に一度も結婚しない男女が増えているそうだ。また、最近は本屋の店頭には生涯独身だったり、肉親と離別して一人暮らしをしているような年配者が、あたかも一人が最高の幸せであり、孤独こそ最高の贅沢、のようなことを書いた本が並んでいる。(令和5年5月4日 木曜日 午後5時)
Frommは人間が他人(自分以外)を愛するのは、根底に「孤立」や「孤独」に対する不安があるからだという。人間は動物と違って、全く一人では生きてゆけない。人間は自然や社会の力の前では一人では無力であり、孤立した生活は耐え難い牢獄と化し、この牢獄から抜け出してほかの人と接触しなければ生きてゆけない、という。
しかし、僕が考えている「愛するということ」はFrommとも、世間でよく言われていることとも少し違うような気がする。まず第一の違いは、人間は「孤立」や「孤独」に対する不安があるから人を愛するのだろうか?「孤独」という「牢獄」から抜け出したいからひとを愛するのだろうか?確かに愛するひとがいれば、例えば配偶者や家族、または恋人がいれば、孤独や寂しさからは解放されるかもしれない。ただし、それは本当に彼らを「愛している」場合である。例え配偶者、家族、恋人であっても本当に愛していなければ意味がない。毎日のように夫婦、恋人、家族間での刃傷沙汰が報道されていることを見ても明らかである。
僕は「孤独」とか「寂しさ」は、あくまでも自分自身あるいは各個人が一人でいることをどう受け止めるかという問題であって、ひとを「愛するということ」とは別のことだと思う。あるいはこうも言えるかと思う。すなはち、「孤独」だったり、「寂しい」からひとを愛するのではなく、ひとを「愛している」から「孤独」や「寂しさ」にも耐えられるのだと思う。
私事で恐縮だが、僕は毎年数か月から半年を北見で過ごしている。その間は物理的には一人暮らし(独居)である。そのような一人暮らしも既に15年以上になる。最初の5年くらいまでは寂しいと感じることもあったが、今では孤独だとか寂しいと思うことはない。それよりも、春には野菜を植えたり牡丹を見に来るお客さんを受け入れる準備をしたり、夏にはどんどん伸びる草との草刈り競争、前年の間に風や雪で倒れた樹々の処分、秋には薪作りなどなどで、そんなことを考えている余裕もない。
それと、確かに一人暮らしのよさはある。毎日何時に寝ようが、起きようが、何を食べようが全く自由である。だれも文句をいったり、あれこれ注意されることもない(ただし、一人だけ時々苦情をいうひとがいるけれど)。そして、特に夜は好きな音楽を聴いたり(しかも、大音響でも誰にも迷惑をかけることはない)、本を読んだり、U=TUBEのセミナーを受講したり、ブログを書いたり、ともかく与えられた時間は100%自由に使えるのである。人間の想像力(創造力)は自由のもとでしか最大限に発揮されることはない、と実感する。(令和5年5月5日 金曜日 晴れ 午後10時39分)
以下5月に続く。
2023年04月29日
人を愛するとはどういうことなのか? ?
posted by ひろちゃん at 17:38| Comment(0)
| 日記
2023年04月03日
独居老人の独り言 令和5年4月
このところ白内障と老眼の手術をするべきかどうか迷っている。老眼については既に40代後半ころから本や新聞を読むときには老眼鏡が必要になった。子供のころからいつも学校の視力検査では片目の裸眼で例の上下左右のいづれかが欠けている〇は一番下まで見えていた。(視力2.0?)自分では河西家の家系で生まれつき目がいいんだと思っていた。(後に遠視だと認識したが)
老眼は加齢によるもので、周りに聞いても誰でも年齢の違いはあっても遅かれ早かれ避けようがないもののようである。白内障も加齢によるものが大半であるらしい。自分の場合も、ここ数年で老眼鏡をかけても本や新聞の字が読みにくくなった。車の運転中に道路の案内板も今までは裸眼で不自由なく見えていたのが、少し小さい字は読めなくなった。また、夜間の運転では対向車のヘッドライトが眩しくて思わずブレーキを踏んでしまうことがある。(令和5年4月3日 月曜日 午後10時)
毎日100通近く来るメール(広告宣伝が殆ど)の中で戸塚駅前鈴木眼科からの「多焦点眼内レンズ」に関するメールは気になっていたので、改めて鈴木高佳(すずき たかよし)理事長(医師)のZOOMせセミナーを視聴した。また、送られてきた同医師の著書「メガネ・コンタクトレンズはもういらない!多焦点眼内レンズ 入門」を読んだ。
さらに、調べていくと同じように大宮七里眼科(さいたま県)を開業する山崎健一郎医師のメールにも多焦点眼内レンズのことが詳しく書かれている。同医師にも著書「人生が変わる 白内障手術 第2版」があるので取り寄せて読んでみた。鈴木医師も山崎医師も日本医科大学を卒業して、山崎医師は2008年に、鈴木医師は2010年に開業していて、これまでの多焦点眼内レンズ手術数は山崎医師3,100例以上、鈴木医師は同2,500例以上となっている。
他に、お茶の水の井上眼科病院病院には40代のころ、高血糖による眼底検査をきっかけに老眼の検査を受けると同時に隣接する井上眼鏡店で老眼鏡を作成してきた。以来、老眼の度合いが進行する度に新しいメガネを同眼鏡店で作成してきた。かれこれ今までに10回以上も作成してきたであろうか。そんなこともあり、戸塚駅前鈴木眼科、大宮七里眼科と井上眼科病院の三つに絞って検討することにした。
(令和5年4月9日 日曜日 午後6時15分)
ヒトの眼は横断面(顔が左を向いている場合)で見ると、左から入った光は角膜、瞳孔(虹彩と呼ばれるカメラの絞りのようなもので、ドーナツ状の膜のこと。ドーナツの穴に見える部分が瞳孔(黒目)といわれるいわゆる穴)を通り、レンズに当たる水晶体を抜けて、いわゆる眼球の中を満たしている無色透明なゼリー状の硝子体を通過して一番奥の網膜で像を結ぶ。網膜に映し出された映像を、網膜の外側の層に分布している視細胞がキャッチして信号に変換する。信号は網膜から脳まで繋がっている視神経により脳に送られ、脳の視覚中枢が認識して初めて「見えた」ことになる。
<目の構造とものの見える仕組み 鈴木高佳著 「多焦点眼内レンズ 入門」51ページより>

さらに、水晶体は「水晶体嚢」という薄く透明な嚢(袋)に包まれている。そして、その水晶体嚢に外側にある「毛様体筋」から伸びた「チン小体」が密着することで水晶体の位置を固定しているのである。
これらが連動して水晶体を引っ張ったり緩めたりして水晶体の厚みを調節することで、ちょうどカメラのオートフォーカスのように遠くから近くまで自動的(自然に)にピントを合わせているのである。知れば知るほど、その巧みな仕組みに驚く。(令和5年4月9日 日曜日 午後10時25分)
老眼は水晶体や毛様体筋が加齢により柔軟性が低下し固くなることにより、ピントの調節がスムーズにできにくくなるためコンタクトレンズや眼鏡をかけることにより補正することになる。また、白内障は水晶体がこれも主に加齢により白く(あるいは茶色く)濁ることにより、ものがダブって見えたり霞んだりする症状である。老眼も白内障も40〜50歳ころから自覚症状がでて、いずれは誰もがおよそ80歳までには罹患するようになるとのこと。(令和5年4月11日 火曜日 午後11時13分)
