2022年03月04日

独居老人の独り言 令和4年3月

 あれよあれよという間に3月になってしまった。2月24日にはとうとうロシアがウクライナに全面侵攻した。今日は3月4日。産経新聞ではロシア国防相がロシア将兵498人が戦死、1597人が負傷したと具体的な損害を初めて公表したと報じている。また、同時に同省はウクライナ将兵2870人以上が死亡、572人を捕虜にしたことも明らかにしているという。

 マスコミは連日ウクライナの惨状と国際的なロシアに対する非難と制裁について報道している。確かに罪もない一般国民が逃げ惑い、子供や年寄りが泣き叫び、銃を取って、あるいは素手で戦車を止めようと立ち向かう住民、国を守るためにウクライナ国内に残った父親を案じる家族などの映像を見ると、本当に同情を禁じ得ない。つい70数年前に日本で起きていたことを想うととても他人事とは思えない。

 戦争がよくないことは普通の人間ならば誰でも分かっている(はずだ)。誰も戦争を起こしたくて戦争を始める人間はいない(と信じたい)。恐らくプーチンだって戦争したくて侵攻を決断したのではないのではないか。日本が真珠湾を攻撃した時のような止むに止まれない事情が全く存在しないとは断言できない。盗人(ではないが、現象面だけを見るとそう見える)にも三分の理、とういう諺もある。一方の言い分だけではなく、双方の言い分を聞くことは必要なことと思うので、大分長くなるが取り上げてみたい。

 一部の報道では侵攻直前にプーチンがロシア国民に向けて1時間に亘る演説をしたことが報じられているが、その内容については殆ど断片的なことしか報道されず、専らプーチンの嘘の宣伝と捉えている。
 そこで、ネットで調べてみたところNHK NEWS WEBに演説の全文が載っていた。(search.yahoo.co.jp)
【演説全文】ウクライナ侵攻直前プーチン大統領は何を語った? 2022年3月4日18時25分)

 プーチン大統領演説 2022年2月24日 抜粋
 NTOの”東方拡大”への危機感
  この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。
 私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。
 その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。軍事機構は動いている。繰り返すが、それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。

 西側諸国が打ち立てようとした”秩序”は混乱をもたらしてきた
 ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法上の規範が、(中略)自らを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。

 もちろん、実務において、国際関係において、また、それを規定するルールにおいては、世界情勢やパワーバランスそのものの変化も考慮しなければならなかった。しかしそれは、プロフェッショナルに、よどみなく、忍耐強く、そしてすべての国の国益を考慮し、尊重し、みずからの責任を理解したうえで実行すべきだった。

 しかしそうはいかなかった。あったのは絶対的な優位性と現代版専制主義からくる陶酔状態であり、さらに、一般教養のレベルの低さや、自分にとってだけ有益な解決策を準備し、採択し、押し付けてきた者たちの高慢さが背景にあった。

 事態は違う方向へと展開し始めた。
 例を挙げるのに遠くさかのぼる必要はない。まず、国連安保理の承認なしに、ベオグラードに対する流血の軍事作戦を行い、ヨーロッパの中心で戦闘機やミサイルを使った。数週間にわたり、民間の都市や生活インフラを絶え間なく爆撃した。

(中略)

 リビアに対して軍事力を不法に使い、リビア問題に関する国連安保理のあらゆる決定を曲解した結果、国家は完全に崩壊し、国際テロリズムの巨大な温床が生まれ、国は人道的大惨事に見舞われ、いまだに止まらない長年にわたる内戦の沼にはまっていった。

 リビアだけでなく、この地域全体の数十万人、数百万人の人々が陥った悲劇は、北アフリカや中東からヨーロッパへ難民の大規模流出を引き起こした。

 シリアにもまた、同じような運命が用意されていた。シリア政府の同意と国連安保理の承認が無いまま、この国で西側の連合が行った軍事活動は、侵略、介入にほかならない。

 (イラク侵攻について)その口実とされたのは、イラクに大量破壊兵器が存在する信頼性の高い情報をアメリカが持っているとされていることだった。

(中略)

