2019年06月26日

人生100年時代の到来と年金問題

  このところ、人生100年時代到来とマスコミが喧伝し、6月3日に取りまとめられた金融審議会の報告書が「公的年金だけでは、老後30年間(満95歳まで)で2,000万円が不足する」と公表した。これに対して麻生太郎金融担当大臣が、この報告書を受け取らないと表明し、野党は7月に予定される参院選に向けて政府批判の材料として取り上げている。

  僕は、この金融審議会の指摘は至極当たり前のことを言っているに過ぎないと思う。いや、むしろ現実はもっともっと厳しいものになるだろうと思う。なぜならば、この2,000万円の不足額には2004年の年金改正で導入された「マクロ経済スライド」が全く織り込まれていないからである。

  「マクロ経済スライド」とは、改正前までは年金は物価上昇率に応じて毎年上げ下げされるのが原則であった(物価スライド)のに対して、2004年の改正では一定期間、物価スライドが棚上げされ、現役世代の人口減少や平均余命の伸びを勘案して給付水準を自動的に調節する仕組みに置き換えられたことをいう。

  2004年の改正では、高齢化が進むもとでも年金財政を持続的なものにするため、保険料率の段階的な引き上げや国庫負担(税金)の増額という歳入増とともに、「マクロ経済スライド」という歳出抑制を図る仕組みが導入されたのである。これを根拠に、「100年安心」のキャッチフレーズが生まれた。

  具体的には、仮に物価が2%上がっても年金の上げ幅は物価上昇率から1〜2%差し引いた0〜1%に止められることになるのである。この「マクロ経済スライド」をきちんと織り込んで計算し直すと、2018年に月5万円の不足額は、2037年には8万円、2047年には10万円へと拡大する。そうすると、2,000万円だった不足額は30年間で3,000万円となる。

  さらに報告書では、サラリーマンの夫と専業主婦の妻からなる世帯を想定していて、年金給付額の総額9,700万円は、夫の厚生年金と基礎年金、妻の基礎年金と夫の死後に受け取る遺族厚生年金の合計額である。

  そこには、次のような世帯が抜け落ちてしまっている。
  一つは、国民年金制度加入者、すなわち基礎年金のみの受給者である。基礎年金は満額でも月6.5万円(2019年)程度であるうえ、年金財政を持続可能とするためには、仮に将来良好な経済状況が続いたとしても3割程度の給付水準抑制が必要との試算が示されている。

  もう一つは、単身高齢女性である。現在、75歳以上の女性のうち約3分の2の664万人が、夫との死離別・未婚である。2040年には、こうした女性が920万人まで増加すると見込まれている。
  報告書が想定するように、夫婦ともに老後20年、30年を過ごすのはむしろ少数派であり、単身高齢女性の老後所得保障政策こそ、より真剣に対策を検討しなければならない課題だと思う。
  
  報告書に対する世の中の反応は、大方はマスコミと野党が「百年安心と政府が約束したのに、30年間で2,000万円不足するとは何事か」と煽った結果だろう。良識のある国民は、そんなことはとっくに承知のことである。国の年金とは、あくまでも最低保証であり、誰も国がゆとりある老後まで保証してくれるとは思っていないだろう。

  我々は、北朝鮮のような特定の一族による独裁国家や、中国のような共産党による一党独裁の社会主義国家に住んでいる訳ではない。自分の将来は自分で決められる自由主義の国家に住んでいるのである。しかも、少しでも自分や家族の将来に関心があれば、誰でもあらゆる情報を収集することができるし、自分なりに対策を立てることもできたはずである。
  
  いい歳をして、大の男がマスコミや野党の誘導に乗って軽々に騒ぎ立てるのは、己の馬鹿さ加減を自ら晒すようなものである。30年以上前から分かっていた状況に対して、何らの手だても講じることなく安穏と過ごしてきたつけが回ってきたに過ぎないことを知るべきだと思う。世の中と自然は、そんなに甘くはないのだ。

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2019年06月19日

ふたたび孤独について

  最近、本屋の店頭には孤独に関する新書が目立つ。いろいろと読んでみたが、大体は孤独こそ自己の内面に深く向き合うことで真に豊かな人生を送れる、と言うのが結論になっているものが多いように思う。あたかも、孤独を礼賛するようなものもある。

  本当にそうだろうか?確かに孤独(自分一人)の状態にあることは、他人から邪魔されることなく、他人の評価や承認を求めようとする必要もなく、より深く自己を見つめることができる。自分は本当は何がしたいのか、したくないのか?何をすべきなのか、すべきではないのか?どんな人間になりたいのか、なりたくないのか?自分にとって、一番大事なことは何なのか?等々、ゆっくり静かに考えることができる。