老眼はコンタクトレンズを入れたり、眼鏡をかければある程度の対応ができるが、白内障はいまのところ水晶体を人工のレンズに置き換えるしか方法がないようだ。前出の戸塚駅前眼科の鈴木医師は著書のなかで「老眼の次には必ず白内障がやってくる。50歳代、60歳代を老眼との格闘に費やし、とうとうピントの調節力が底を尽きた70歳代で白内障手術を受けるなら、老眼が始まった時点で「老眼から生涯解放される白内障手術」=「多焦点眼内レンズ手術」を受けたほうが合理的かつ効率的ではないか。」と述べている。
ところで、現在白内障手術で使用する人工のレンズには焦点をどこに合わせるかで、単焦点眼内レンズと多焦点眼内レンズに分けられる。多焦点眼内レンズはさらに、どこに(遠く、近く、あるいは中間)焦点を合わせるかによって、2焦点眼内レンズ、3焦点眼内レンズ、その他5焦点眼内レンズなどもあるようである。
さらに、それぞれに乱視(角膜または水晶体の球面(表面のカーブ)にゆがみや凹凸があり、光の屈折がずれてしまうため、どこにも像を結ばない状態の目)も同時に矯正できるレンズもある。(令和5年4月12日 水曜日 午後4時46分)
令和5年3月31日(金曜日)午後1時少し前に家を出て、横浜戸塚駅前鈴木眼科に向かった。午後3時に診察の予約を入れてあるので、余裕をみて午後2時半までには到着する予定である。小田急線で新百合ヶ丘駅から乗車、町田でJR横浜線に乗り換えて、湘南台でさらに横浜市営地下鉄に乗り換えると午後2時半には戸塚駅に到着した。改札を出ると駅直結のショッピングモール「トツカ―ナモール」5階に鈴木眼科はあった。
同院のホームページでは、定期的に区役所での白内障・老眼治療説明会を開催していて、現地参加も同時にオンライン参加も可能だ。さらに予約をすれば検査と無料相談が受けられるとなっているので、前記のとおり予約のうえ訪問して、現在の目の状況を見てもらうことと、鈴木高佳先生(理事長)にお逢いして直接説明を受けることにした。
受付をして30分ほど待っていると、若い看護師に案内されて検査機器が沢山並んでいる部屋で次から次へと(10個以上あったか)顕微鏡をのぞくようにして目の検査があり、次に診察室で少しベテランらしい女医さんの同じような検査があり、その後少し待たされて最後に鈴木高佳先生本人が検査データの画面を見ながら現在の目の状況と、主として多焦点眼内レンズによる白内障手術についての詳しい説明があった。
説明では、現在の目の状況は(糖尿による)眼底出血、ならびに緑内障はない。白内障と老眼は3焦点眼内レンズ+レーザー治療で解消が可能、とのことであった。目の構造や白内障、老眼の原因、眼内レンズの種類、フェトムセカンドレーザーという手術法などについて丁寧な説明を受けた。僕の方からは一つ質問をした。老眼については、加齢により水晶体や毛様体筋、チン小体の柔軟性が低下したり固くなってピント(焦点)が合わせにくくなることで発症することは理解したが、人工のレンズはそのような調節機能はないと思われるが、どうやってピントを近くや遠くや中間に合わせるのか?先生は、灯台のレンズのように同心円状になった3焦点レンズの模型を出してきて分かりやすく説明をしてくれた。(令和5年4月15日 土曜日 午後11時7分)
因みに、フェトムセカンドレーザーとは「フェトム」が1000兆分の1を意味し、「セカンド」は秒のことである。すなわち1000兆分の1秒という想像できないほどの短時間で照射する最先端のレーザーのことである。そもそも、白内障の手術は硬くなり、濁った水晶体を人工のレンズに取り換える手術である。基本的な手術の手順は@局所麻酔(主に点眼麻酔)Aレーザーで水晶体嚢の前側(前嚢)を切開(角膜を切らずに内側の前嚢を切ることができる)B前嚢をレーザーで円形に切開Cレーザーで水晶体の中心部を細かく破砕Dレーザーで角膜を切開Eレーザーで細かく破砕された水晶体をさらに超音波乳化吸引装置を使って破砕しながら吸引F角膜の切開部分から嚢の中に眼内レンズを挿入、という順でこの間特に問題がなければ手術は10〜15分で終了する。
この一連の作業を従来は医師の感と経験に基づき手作業でやっていたものが、今は赤外線を利用した光学式測定装置(3次元OCTスキャン)により得られた画像データをコンピューターで解析、メスを使わずに高速のレーザーで医師の設計通りに正確に切開できるように進化している。ただし、レーザーによる白内障手術は(公的)医療保険は適用されないため、自由診療となりレンズ代などを含めて全額自己負担となる。従って費用は片眼で100万円前後かかる。
因みに、単焦点眼内レンズでレーザーを使わない場合は保険診療となり、片眼で18,000円〜60,000円(3割負担)ほど、多焦点眼内レンズの場合は選定療養と言って手術費用は保険適用となるが多焦点眼内レンズや追加検査の費用は自己負担となる。金額はレンズの種類(2焦点、3焦点、連続焦点など)によって16万円から29万円ほどとなる。
ここで、レンズをどれにするか、レーザー手術を選択するかで迷うことになる。95%以上の患者が単焦点レンズを選択しているようだが、費用はともかくとして、それぞれに一長一短がある。先ず、保険診療と自由診療では金額が大きく違うが、専門家に言わせれば高額な金額を支払ったからといって必ずしもいいかと言えば、そうでもないようだ。確かにレーザー手術の方が正確で安定していると言えるのかも知れないが、100%そうだと断定はできないようだ。(単に保険が利くか否かの違いだとする専門家もいる)
少し詳しく調べてみると、単焦点レンズはピントが合う範囲が限られている。すなはち、近くか、遠くかのどちらかに限定される。多焦点レンズは、2焦点は近くと中間、または遠くと中間のどちらか、3焦点は近く、遠く、中間のいづれもそれなりに焦点が合っている。ここでいう「近く」は目からの距離が約40pで本や新聞、スマホを見るとき、「中間」は約50pでパソコンや料理をするとき、「遠く」は5m以上でテレビの視聴や運転をするとき、あるいはゴルフなどのスポーツをするときのことである。
単焦点レンズより多焦点レンズの方が値段も高いし、ピントが合う範囲が広くて便利なように思えるが、鮮明さでは多焦点よりも単焦点の方に軍配が上がるようだ。(令和5年4月20日 木曜日 午前0時)
U=TUBEでも何人かの眼科医が動画を公開しているが、それらを総合すると何でもそうだが、結局は自分自身で判断することが一番大事なことのように思える。手術をして自分が満足できるかどうかが一番重要なことだ。近視や遠視の人がもっと遠くを、あるいはもっと近くをクリアに見たいと思って手術を受けたら、今までクリアに見えていた近くがよく見えなくなった、とか今まで遠くはよく見えていたのに手術を受けた結果、近くはよく見えるようになったが、逆に遠くが今までのようにはよく見えなくなった、などという事例があるようだ。