 後になって、それはすべて、デマであり、はったりであることが判明した。イラクに化学兵器など存在しなかったのだ。その結果、大きな犠牲、破壊がもたらされ、テロリズムが一気に広がった。世界の多くの地域で、西側が自分の秩序を打ち立てようとしてやってきたところでは、ほとんどどこでも結果として、流血の癒えない傷と、国際テロリズムと過激主義の温床が残された。(以下省略)

 アメリカは”うその帝国”
 NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、騙されたのだ。(中略) これだけのいかさま行為は、国際関係の原則に反するだけでなく、なによりもまず、一般的に認められている道徳と倫理の規範に反するものだ。正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。

(中略)

 色々あったものの、2021年12月、私たちは、改めてアメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。すべては無駄だった。アメリカの立場は変わらない。彼らは、ロシアにとって極めて重要なこの問題について私たちと合意する必要があるとは考えていない。自国の目標を追い求め、私たちの国益を無視している。

(中略)

 軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。この点で、我が国への直接攻撃は、どんな侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。(以下略)

 しかし、私たちの国境に隣接する地域での軍事開発を許すならば、それは何十年もさきまで、もしかしたら永遠に続くことになるかもしれないし、ロシアにとって増大し続ける、絶対に受け入れられない脅威を作り出すことになるだろう。

 NATOによるウクライナ領土の軍事開発は受け入れがたい
 (中略)
 問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が着々と供給されている。アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当(ママ、?)だ。

 一方、我が国にとっては、それは結局のところ生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。誇張している訳ではなく、実際そうなのだ。これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度もいってきたレッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。

 そんな中、ドンバス(ウクライナ東南部地方、ドネツク州、ルハーンシク(露語ではルガンスク)州)の情勢がある。2014年にクーデターを起こした勢力が権力を乗っ取り、お飾りの選挙によってそれ(権力)を維持し、紛争の平和的解決を完全に拒否したのを、私たちは目にした。8年間、終わりの見えない長い8年もの間、私たちは事態が平和的・政治的手段によって解決されるよう、あらゆる手段を尽くしてきた。

 が、全ては徒労に帰した。(中略)ロシアしか頼る先がなく、私たちにしか希望を託すことのできない数百万の住民に対するジェノサイド、これを直ちに止める必要があったのだ。まさに、人々のそうした願望、勘定、痛みが、ドンバスの人民共和国を承認する決定を下す主要な動機となった。

 さらに強調しておくべきことがある。NATO主要諸国は、自らの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。彼ら(民族主義者ら)はクリミアとセバストポリ(クリミア半島南西部の都市)の住民が、自由な選択としてロシアとの再統合を選んだことを決して許さないだろう。当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。それこそドンバスと同じように。戦争を仕掛け、殺すために。大祖国戦争(第二次大戦)の際、ヒトラーの片棒を担いだウクライナ民族主義一味の虐殺者たちが無防備な人々を殺したのと同じように。

 彼ら(民族主義者ら)は公然とロシアの他の数々の領土も狙っていると言っている。全体的な状況の流れや、入ってくる情報の分析の結果が示しているのは、ロシアとこうした勢力との衝突が不可避だということだ。それはもう時間の問題だ。彼らは準備を整え、タイミングをうかがっている。今やさらに、核兵器保有までも求めている。そんなことは絶対に許さない。(中略)

 目的はウクライナの”占領”ではなく、ロシアを守るため
 現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。それは、ウクライナ人を人質にとり、我が国とわが国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。

(中略)

 (ウクライナ軍の軍人たちに呼びかけて)親愛なる同士の皆さん。あなたたちの父、祖父、曾祖父は、今のネオナチがウクライナで権力を掌握するためにナチと戦ったのではないし、私たち共通の祖国を守ったのでもない。あなた方が忠誠を誓ったのは、ウクライナ国民に対してであり、ウクライナを略奪し国民を虐げている反人民的な集団に対してではない。その(反人民的な集団)に従わないでください。直ちに武器を置き、家に帰るよう、あなた方に呼びかける。

(以下省略)