  孤独には三つの様相があるとするものもある。(「孤独の達人」 諸富祥彦著 PHP新書)
  一つは、パートナーがいない、友達がいない、といった社会的孤立。あるいは、配偶者や恋人、家族を失うという喪失感。自分で選んだわけではなく、否応なくそのような状態に追いやられてしまった「非選択的な孤独」ともいえる孤独。ただひたすら寂しい、喪失と絶望にうちひしがれた孤独である。

  二つ目は、普段、仕事仲間や家族(配偶者を含め)や友人、恋人などとの人間関係に縛られ、心身ともに疲れた人が、自分を解き放って自由と解放を獲得する、自分から主体的に選択する「選択的孤独」。

  三つ目は、世の中の喧騒から離れて徹底的に孤独に徹し、一人黙して自己の内面深くに沈潜する「実存的な深い孤独」。自己と向き合い、自己と対話する時間がなくては、人間としての真の成長はない。また、創造的なこと(思想、芸術、科学的な発見など)は、孤独な作業からしか生まれないし、深い孤独を知った人間は、表面的なつながりは避けて少数の人との深く、親密な関係でしか満たされなくなる。

  僕は、人間は本来孤独なものだと思っている。誰でも、少なくとも生まれてくるときと、死ぬときは一人である。友達や、配偶者や恋人、家族、にも行き違いはあるし、いつかは別れのときもくる。その意味では誰しも「非選択的な孤独」な存在であることは仕方のないことだと思う。寂しい存在なのだと思う。

  そのことを認めたうえで、では、その孤独に自分はどう向きあうのか、孤独で寂しいから友達や恋人を求めて彷徨うのか、配偶者や家族に救いを求めるのか、はたまた、最近はLINEやFACEBOOKのような手段で不特定多数の人と繋がろうとするのか・・・・・。なんとも、余計に寂しくなるだけのような気がする。そのような関係(お互いに一人では寂しいから、という関係)は長続きはしない。

  かといって、人間関係に疲れたから孤独になりたいというのも誰にでもあることだが、これとて寂しいことには変わりないと思う。いくら自分を解き放って自由だといっても、永遠に孤独が続くことには耐えられないだろう。特に、大きな挫折を経験したり、自分でも年老いたと感じるときには、仕方がないと諦めるか、誰かに慰めて欲しいとか、そばにいて欲しいとか思うのが人間だ。

  ましてや、積極的に孤独であることを選択し孤独に徹することは、確かに何か創造的な仕事を成し遂げるときには必要なものかも知れないが、四六時中孤独に徹することなど普通の人間にできることなのだろうか。  普通の人間は、一つ目の「非選択的な孤独」に常に留まっているか、時々二つ目の「選択的な孤独」と、稀には三つ目の「実存的な深い孤独」の間を往ったり来たりしているのではないだろうか。

  例えば、偶然なことから出会った女性(男性)にひと目惚れしたとしよう。自分の人生で二度と巡り合うことはないと思えるほどの、自分にとって理想の女性(男性)だと思い、誠実に自分の思いを告白し、相手もそれなりに好意を見せてくれていた(と思っていた)とする。しかし、それから暫くして、ある日突然、自分としては納得のいかない理由で(あるいは、理由さえも告げずに)付き合いを拒否される。

  思いが深ければ深いほど、心は傷つき、なかなか立ち直ることさえできない。孤独で寂しいときを耐えなければならない。「非選択的な孤独」である。とてもとても、「選択的な孤独」や「実存的な深い孤独」の心境にはなれない。僕は、それが人間というものだと思う。

  最近は、世の中が昔と比べると、まだまだ欧米には及ばないにしても、多様性を容認するようになったからか、あるいは、よりストレスフルになっているからか、恋愛をしない若者が増えているそうだ。また、生涯結婚せずに独身で過ごす人や、結婚しても数年で別れる人、最近は20年も30年も連れ添ったにもかかわらず離婚する、いわゆる中年、熟年離婚も増えている。
  それは、人々の考え方がより自由になったからでもあり、必ずしもネガテイブなことではない。ただし、恋愛や結婚をリスクと考えて臆病になるか、あるいは逃避的になっているとすれば、それはつまらない人生を送ることになることだと思う。

  僕は、この世には「愛すること」ほど素晴らしいことはないと信じている。幾つになっても、それは最高の幸せであると思う。ただし、「愛すること」には覚悟と忍耐と勇気が必要不可欠だ。時には大きな犠牲が必要なこともある。