自分が今後の人生をどう過ごしたいのか、多焦点レンズを勧める医師は「一生メガネもコンタクトレンズも要らない」、「生涯裸眼生活がかなう」(鈴木医師)、「人生が変わる白内障手術」(山崎医師)など、出版社が本の帯書きに書いているのだろうか、現に多くの手術経験者は喜びの声を寄せているのだろう。でも、結果を受け止めるのは他人ではなく、あくまでも自分自身である。自分自身が納得して判断すべきことである。
僕の場合は、今は前立腺がんの治療中でもあり、今年は桜の開花同様、牡丹の開花も例年より10日くらいは早まりそうなので5月20日前後には北見へ行かねばならないこともあり、戸塚駅前鈴木眼科を辞するときには、一晩よく考えてから返事をさせて欲しいと伝えた。帰宅してから週末は他の2院の資料にももう一度目を通し、今はまだ急いで結論を出すべき時ではないと判断した。週明けの4月3日朝一番で電話をして結論を伝えた。「分かりました。検査は6か月間は有効ですから、決心がついたらまたいらしてください。」との返事であった。同院は全ての対応が丁寧で親切であった。有難かった。(令和5年4月20日 木曜日 午後10時)
<白内障手術・多焦点眼内レンズに関する山崎健一郎医師と鈴木高佳医師の本。左は山崎医師、右は鈴木高佳医師の著書で両方とも出版社は幻冬舎メディアコンサルティング>

**************
一昨日(19日)はこのところコロナのせいでしばらく中断していた都立青山高校の同窓生の集まりに参加してきた。朝から晴れて日中は26℃の夏日となった。集合場所は千葉県の成田にある「緑の馬牧場」で、2年生の時の同級だったT君の関係(詳しくは分からないが、本人か会社がオーナーらしい)で毎回広い敷地内の施設や竹林でバーべキューや筍採りを楽しませていただいている。
同窓会といっても13年前に突然他界したW君を忍んで、高校時代の3年間を通じて同君と親交のあった者が任意に集まって始まった会なので、必ずしも全員が同じクラスだったわけではない。でも、今回は3人の女性を含めて11名が集まった。それでも、クラスは違っても体育館やグラウンドでテニスや体操、柔道などの運動部は隣り合って練習をしていたので、すぐに記憶は蘇ってくる。因みに僕は3年間、男ばかりの柔道部で汗を流していた。
現地に12時集合だったので、僕は川崎の自宅を10時少し前に車で出発した。途中、首都高の手前で事故車ありのため迂回したので牧場に着いたのは12時少し前だった。それぞれ車で来る者、電車で来る者と別々なので、到着した時には車組3台を除き電車組はまだJR成田駅で待ち合わせ中だった。
間もなく全員が揃って屋外で、早速牧場が用意してくださったBBを楽しんだ。話題はやはり近況、それも多くは病歴や健康状態のことで、なかにはまだ現役で勤めている者もいる。周りは広々とした芝生と囲いのなかに数頭の馬がのんびり草を食んでいる。牧場の回りは樹や竹が生い茂っていて、平日のせいか我々以外には牧場のスタッフさん数人だけという贅沢な景色である。
ひとしきり話の花が咲いたところで、お楽しみの筍採りに出かけることに。牧場の敷地の端にある竹林の坂道を下ると、もう少し時節が遅いのかなかなか筍らしきものは見つからない。それでも、少し範囲を拡げて探すと大小混じって筍が収穫でき、全員の収穫物を集めると結構な収穫量になった。みんなで分けてお土産ができたところで、午後の3時半を過ぎて名残惜しくも解散の時となる。帰りは車3台に全員が分乗して牧場を後にした。気持ちの良い、楽しい時間はあっという間にフィナーレを迎えた。(令和5年4月21日 金曜日 午後5時40分)
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老眼は加齢によるもので、周りに聞いても誰でも年齢の違いはあっても遅かれ早かれ避けようがないもののようである。白内障も加齢によるものが大半であるらしい。自分の場合も、ここ数年で老眼鏡をかけても本や新聞の字が読みにくくなった。車の運転中に道路の案内板も今までは裸眼で不自由なく見えていたのが、少し小さい字は読めなくなった。また、夜間の運転では対向車のヘッドライトが眩しくて思わずブレーキを踏んでしまうことがある。(令和5年4月3日 月曜日 午後10時)
毎日100通近く来るメール(広告宣伝が殆ど)の中で戸塚駅前鈴木眼科からの「多焦点眼内レンズ」に関するメールは気になっていたので、改めて鈴木高佳(すずき たかよし)理事長(医師)のZOOMせセミナーを視聴した。また、送られてきた同医師の著書「メガネ・コンタクトレンズはもういらない!多焦点眼内レンズ 入門」を読んだ。
さらに、調べていくと同じように大宮七里眼科(さいたま県)を開業する山崎健一郎医師のメールにも多焦点眼内レンズのことが詳しく書かれている。同医師にも著書「人生が変わる 白内障手術 第2版」があるので取り寄せて読んでみた。鈴木医師も山崎医師も日本医科大学を卒業して、山崎医師は2008年に、鈴木医師は2010年に開業していて、これまでの多焦点眼内レンズ手術数は山崎医師3,100例以上、鈴木医師は同2,500例以上となっている。
他に、お茶の水の井上眼科病院病院には40代のころ、高血糖による眼底検査をきっかけに老眼の検査を受けると同時に隣接する井上眼鏡店で老眼鏡を作成してきた。以来、老眼の度合いが進行する度に新しいメガネを同眼鏡店で作成してきた。かれこれ今までに10回以上も作成してきたであろうか。そんなこともあり、戸塚駅前鈴木眼科、大宮七里眼科と井上眼科病院の三つに絞って検討することにした。
(令和5年4月9日 日曜日 午後6時15分)
ヒトの眼は横断面(顔が左を向いている場合)で見ると、左から入った光は角膜、瞳孔(虹彩と呼ばれるカメラの絞りのようなもので、ドーナツ状の膜のこと。ドーナツの穴に見える部分が瞳孔(黒目)といわれるいわゆる穴)を通り、レンズに当たる水晶体を抜けて、いわゆる眼球の中を満たしている無色透明なゼリー状の硝子体を通過して一番奥の網膜で像を結ぶ。網膜に映し出された映像を、網膜の外側の層に分布している視細胞がキャッチして信号に変換する。信号は網膜から脳まで繋がっている視神経により脳に送られ、脳の視覚中枢が認識して初めて「見えた」ことになる。
<目の構造とものの見える仕組み 鈴木高佳著 「多焦点眼内レンズ 入門」51ページより>
さらに、水晶体は「水晶体嚢」という薄く透明な嚢(袋)に包まれている。そして、その水晶体嚢に外側にある「毛様体筋」から伸びた「チン小体」が密着することで水晶体の位置を固定しているのである。
これらが連動して水晶体を引っ張ったり緩めたりして水晶体の厚みを調節することで、ちょうどカメラのオートフォーカスのように遠くから近くまで自動的(自然に)にピントを合わせているのである。知れば知るほど、その巧みな仕組みに驚く。(令和5年4月9日 日曜日 午後10時25分)
老眼は水晶体や毛様体筋が加齢により柔軟性が低下し固くなることにより、ピントの調節がスムーズにできにくくなるためコンタクトレンズや眼鏡をかけることにより補正することになる。また、白内障は水晶体がこれも主に加齢により白く(あるいは茶色く)濁ることにより、ものがダブって見えたり霞んだりする症状である。老眼も白内障も40〜50歳ころから自覚症状がでて、いずれは誰もがおよそ80歳までには罹患するようになるとのこと。(令和5年4月11日 火曜日 午後11時13分)