 ここまで読んで、どう感じられたであろうか?(令和4年3月12日午後4時) 

 プーチンの言い分を検証するため先ずはウクライナの歴史への理解が必要と考えて調べてみたが、相当複雑であり日本のような周りを海に囲まれた海洋国家とは違い、四方を他国と陸続きで国境を接している大陸国家ならではの民族、宗教、文化などのせめぎ合いの歴史である。(令和4年3月31日午後24時)

 
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2022年02月09日

独居老人の独り言 令和4年2月

 あっという間に令和4年も2月になってしまった。今日は2月9日(水)、時間はもうすぐ23時になろうとしている。明日は天気予報では雪になるようである。

 武漢ウイルスは変異して「オミクロン」となり、毒性は弱まるも感染力は増している。感染の中心は若者や子供たちに移ってきているようだが、彼らが家庭を介して重症率や死亡率の高い高齢者や基礎疾患のある大人に感染を広げているようで、相変わらず自宅待機者が増えており医療機関は検査と3回目のワクチン接種に追われ、その分一般外来にしわ寄せが生じている状況になっている。

 そんな中で毎日のようにテレビや新聞で報道される事件は、世の中に鬱積しているマグマがふつふつと地表に噴出してくるようなものばかりである。このところ続いている「拡大自殺」や家族間の殺人など明らかにウイルス禍の影響によるものと言わざるを得ない。これら報道される事件は氷山の一角に過ぎないのではないかと思う。表面に出てこないところで理不尽なことが毎日あちこちで起きているのではないだろうか。

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 令和3年2月11日午前10時30分。天気は晴れ。昨夜は雪の予報だったが、自宅近くでは細かい雪が昨日の午後から夜中まで降っていたようだが、積るようなことはなかった。テレビのニュースでは昨夜は箱根辺りでは雪が積もり、坂道で車が何台も立ち往生している様子が報道されている。

 一昨年の12月から駅近くの歯科医に通うようになって、北見にいる間は除いて定期的に歯の治療とオーラル・ケア(口腔ケアに力を入れる予防歯科)の指導を受けている。
 今まで歯がこんなに全身の健康と疾患に密接な関係があることは、知っているつもりになっていたようで実は何も分かっていなかったことを改めて認識させられた。食後は3分以内に歯を磨くこと、デンタルフロスの有効な使い方、適切なケアグッズや消毒薬の選択、等々勉強になることばかりである。

 それと最近はこの歯科医に通うことにひとつの楽しみを見つけている。それは、最近この歯科医の名前の前に新しく「LIFE STYLE ORAL HEALTH」という文字が加わったのであるが、この言葉が表すように患者が待機するところに、ところ狭しと口腔ケアはもちろん、健康、人生、ビジネス、海外など幅広い分野に関する本が置かれているのである。いつでも貸し出しOKなので、必ず1冊は借りて帰ることにしている。

 これらの本を読んでの率直な感想は、やっぱりアメリカって凄いなと思う。GAFAMを連想してしまうように何かが日本とは根本的に違う。それはつまるところ幼児から始まる教育の違いではないだろうか。

 日本の教育は相も変わらず知識偏重、小さい時から自分の頭で考えさせることをやらないからだと思う。出された問題に対して要求されるとおりの回答ができる子ども、従順でよい子ばかりを育てようとしているからだ。そもそも世の中は正解のある問題の方が少ないし、自ら問題を見つけて、あるいは自ら問題を作成して回答を導き出さなければならないことの方が多いのだ。

 日本のノーベル賞受賞者、特に科学分野での受賞者たちは殆んどがアメリカで学び、研究をしていることにもそれは現れていることは明らかだろう。日本も江戸時代には、鎖国にも拘わらず世界に先駆けた創意、工夫、発明がなされていたし、近年も現在の科学技術の端緒を開いた江崎ダイオードやLED、リチウム電池などの発明で世界に貢献している。

 日本人に能力がないわけではないことははっきりしているのに、なぜアメリカのように社会に力強さや突破力が感じられないのだろうか。僕にはどうしても、元を辿れば日本の戦後教育に大きな原因があるとしか思えない。