  自ら孤独を求めて心の安らぎを得ることも、孤独に徹することで自分自身を深く見つめることも、ときには必要なことであることは間違いない。しかし、人であれ、自然であれ、他の何かであれ、「愛すること」ほど心ときめき、心安らぐことはない。だから、僕はもし人間が孤独や寂しさから解放されることがあるとすれば、それは唯一「愛すること」でしかないと信じている。

posted by ぼたん園々主 at 01:41| Comment(0) | 日記

2019年06月16日

「緊急のお知らせ」(6月5日)の解除

  今日は6月16日、日曜日です。
  夜半からの雨で、今日は休園しています。朝から気温13℃と肌寒く、室内は暖房をしています。

  6月5日(水)に6月6日(木)から1週間ほど、ぼたん園南側の正門を閉めますので、東側、緑園通りの「遊木民族」側入口より入園して頂くようお知らせしましたが、6月15日午後から、と言っても今日、16日は雨のため休園していますが、明日の17日(月)からは(雨が止んでいれば)正門も平常通り開門します。

  例年だとまだまだ咲いている牡丹も、今年は既に殆ど終わり、今はクリンソウ(九輪草)、ベニウツギ(紅空木)、クレマチス、コデマリ(小手毬)、などが静かに咲いています。
posted by ぼたん園々主 at 10:24| Comment(0) | 日記

2019年06月11日

「クララ・シューマン」

  令和元年6月11日(火)10:50AM、この記事を書き始めた。ここは、川崎の自宅の我が書斎である。

  僕が、今でも最も好きな曲のひとつはシューマンの作曲したピアノ曲「トロイメライ」である。ピアノ曲集「子供の情景」のなかの一曲である。特に、ホロヴィッツの演奏する「トロイメライ」を聞くと、どんなときでも心が落ち着き、やさしい気持ちになれる。

  クララ・シューマンはクラシックファンにとっても、ほとんどはシューマンの妻として知られているだけで、ブラームスが好きなクラシックファンであれば、彼が生涯独身で通したのはクララ・シューマンを理想の女性として慕い続けていたからだ、などと知っているのではなかろうか。じつは僕も、その程度の知識しか持ち合わせていなかった一人である。

  この本を読むと、クララはクララ・ヴィークとして8歳のときにデビューしたときから、天才少女ピアニストとして名声を高め、21歳で9歳年上のロベルト・シューマンと結婚するが、彼は結婚の数年後から精神を病むようになり、ついには46歳で世を去ることになる。その間クララは7人の子どもを生み、ピアノを弾くことで夫の療養費と子どもたちの教育費と生活費をまかない、夫と子どもたちを守り抜く。

  そして、夫ロベルト・シューマンの没後も、40年間にわたって夫の作品を世に出すべく各地の演奏会で弾き続け、作品を整理、校訂し、シューマン全集の出版にも携わるなど、今日のロベルト・シューマンの評価に繋がる努力をし続けた。さらには、生涯にわたり作曲の才能を発揮し、優れた楽曲を多数残してもいる。

  また、76歳の生涯のうち44年間に及ぶヨハネス・ブラームスとの関係は、僕のような凡人には窺い知ることができないが、興味深いものである。

  いづれにしても、人として、妻として、母として、そして才能ある音楽家として、その生涯を毅然として生きた一人の女性の感動的な事実の物語である。

<「クララ・シューマン」 萩谷由喜子著 ヤマハミュージックエンタテインメントホールデイングス 編集 河西恵里>
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<日経新聞 令和元年6月1日(土)読書欄に掲載された記事。写真を左クリックで拡大できます>
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posted by ぼたん園々主 at 12:43| Comment(0) | 日記

2019年06月05日

ぼたん園からの「緊急のお知らせ」

  今日は6月5日(水)です。時間は11時10分です。今日は曇り、気温16℃です。ちょっと肌寒いです。午後からは雨の予報になっています。

  今朝も朝から端野町や佐呂間町からのお客様が見えています。牡丹は今が満開ですが、昨夜は雨が降っていましたので、今朝の牡丹は雨に濡れて花弁が重くなり、ちょっと俯(うつむ)いて見えます。ぱっと晴れて花弁が乾いて軽くなれば、また元気に空に向いて艶やかな姿を見せてくれるのですが・・・。

  ところで、緊急のお知らせです。
  ぼたん園の入り口は、南側の北3線通りに面した「正門」と、東側の緑園通りに面している「カフェ遊木 民族」前の「東門」の2か所にありますが、明日(6月6日(木))から1週間ほど、都合により「正門」を閉門し、「東門」からの入園のみとなります。 
  
  この間のお問い合わせは下記にお願いいたします。
      カフェ 遊木民族  0157−33−1324
      営業時間  11:00〜23:00 月曜日定休
      駐車場   約30台有


  
posted by ぼたん園々主 at 12:24| Comment(0) | 日記