老眼はコンタクトレンズを入れたり、眼鏡をかければある程度の対応ができるが、白内障はいまのところ水晶体を人工のレンズに置き換えるしか方法がないようだ。前出の戸塚駅前眼科の鈴木医師は著書のなかで「老眼の次には必ず白内障がやってくる。50歳代、60歳代を老眼との格闘に費やし、とうとうピントの調節力が底を尽きた70歳代で白内障手術を受けるなら、老眼が始まった時点で「老眼から生涯解放される白内障手術」=「多焦点眼内レンズ手術」を受けたほうが合理的かつ効率的ではないか。」と述べている。
ところで、現在白内障手術で使用する人工のレンズには焦点をどこに合わせるかで、単焦点眼内レンズと多焦点眼内レンズに分けられる。多焦点眼内レンズはさらに、どこに(遠く、近く、あるいは中間)焦点を合わせるかによって、2焦点眼内レンズ、3焦点眼内レンズ、その他5焦点眼内レンズなどもあるようである。
さらに、それぞれに乱視(角膜または水晶体の球面(表面のカーブ)にゆがみや凹凸があり、光の屈折がずれてしまうため、どこにも像を結ばない状態の目)も同時に矯正できるレンズもある。(令和5年4月12日 水曜日 午後4時46分)
令和5年3月31日(金曜日)午後1時少し前に家を出て、横浜戸塚駅前鈴木眼科に向かった。午後3時に診察の予約を入れてあるので、余裕をみて午後2時半までには到着する予定である。小田急線で新百合ヶ丘駅から乗車、町田でJR横浜線に乗り換えて、湘南台でさらに横浜市営地下鉄に乗り換えると午後2時半には戸塚駅に到着した。改札を出ると駅直結のショッピングモール「トツカ―ナモール」5階に鈴木眼科はあった。
同院のホームページでは、定期的に区役所での白内障・老眼治療説明会を開催していて、現地参加も同時にオンライン参加も可能だ。さらに予約をすれば検査と無料相談が受けられるとなっているので、前記のとおり予約のうえ訪問して、現在の目の状況を見てもらうことと、鈴木高佳先生(理事長)にお逢いして直接説明を受けることにした。
受付をして30分ほど待っていると、若い看護師に案内されて検査機器が沢山並んでいる部屋で次から次へと(10個以上あったか)顕微鏡をのぞくようにして目の検査があり、次に診察室で少しベテランらしい女医さんの同じような検査があり、その後少し待たされて最後に鈴木高佳先生本人が検査データの画面を見ながら現在の目の状況と、主として多焦点眼内レンズによる白内障手術についての詳しい説明があった。
説明では、現在の目の状況は(糖尿による)眼底出血、ならびに緑内障はない。白内障と老眼は3焦点眼内レンズ+レーザー治療で解消が可能、とのことであった。目の構造や白内障、老眼の原因、眼内レンズの種類、フェトムセカンドレーザーという手術法などについて丁寧な説明を受けた。僕の方からは一つ質問をした。老眼については、加齢により水晶体や毛様体筋、チン小体の柔軟性が低下したり固くなってピント(焦点)が合わせにくくなることで発症することは理解したが、人工のレンズはそのような調節機能はないと思われるが、どうやってピントを近くや遠くや中間に合わせるのか?先生は、灯台のレンズのように同心円状になった3焦点レンズの模型を出してきて分かりやすく説明をしてくれた。(令和5年4月15日 土曜日 午後11時7分)
因みに、フェトムセカンドレーザーとは「フェトム」が1000兆分の1を意味し、「セカンド」は秒のことである。すなわち1000兆分の1秒という想像できないほどの短時間で照射する最先端のレーザーのことである。そもそも、白内障の手術は硬くなり、濁った水晶体を人工のレンズに取り換える手術である。基本的な手術の手順は@局所麻酔(主に点眼麻酔)Aレーザーで水晶体嚢の前側(前嚢)を切開(角膜を切らずに内側の前嚢を切ることができる)B前嚢をレーザーで円形に切開Cレーザーで水晶体の中心部を細かく破砕Dレーザーで角膜を切開Eレーザーで細かく破砕された水晶体をさらに超音波乳化吸引装置を使って破砕しながら吸引F角膜の切開部分から嚢の中に眼内レンズを挿入、という順でこの間特に問題がなければ手術は10〜15分で終了する。
この一連の作業を従来は医師の感と経験に基づき手作業でやっていたものが、今は赤外線を利用した光学式測定装置(3次元OCTスキャン)により得られた画像データをコンピューターで解析、メスを使わずに高速のレーザーで医師の設計通りに正確に切開できるように進化している。ただし、レーザーによる白内障手術は(公的)医療保険は適用されないため、自由診療となりレンズ代などを含めて全額自己負担となる。従って費用は片眼で100万円前後かかる。
因みに、単焦点眼内レンズでレーザーを使わない場合は保険診療となり、片眼で18,000円〜60,000円(3割負担)ほど、多焦点眼内レンズの場合は選定療養と言って手術費用は保険適用となるが多焦点眼内レンズや追加検査の費用は自己負担となる。金額はレンズの種類(2焦点、3焦点、連続焦点など)によって16万円から29万円ほどとなる。
ここで、レンズをどれにするか、レーザー手術を選択するかで迷うことになる。95%以上の患者が単焦点レンズを選択しているようだが、費用はともかくとして、それぞれに一長一短がある。先ず、保険診療と自由診療では金額が大きく違うが、専門家に言わせれば高額な金額を支払ったからといって必ずしもいいかと言えば、そうでもないようだ。確かにレーザー手術の方が正確で安定していると言えるのかも知れないが、100%そうだと断定はできないようだ。(単に保険が利くか否かの違いだとする専門家もいる)
少し詳しく調べてみると、単焦点レンズはピントが合う範囲が限られている。すなはち、近くか、遠くかのどちらかに限定される。多焦点レンズは、2焦点は近くと中間、または遠くと中間のどちらか、3焦点は近く、遠く、中間のいづれもそれなりに焦点が合っている。ここでいう「近く」は目からの距離が約40pで本や新聞、スマホを見るとき、「中間」は約50pでパソコンや料理をするとき、「遠く」は5m以上でテレビの視聴や運転をするとき、あるいはゴルフなどのスポーツをするときのことである。
単焦点レンズより多焦点レンズの方が値段も高いし、ピントが合う範囲が広くて便利なように思えるが、鮮明さでは多焦点よりも単焦点の方に軍配が上がるようだ。(令和5年4月20日 木曜日 午前0時)
U=TUBEでも何人かの眼科医が動画を公開しているが、それらを総合すると何でもそうだが、結局は自分自身で判断することが一番大事なことのように思える。手術をして自分が満足できるかどうかが一番重要なことだ。近視や遠視の人がもっと遠くを、あるいはもっと近くをクリアに見たいと思って手術を受けたら、今までクリアに見えていた近くがよく見えなくなった、とか今まで遠くはよく見えていたのに手術を受けた結果、近くはよく見えるようになったが、逆に遠くが今までのようにはよく見えなくなった、などという事例があるようだ。
自分が今後の人生をどう過ごしたいのか、多焦点レンズを勧める医師は「一生メガネもコンタクトレンズも要らない」、「生涯裸眼生活がかなう」(鈴木医師)、「人生が変わる白内障手術」(山崎医師)など、出版社が本の帯書きに書いているのだろうか、現に多くの手術経験者は喜びの声を寄せているのだろう。でも、結果を受け止めるのは他人ではなく、あくまでも自分自身である。自分自身が納得して判断すべきことである。