 いつも国会中継を見ていて思うことがある。なぜ総理大臣も大臣をはじめ、国会議員が手許の原稿を読むような質疑や議論しかできないのだろうか。誰でも言い間違いはあるし、言葉や数字を正確には憶えていないことは当たり前のことではないか。野党もくだらない揚げ足取りに地道を上げ、些細な間違いにもまるで鬼の首を取ったかのように振る舞う。原稿を読み上げるようなやりとりでは本当の想いは伝わらない。。

 自分の言葉で議論するから議論になるのであって、役人の用意した答弁書を読み上げることは議論ではない。自分の言葉で発言するからこそ、その人間の頭の中にある思考が吐き出されるのである。その人間の真の思想や人間までもが表に現れるのである。それを恐れているようでは、代議士の資格などないと思う。また、社会もそうした時に例え言い間違いや勘違いがあってもその真意を汲み取る度量を持たなければならない。
 
 それにしても、なぜ日本とアメリカではこうも国家としての勢いが違ってしまったのだろうか。

<最近借りた本>
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 ロコ・ソラーレがオリンピックで銀メダルを獲得した。今朝からテレビでも新聞でも大きく報道されている。北見(正確には常呂)の人間がスポーツとはいえ、こんなに大きく全国の話題になることはこれまではなかったことだし、これからもそう度々あることではないだろう。その意味では彼女たちが郷里に果たした貢献は計り知れないものがある。これを受けて北見市と市民が彼女たちの偉業を町の発展にどう繋げ、また彼女たちの切り開いた道をどう伸ばし、更に育てて行くのかが問われる。

 それにしても、詳しい経緯は知らないが常呂に生まれ、12歳で本格的にカーリングを始めた少女がチーム青森のメンバーとして2006年のトリノ、2010年のバンクーバーのオリンピックに出場し、24,5歳の時に自ら新たにチーム、ロコ・ソラーレを立ち上げ、2018年の平昌オリンピックに出場し銅メダルを獲得した。現在、一般社団法人ロコ・ソラーレの代表理事としてチームの強化、そしてセカンドチーム「ロコ・ステラ」(ソラーレの太陽に対してステラは星)の立ち上げと指導、さらには地域貢献に力を注ぐ本橋麻里である。

  かねてより女性の偉大さについては畏敬の念を抱いている自分としては目を見張るものがある。振り返ってわが身を顧みれば、牡丹園という偉大な遺産を引き継ぎながら何らその発展に貢献することなくいづれこのまま消滅させてしまうのかと思うと忸怩たる思いに堪えない。

 そもそもこの牡丹園は祖母のミセが当時道会議員から国政に出ようとしていた祖父貴一がいつ選挙に落ちてもいいように5人の子供たちのために、当時のしかも北の外れの田舎町で本格的な洋食店を経営しながら蓄えた金を亭主に内緒で投じて購入した5町歩(約1万五千坪)の林野が基である。

 また、私の母は東京の麹町小学校から四谷双葉、武蔵野音大と典型的な東京のお嬢様育ちであったが、戦時中のこととは言えたまたま縁あって北海道の果ての田舎に育ち、小学生の頃からあこがれであった海軍兵学校に進み、大好きだった飛行機、それも戦闘機乗りだった父と知り合い、周囲の反対にもかかわらず、お国のために死にゆく若者を一人で逝かせる訳にはいかないと結婚、赤ん坊ができたことを知りながら南海に散った夫の形見を己を犠牲にして病身に鞭打ちながら育てた。

 この二人のことを想う時、そして女手一つで立派に子供を育てている女性に出会う時、女性の、そして母の偉大さに涙が止まらなくなるのである。
 本橋麻里さんとはお会いしたことはない(一度だけ北見市が主催した壮行会かなにかで舞台上のご本人を見たことがあるだけ)が、なんとなく母への思いと重なってしまうのである。

 2019年の4月6日の記事にも書いたが、このロコ・ソラーレが前年の2018年の平昌オリンピックで同メタルを獲得した。(この時のメンバーは5thの石崎琴美以外は今回と同じく、鈴木夕美、吉田知那美、吉田夕梨花、藤沢五月であり、5thは本橋麻里であった)