僕の場合は、今は前立腺がんの治療中でもあり、今年は桜の開花同様、牡丹の開花も例年より10日くらいは早まりそうなので5月20日前後には北見へ行かねばならないこともあり、戸塚駅前鈴木眼科を辞するときには、一晩よく考えてから返事をさせて欲しいと伝えた。帰宅してから週末は他の2院の資料にももう一度目を通し、今はまだ急いで結論を出すべき時ではないと判断した。週明けの4月3日朝一番で電話をして結論を伝えた。「分かりました。検査は6か月間は有効ですから、決心がついたらまたいらしてください。」との返事であった。同院は全ての対応が丁寧で親切であった。有難かった。(令和5年4月20日 木曜日 午後10時)
<白内障手術・多焦点眼内レンズに関する山崎健一郎医師と鈴木高佳医師の本。左は山崎医師、右は鈴木高佳医師の著書で両方とも出版社は幻冬舎メディアコンサルティング>
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一昨日(19日)はこのところコロナのせいでしばらく中断していた都立青山高校の同窓生の集まりに参加してきた。朝から晴れて日中は26℃の夏日となった。集合場所は千葉県の成田にある「緑の馬牧場」で、2年生の時の同級だったT君の関係(詳しくは分からないが、本人か会社がオーナーらしい)で毎回広い敷地内の施設や竹林でバーべキューや筍採りを楽しませていただいている。
同窓会といっても13年前に突然他界したW君を忍んで、高校時代の3年間を通じて同君と親交のあった者が任意に集まって始まった会なので、必ずしも全員が同じクラスだったわけではない。でも、今回は3人の女性を含めて11名が集まった。それでも、クラスは違っても体育館やグラウンドでテニスや体操、柔道などの運動部は隣り合って練習をしていたので、すぐに記憶は蘇ってくる。因みに僕は3年間、男ばかりの柔道部で汗を流していた。
現地に12時集合だったので、僕は川崎の自宅を10時少し前に車で出発した。途中、首都高の手前で事故車ありのため迂回したので牧場に着いたのは12時少し前だった。それぞれ車で来る者、電車で来る者と別々なので、到着した時には車組3台を除き電車組はまだJR成田駅で待ち合わせ中だった。
間もなく全員が揃って屋外で、早速牧場が用意してくださったBBを楽しんだ。話題はやはり近況、それも多くは病歴や健康状態のことで、なかにはまだ現役で勤めている者もいる。周りは広々とした芝生と囲いのなかに数頭の馬がのんびり草を食んでいる。牧場の回りは樹や竹が生い茂っていて、平日のせいか我々以外には牧場のスタッフさん数人だけという贅沢な景色である。
ひとしきり話の花が咲いたところで、お楽しみの筍採りに出かけることに。牧場の敷地の端にある竹林の坂道を下ると、もう少し時節が遅いのかなかなか筍らしきものは見つからない。それでも、少し範囲を拡げて探すと大小混じって筍が収穫でき、全員の収穫物を集めると結構な収穫量になった。みんなで分けてお土産ができたところで、午後の3時半を過ぎて名残惜しくも解散の時となる。帰りは車3台に全員が分乗して牧場を後にした。気持ちの良い、楽しい時間はあっという間にフィナーレを迎えた。(令和5年4月21日 金曜日 午後5時40分)
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| 日記
2023年03月09日
独居老人の独り言 令和5年3月
今日は令和5年3月9日、木曜日である。朝から晴れているが、空全体がスッキリとした青空とは言えず、特に地平に近くなるほど土煙のような、薄茶色のヴェールがかかっている。窓から見える針葉樹の枝も絶えず動いている。
花粉である。駐車場の車の屋根には薄い黄色の粉を撒いたようになっている。この季節は、特に今年は例年の2倍以上の花粉が飛散しているとニュースでも伝えていた。誠にうっとおしい限りである。例年、このうっとおしさから逃れるように北見へ行くのだが、残念ながら今年は5月中旬までは行かれそうもない。
昨年、北見の愛し野内科クリニックで定期健診を受けた際に念のため受けた検査でがんの可能性を示す数値が出たため、10月に川崎に戻ってから近くの総合病院で細胞検査を受けたところ、がん細胞が確認された。幸い初期の段階で、他への転移も無かった。しかし、そのまま放置する訳にもいかず品川にある別の大学病院を紹介され放射線治療を受けることになったからである。
自分だけはがんにはならないという、今考えてみると何の根拠もない自信?のようなものがあったが、冷静に考えれば、日本人の2人に1人はがんに罹り、3人に1人はがんで亡くなっているという現実は直視しなければならない。そして、現に身内にも叔母と伯父を始めがんで命を落とした人間がいるのだ。(令和5年3月9日午後5時)
**************
最近、TVやU=TUBEの番組でも、本屋の店頭でも歯の健康に関する番組や本が目立つようになった。自分もつい5,6年前までは、虫歯で痛みが出てきたとか義歯が破損したとか何らかの支障が生じない限り、こちらから進んで歯医者に行くことはなかった。あのウイーン、ウイーンと回転するドリルでの治療は子供のころからできれば避けたいことの筆頭であった。
ところが年齢とともに何本か自分自身の歯を失わざるを得なくなって、やっとこのままでいいのだろうかという危機感を持つようになった。永年掛かっていた近所の歯科医は、治療については何ら問題はないのだが、歯のケアについてはそんなに熱心ではなかった。こちらから時々正しい歯の磨き方や普段の歯のケアについて聞いたときは説明してくれるが、医師の方から積極的に指導をすることは無かった。
しかも、ほとんど毎回の治療時間は15分で次の患者が待っているので、ケアについてゆっくり指導を受けたり、相談することも憚られた。さらに、女性の助手が一人いるのだが、治療もケアも医師が一人で行い、その女性は専ら医師の補助業務のみであった。
これではいけないと思い、駅近のオーラルケアに熱心な歯科に転医することにした。同医院の案内には「100年耐久のスーパーティ―スをミクロンチューニングで実現する「生涯に一度だけの治療」を目標に最新素材と細心のメソッドの融合」と書かれている。そして、食後3分以内のY字ホルダフロスによる「歯間」ではなく2つの歯が隣接する「隣接面」のケアを指導してくれる。
自然歯の形態を再現し、自然歯に近い素材で修復をするため、同院では主に自由診療による治療を行っている。そのためか他の一般的な歯科に比べると治療費は高くつくが、それは100年耐久のスーパーティ―スを実現するためのコストと考えれば決して無駄にはならない。近年徐々に分かってきているように、歯の健康は全身の健康に深く関わっているようだ。糖尿病や認知症の軽減や予防に貢献できるとするなら決して高い投資とは言えない。(令和5年3月13日、月曜日。午後11時)
<これがホントの お口の磨き方 SMART ORAL CARE (ホワイトファミリー歯科)>

<同上、P.24、P.25より>

<週刊朝日MOOK いい歯医者 2014年版 より>

<同上、最新歯科医療の現場から 2024 P10.P11より>

<現在使用中の歯磨き用具一式>

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花粉である。駐車場の車の屋根には薄い黄色の粉を撒いたようになっている。この季節は、特に今年は例年の2倍以上の花粉が飛散しているとニュースでも伝えていた。誠にうっとおしい限りである。例年、このうっとおしさから逃れるように北見へ行くのだが、残念ながら今年は5月中旬までは行かれそうもない。
昨年、北見の愛し野内科クリニックで定期健診を受けた際に念のため受けた検査でがんの可能性を示す数値が出たため、10月に川崎に戻ってから近くの総合病院で細胞検査を受けたところ、がん細胞が確認された。幸い初期の段階で、他への転移も無かった。しかし、そのまま放置する訳にもいかず品川にある別の大学病院を紹介され放射線治療を受けることになったからである。
自分だけはがんにはならないという、今考えてみると何の根拠もない自信?のようなものがあったが、冷静に考えれば、日本人の2人に1人はがんに罹り、3人に1人はがんで亡くなっているという現実は直視しなければならない。そして、現に身内にも叔母と伯父を始めがんで命を落とした人間がいるのだ。(令和5年3月9日午後5時)
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最近、TVやU=TUBEの番組でも、本屋の店頭でも歯の健康に関する番組や本が目立つようになった。自分もつい5,6年前までは、虫歯で痛みが出てきたとか義歯が破損したとか何らかの支障が生じない限り、こちらから進んで歯医者に行くことはなかった。あのウイーン、ウイーンと回転するドリルでの治療は子供のころからできれば避けたいことの筆頭であった。
ところが年齢とともに何本か自分自身の歯を失わざるを得なくなって、やっとこのままでいいのだろうかという危機感を持つようになった。永年掛かっていた近所の歯科医は、治療については何ら問題はないのだが、歯のケアについてはそんなに熱心ではなかった。こちらから時々正しい歯の磨き方や普段の歯のケアについて聞いたときは説明してくれるが、医師の方から積極的に指導をすることは無かった。
しかも、ほとんど毎回の治療時間は15分で次の患者が待っているので、ケアについてゆっくり指導を受けたり、相談することも憚られた。さらに、女性の助手が一人いるのだが、治療もケアも医師が一人で行い、その女性は専ら医師の補助業務のみであった。
これではいけないと思い、駅近のオーラルケアに熱心な歯科に転医することにした。同医院の案内には「100年耐久のスーパーティ―スをミクロンチューニングで実現する「生涯に一度だけの治療」を目標に最新素材と細心のメソッドの融合」と書かれている。そして、食後3分以内のY字ホルダフロスによる「歯間」ではなく2つの歯が隣接する「隣接面」のケアを指導してくれる。
自然歯の形態を再現し、自然歯に近い素材で修復をするため、同院では主に自由診療による治療を行っている。そのためか他の一般的な歯科に比べると治療費は高くつくが、それは100年耐久のスーパーティ―スを実現するためのコストと考えれば決して無駄にはならない。近年徐々に分かってきているように、歯の健康は全身の健康に深く関わっているようだ。糖尿病や認知症の軽減や予防に貢献できるとするなら決して高い投資とは言えない。(令和5年3月13日、月曜日。午後11時)
<これがホントの お口の磨き方 SMART ORAL CARE (ホワイトファミリー歯科)>
<同上、P.24、P.25より>
<週刊朝日MOOK いい歯医者 2014年版 より>
<同上、最新歯科医療の現場から 2024 P10.P11より>
<現在使用中の歯磨き用具一式>
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2022年09月04日
独居老人の独り言 令和4年9月
早いもので、9月に突入してしまった。今日は9月4日、9月最初の日曜日である。朝から晴れて、爽やかで気持ちのいい一日であった。午後から昨日やり残したお大師様の参道の回りの草刈りをした。朝方の起きたては少し寒く感じたので薪ストーブを点けた。そして今、午後の10時26分だが夕方、草刈りを終えてからシャワーを浴びてパジャマに着替え、そのまま食事の支度をして後片付けなどしているうちにもうこんな時間になってしまった。少し寒いので灯油ストーブを点けている。(令和4年9月4日午後10時32分)
先日、東武で買い物をした後、コーチャンフォーでいつものように本を見ていたら、月刊誌「Wedge ウエッジ9月号」の表書きに「デジタル庁設置から1年 漂流する行政デジタル化 こうすれば変えられる」とあるのに目が止まった。パラパラと捲ってみると、その52ページに「曖昧すぎる日本のかかりつけ医 実現に必要な「公」の視点」という記事があり、以前から日本の行政のデジタル化の遅れはもちろんだが、「かかりつけ医」についても非常に疑問に思っていたので、早速購入して帰宅した。
記事の筆者は、福祉ジャーナリスト 浅川澄一(あさかわ すみかず)とある。経歴を見ると、1948年生まれ、慶応大学経済学部卒、日本経済新聞社に入社。87年に生活情報誌「日経トレンディ」を創刊、初代編集長、編集委員を経て98年から高齢者ケア、少子化やNPO活動など、社会保障全般を担当、2011年に定年退社、現在は公益社団法人長寿社会文化協会理事、となっている。(令和4年9月6日午前2時30分)
記事によれば(原文のまま)、
コロナ禍の2021年初春からワクチン接種が始まった。「接種は住民が通い慣れた地域のかかりつけ医で」と日本医師会は主張した。主張が通り、自治体が地元医師会を通じて診療所での接種をスタートさせた。だが、トラブルが多発する。
「かかりつけ医のはずなのに、接種できないと言われた。おかしいわね」。住民は時々受診する近くの診療所から、「定期的に受診しないのは、かかりつけ患者ではない」と断られたという。そこで住民は一度も受診したことのない遠方の診療所にいくつかあたり、やっと接種できた。その診療所が「かかりつけ医」であるはずがない。かかりつけ医とは何か。各地で疑問の声が上がった。
中略。実は、かかりつけ医という用語には法律や制度上の裏付けは一切ない。医師の一方的な思い込みで「私はあなたのかかりつけ医です」と決められてしまう。コロナ禍で多くの日本の医療制度の歪みが露呈した。責任をもって住民を診察する医師が明確でないことが明らかになった。「受診の自由」(フリーアクセス)を否定され、診察を受けられない患者が続出した。医療制度の根底が揺らいでいる。(以上同誌P52、53より抜粋)(令和4年9月6日午後2時23分)