 この間、2013年(平成25年)には新しく国内最大6シートを備えたカーリング専用屋内施設「アドヴィックス常呂カーリングホール」がオープンした。しかし、北見市街から常呂までは車で40分から50分はかかり、国際試合を開催するには、常呂町にはそれだけの宿泊施設がない。

 そこで、2019年(平成31年、令和元年)に北見市の一部財界人から北見市の中心部に通年でカーリング、フィギュアスケート、アイスホッケー、ショートトラックスピードスケートなどの国際競技ができる総合的なアイススポーツの屋内競技施設(仮称「北見アイスアリーナ建設計画」)を作ろうという声が上がり、候補地としてぼたん園が挙がったのである。(詳細は2019年4月6日付けのブログ記事参照)

<北見アイスアリーナ(仮称)計画>
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 しかし、残念なことにこの計画は当時は北見市の人口13万人程度では採算が取れないとして実現には至らなかった。(令和4年2月21日午後10時10分)

 そもそも今はぼたん園の敷地ではないが、園の北東部分にある河西建設株式会社(本社)には現在でも小規模ながら当時は北見市街唯一だった2シートのカーリングホールがある。(詳しくは2015年9月28日付けの記事「河西建設カーリングホール」を参照)河西建設については先の大戦の後から説明しなければならないが、話が長くなるので結論だけにすると、同社の先々代のオーナーが私の祖父、河西貴一の弟に当たり、先代(先々代の長男)のときに社員の福利厚生のために造ったのが始まりのようである。

 本橋は中学時代を常呂で陸上とカーリングで過ごし、中学3年生(15歳)の時に日本ジュニア選手権で優勝し、世界ジュニア選手権に出場するために初めての海外(カナダ)渡航を経験する。中学を卒業して高校に進学すると同時にそれまでチームを組んでいたメンバーも多くはまだ中学生だったため自然消滅してしまう。

 そんなときに北見の(当時はまだ常呂は北見市ではなかった)河西建設から声がかかる。河西建設のカーリング部はそのころ既に日本選手権を何度も制していて、本橋はそこで一緒に練習することになる。
 高校を卒業してチーム青森に加入するまで河西建設で過ごし、その間に日本選手権やアジア選手権にでることにより経験を積んでゆく。(令和4年2月22日午後11時)

<本橋麻里の著書「0から1をつくる 地元で見つけた、世界での勝ち方」講談社現代新書」
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2021年11月28日

独居老人の独り言 雑感

  数日前のNHKテレビで、現在横浜市のJR関内駅近くで建設中の地下1階、地上11階建て(高さ44m)の高層木造ビルと2019年(令和元年)7月に竣工した東急池上線旗の台駅木造リニューアル駅舎を報じていた。その他調べてみると、2025年には日本橋に地上17階、高さ70m、延べ床面積26,000uという計画もある。さらには2041年を目標に、あの住友林業が高さ350m、地上70階建ての木造超高層ビルを建てる構想を発表している。海外でも北米、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、など世界では既に木造の高層ビルがトレンドになっている。(令和3年11月30日深夜)

  令和3年も12月になってしまった。このところずっと留守中に溜まっていた新聞を読んでいるが、残すところあと1か月分ほどになった。切り抜きはもう既に段ボール1箱分に余るほどになっている。

  途中まで書きかけた木造高層ビルの話題は、結論から言うとぼたん園の樹々、特に針葉樹は大部分が既に95年を超え100年の樹齢に近い。これらの樹々は100年近くにわたり光合成によりCO2を吸収して酸素を排出してきた。ただし、樹齢とともに吸収量は低下して現在ではほぼその役割を終えている。吸収されたCO2は燃やさないかぎり大気中に排出されることはなく、木のなかに固定されている。さらに木造高層ビルは鉄やコンクリートを使わないことにより、これらの建材を製造するために大量のCO2を排出することを避けることができるのである。(令和3年12月5日深夜)