大分時間が空いてしまったが、続けよう。僕の母は平成14年に78歳で亡くなったが、以前の記事でも書いたように若くして戦争未亡人となり、生まれたばかりの赤ん坊の僕にミルクを飲ませるために父の実家である北海道の北見に行き、苦労したあげくに病を得て8年半もの横浜での闘病生活を余儀なくされた。その間僕は北見の祖父母に引き取られ、中学2年13歳の時に母の退院に伴い母の許に戻された。
それからは、母と二人で僕が伴侶を得て独立するまで暮らしたが、その間母は病み上がりの身に鞭打つような苦労をしながら僕を育ててくれた。晩年は酸素ボンベを常時携行するような状態であったが、何度僕たち家族(孫も三人になっていた)と一緒に暮らそうと言っても、自分で自分のことができるうちは一人がいいと頑なだった。僕たちに負担をかけたくないとの思いだった。
そんな母の将来を考えることが多くなったころに、当時一人で北見の実家(当時の河西牡丹園)を継いでいた叔母から、「ひろちゃん、牡丹園の安定した経営には冬の間の収入が必要だけど、何かいい方法を考えておいて」と言われた。そのころはまだ介護保険制度もなく、老人のための公的な施設は国の「措置」によるものしかなかった。平成12年(2000年)に国の介護保険制度がスタートする5年以上も前のことである。(令和4年9月17日 午後11時38分)
当時は損害保険会社(当時の安田火災海上)に勤務していたので、辞令1枚で北海道から沖縄まで、発令されたら1週間以内に着任しなければならない。母を同道することは不可能である。そこで、万一の場合は当然のことながら老人施設への入居も考えておかねばならない。そのころいろいろと読んだ本のなかで、山井和則著「体験ルポ 世界の高齢者福祉」と斉藤弥生との共著「体験ルポ 日本の高齢者福祉」に書かれている福祉の現場の状況は衝撃的であった。(令和4年9月21日 午後11時43分)
続く
******************
令和4年9月25日(日)午前10時40分。天気は快晴、現在の気温は22℃、今日の最高気温は24℃、最低気温は11℃(ただし、26日午前4時から日の出の5時15分まで)の予報である。北見は1年中で一番気持ちの良い日が多い季節である。今日の今がそのときである。
今朝はいつもの日曜日そうしているように7時半からフジテレビの日曜報道をみてから、9時からのNHKの日曜討論、そして引き続きの番組も今日のテーマは地球温暖化である。見ていて不思議に思うのは、化石燃料や原子力発電の削減、もしくは廃止と再生エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの非化石エネルギー源)の拡大のみが語られ、植物や特に樹木の働きについて語られることが全くないことである。
誰もが小学校のときに習った植物の光合成については知っているはずである。小学校では植物の葉っぱが太陽の光を浴びてデンプンを作ることを学ぶ。中学生になると理科の授業で、その働きを光合成ということを学ぶ。そして高校生では、光合成とは植物が光(のエネルギー)によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定化する反応であることを学ぶ。(令和4年9月27日 午後11時34分)
もっと分かりやすくいえば、植物は二酸化炭素をその体内に吸収して、酸素を吐き出すのである。
先日、東武で買い物をした後、コーチャンフォーでいつものように本を見ていたら、月刊誌「Wedge ウエッジ9月号」の表書きに「デジタル庁設置から1年 漂流する行政デジタル化 こうすれば変えられる」とあるのに目が止まった。パラパラと捲ってみると、その52ページに「曖昧すぎる日本のかかりつけ医 実現に必要な「公」の視点」という記事があり、以前から日本の行政のデジタル化の遅れはもちろんだが、「かかりつけ医」についても非常に疑問に思っていたので、早速購入して帰宅した。
記事の筆者は、福祉ジャーナリスト 浅川澄一(あさかわ すみかず)とある。経歴を見ると、1948年生まれ、慶応大学経済学部卒、日本経済新聞社に入社。87年に生活情報誌「日経トレンディ」を創刊、初代編集長、編集委員を経て98年から高齢者ケア、少子化やNPO活動など、社会保障全般を担当、2011年に定年退社、現在は公益社団法人長寿社会文化協会理事、となっている。(令和4年9月6日午前2時30分)
記事によれば(原文のまま)、
コロナ禍の2021年初春からワクチン接種が始まった。「接種は住民が通い慣れた地域のかかりつけ医で」と日本医師会は主張した。主張が通り、自治体が地元医師会を通じて診療所での接種をスタートさせた。だが、トラブルが多発する。
「かかりつけ医のはずなのに、接種できないと言われた。おかしいわね」。住民は時々受診する近くの診療所から、「定期的に受診しないのは、かかりつけ患者ではない」と断られたという。そこで住民は一度も受診したことのない遠方の診療所にいくつかあたり、やっと接種できた。その診療所が「かかりつけ医」であるはずがない。かかりつけ医とは何か。各地で疑問の声が上がった。
中略。実は、かかりつけ医という用語には法律や制度上の裏付けは一切ない。医師の一方的な思い込みで「私はあなたのかかりつけ医です」と決められてしまう。コロナ禍で多くの日本の医療制度の歪みが露呈した。責任をもって住民を診察する医師が明確でないことが明らかになった。「受診の自由」(フリーアクセス)を否定され、診察を受けられない患者が続出した。医療制度の根底が揺らいでいる。(以上同誌P52、53より抜粋)(令和4年9月6日午後2時23分)
大分時間が空いてしまったが、続けよう。僕の母は平成14年に78歳で亡くなったが、以前の記事でも書いたように若くして戦争未亡人となり、生まれたばかりの赤ん坊の僕にミルクを飲ませるために父の実家である北海道の北見に行き、苦労したあげくに病を得て8年半もの横浜での闘病生活を余儀なくされた。その間僕は北見の祖父母に引き取られ、中学2年13歳の時に母の退院に伴い母の許に戻された。
それからは、母と二人で僕が伴侶を得て独立するまで暮らしたが、その間母は病み上がりの身に鞭打つような苦労をしながら僕を育ててくれた。晩年は酸素ボンベを常時携行するような状態であったが、何度僕たち家族(孫も三人になっていた)と一緒に暮らそうと言っても、自分で自分のことができるうちは一人がいいと頑なだった。僕たちに負担をかけたくないとの思いだった。
そんな母の将来を考えることが多くなったころに、当時一人で北見の実家(当時の河西牡丹園)を継いでいた叔母から、「ひろちゃん、牡丹園の安定した経営には冬の間の収入が必要だけど、何かいい方法を考えておいて」と言われた。そのころはまだ介護保険制度もなく、老人のための公的な施設は国の「措置」によるものしかなかった。平成12年(2000年)に国の介護保険制度がスタートする5年以上も前のことである。(令和4年9月17日 午後11時38分)
当時は損害保険会社(当時の安田火災海上)に勤務していたので、辞令1枚で北海道から沖縄まで、発令されたら1週間以内に着任しなければならない。母を同道することは不可能である。そこで、万一の場合は当然のことながら老人施設への入居も考えておかねばならない。そのころいろいろと読んだ本のなかで、山井和則著「体験ルポ 世界の高齢者福祉」と斉藤弥生との共著「体験ルポ 日本の高齢者福祉」に書かれている福祉の現場の状況は衝撃的であった。(令和4年9月21日 午後11時43分)
続く
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令和4年9月25日(日)午前10時40分。天気は快晴、現在の気温は22℃、今日の最高気温は24℃、最低気温は11℃(ただし、26日午前4時から日の出の5時15分まで)の予報である。北見は1年中で一番気持ちの良い日が多い季節である。今日の今がそのときである。
今朝はいつもの日曜日そうしているように7時半からフジテレビの日曜報道をみてから、9時からのNHKの日曜討論、そして引き続きの番組も今日のテーマは地球温暖化である。見ていて不思議に思うのは、化石燃料や原子力発電の削減、もしくは廃止と再生エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの非化石エネルギー源)の拡大のみが語られ、植物や特に樹木の働きについて語られることが全くないことである。
誰もが小学校のときに習った植物の光合成については知っているはずである。小学校では植物の葉っぱが太陽の光を浴びてデンプンを作ることを学ぶ。中学生になると理科の授業で、その働きを光合成ということを学ぶ。そして高校生では、光合成とは植物が光(のエネルギー)によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定化する反応であることを学ぶ。(令和4年9月27日 午後11時34分)
もっと分かりやすくいえば、植物は二酸化炭素をその体内に吸収して、酸素を吐き出すのである。
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2022年08月12日
東京芸大現役生、三人の演奏によるコンサート
令和4年8月11日、午後14時から北見芸術文化ホールで開催された演奏会を聞きに行ってきました。演奏者は三人で、三人とも東京芸術大学の現役生です。
岡本卓徳(たかのり、ヴァイオリン)、塩飽桃加(しわく ももか、ピアノ)、本堂竣哉(ほんどう しゅんや、ピアノ)の三人で、岡本卓徳さんは北見市端野町の愛し野内科クリニック院長の岡本卓(たかし)先生のご長男です。岡本さんは、北見出身で現在2年生、塩飽さんは広島市出身で同じく2年生、本堂さんは北見市出身で1年生です。(令和4年8月12日 午前0時15分)
<北見芸術文化ホール>

今回の演奏会は愛し野内科クリニックの主催で、入場無料、全席自由席です。入場整理券は必要ですが当日の入場も可能です。4日間とも13時30分開場で14時からの開演ですが、連日の開演前と終了後は岡本先生が来場者のお出迎えとお見送りをなさっていました。演奏会の運営はクリニックのスタッフの方やボランティアの方々のようでした。
<ホール内の演奏会場入り口付近。連日、岡本先生が入場者の出迎えと見送りをされていました>

<演奏会場の客席後部からステージを見る>

演奏会は「オホーツク・ミュージック・フロンティア」と題して、ベートーヴェン・バルトーク・フォーレ ヴァイオリンソナタ全曲演奏会となっています。曲目は、演奏者自身も途中で話していたように高度の演奏技術を必要とする部分も多く、聞いていても結構な力仕事であることが分かります。とてもこれだけの曲を4日間も連続で溌溂として演奏できるということは若さ故に可能なことと感じさせてくれる演奏会でした。
<当日のプログラムから>



プログラムの最後に、主催者の「ごあいさつ」として愛し野内科クリニック 院長 岡本 卓 の名前で次のように述べられています。(末尾の部分から一部補足を加えた)
「我々は、(新型コロナ感染症蔓延で、いったん消えた)クラシック音楽の灯火の再点火を目論み、今回の企画を立案した。三人の芸大生に生演奏を4日間繰り広げてもらうという意欲的なものだ。そしてフレンドリーコースも付け加えた。(演奏会が終わったのち、連日18時過ぎから、地元の皆様との音楽交流として演奏者によるヴァイオリンとピアノのフレンドリーレッスンを開催)以下途中省略。
この新しい試みが成功し、さらには、来年への布石となれば幸いである。」
<岡本院長の「ごあいさつ」>

このような試みがクラシック音楽の生演奏を通して、子供から大人、お年寄りまで北見市民の憩いとなり、心の栄養となって広がってゆくことを期待し、来年以降もますます参加者が増えてゆくことを楽しみにしたいと思います。(令和4年8月13日午後11時51分)
岡本卓徳(たかのり、ヴァイオリン)、塩飽桃加(しわく ももか、ピアノ)、本堂竣哉(ほんどう しゅんや、ピアノ)の三人で、岡本卓徳さんは北見市端野町の愛し野内科クリニック院長の岡本卓(たかし)先生のご長男です。岡本さんは、北見出身で現在2年生、塩飽さんは広島市出身で同じく2年生、本堂さんは北見市出身で1年生です。(令和4年8月12日 午前0時15分)
<北見芸術文化ホール>
今回の演奏会は愛し野内科クリニックの主催で、入場無料、全席自由席です。入場整理券は必要ですが当日の入場も可能です。4日間とも13時30分開場で14時からの開演ですが、連日の開演前と終了後は岡本先生が来場者のお出迎えとお見送りをなさっていました。演奏会の運営はクリニックのスタッフの方やボランティアの方々のようでした。
<ホール内の演奏会場入り口付近。連日、岡本先生が入場者の出迎えと見送りをされていました>
<演奏会場の客席後部からステージを見る>
演奏会は「オホーツク・ミュージック・フロンティア」と題して、ベートーヴェン・バルトーク・フォーレ ヴァイオリンソナタ全曲演奏会となっています。曲目は、演奏者自身も途中で話していたように高度の演奏技術を必要とする部分も多く、聞いていても結構な力仕事であることが分かります。とてもこれだけの曲を4日間も連続で溌溂として演奏できるということは若さ故に可能なことと感じさせてくれる演奏会でした。
<当日のプログラムから>
プログラムの最後に、主催者の「ごあいさつ」として愛し野内科クリニック 院長 岡本 卓 の名前で次のように述べられています。(末尾の部分から一部補足を加えた)
「我々は、(新型コロナ感染症蔓延で、いったん消えた)クラシック音楽の灯火の再点火を目論み、今回の企画を立案した。三人の芸大生に生演奏を4日間繰り広げてもらうという意欲的なものだ。そしてフレンドリーコースも付け加えた。(演奏会が終わったのち、連日18時過ぎから、地元の皆様との音楽交流として演奏者によるヴァイオリンとピアノのフレンドリーレッスンを開催)以下途中省略。
この新しい試みが成功し、さらには、来年への布石となれば幸いである。」
<岡本院長の「ごあいさつ」>
このような試みがクラシック音楽の生演奏を通して、子供から大人、お年寄りまで北見市民の憩いとなり、心の栄養となって広がってゆくことを期待し、来年以降もますます参加者が増えてゆくことを楽しみにしたいと思います。(令和4年8月13日午後11時51分)
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