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  今日は午後1時から新宿で会社(旧安田火災)勤務時代の同期会があった。武漢ウイルスのせいで、この1年半ほど保留になっていたので久方振りの再会であった。今日の会が200回目とのことで、改めて年月の経過を認識した。以前は殆ど毎月、幹事持ち回りで開催していたので単純計算でもかれこれ20年近く続いていることになる。

  最後に出席者全員(今回は11名)で撮った写真を見て、それまではみんな老人になったなあ、と他人事のように思っていたが、そこに写っているのはみんなと変わらない自分であった。何だかがっかりしたような一方では安心したような気持になった。でも最盛期には20人以上が集まっていたから、それから考えると既に鬼籍に入った者もいるし、現在本人、または奥さんが具合が良くなくて出てこれない者もいる。

  順番に近況報告となったが、話すことはだいたい皆同じで病気、健康、女房、家族、運動(身体の)のことである。あと何回まで続くであろうか、できれば最後の一人になるまで続いて欲しいと思った。(令和3年12月7日深夜)

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  昨日、参議院会館1215号室の参議院議員 青山繁晴事務所から自由民主党の党員申込書と党費を受領した旨の手紙が届いた。青山議員直筆(と思われる)のメッセージが書き添えられている。青山議員は11月の自民党総裁選に出馬する意思を固めていたが、高市早苗議員が一足早く出馬を発表したので急遽同議員の応援に回った。

  日本を取り巻く安全保障環境が益々厳しさを増す中で、自民党の内外で国益を損なう恐れのある状況に止むに止まれず立つことを決意されてのことと思う。残念ながら高市総理は実現しなかったが、いづれどちらかが再び日本のリーダーとして立ち上がるときのために党員となって一票を確保しておきたいと思う。

<青山繁晴議員直筆のメッセージとともに送られてきた手紙>
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  話が飛び飛びになってしまうが、ぼたん園の樹々を活かしたいと思う。幸いにも日本中、いや世界中で木が見直されてきている。日本は国土面積の70%を森林が占める森林国である。そして地震国でもある。従来は鉄やコンクリートに比べて耐震性、耐久性、耐火性などが劣るとされてきたが、近年これらの弱点とされてきたことがCLT(Cross Laminated Timber)などの新しい木造建築材や木造工法の技術開発により克服されつつある。

  そして何よりも、木には鉄やコンクリートにはない多くのメリットがあることが魅力である。拙宅のマンションも既に築30年を超え、5年ほど前に全面リフォームを実施した。木が大好きなので木の良さを理解している1級設計士と工務店を選んで、鉄筋コンクリート造りのマンションではあるが、内装は建具、水回り、壁も可能な限り木を多用した。また壁、天井は全て漆喰塗とし、化学物質は排除した。(令和3年12月8日午後10時20分)

  なによりも毎朝起きた時に東の窓から差し込む朝日が木と漆喰に反射して、部屋中が柔らかな光に包まれている感じに心癒される。自然のままの造形物は、こうして資材として加工されても生きている。木や漆喰の壁は呼吸をし、自然に温度や湿度を調節してくれている。生きているからこそ、大事に心を込めて世話をすれば年々風格を増し愛情に応えてくれる。そこが鉄やコンクリートとの一番の違いである。
(令和3年12月9日正午近く) 

 ぼたん園の樹々を無駄にしないように、有効に活用する道を探ってみようと思う。(令和3年12月20日22時25分)

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  令和3年12月30日(木)16:25PM、晴れ、現在の気温12℃。今夜は氷点下(-1℃)の予報。
  昨日、やっと留守中に溜まっていた新聞をやっと読み終えた。10月9日に帰宅してからほぼ毎日読んできたが、80日近くかかってしまった。今日からまたブログ再開だ。

  今年も残すところ1日、明後日は新年を迎える。元旦は、今年は武漢ウイルスのせいで流れたが、明後日は子供たち家族が来る。総勢で13人となる。一人から13人に増えたのだから感慨深い。少しは自分が生まれてきた意味もあったのか。今は孫たちの成長が楽しみだ。全員好きなことを見つけて楽しい人生を送って欲しい。 

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2021年11月20日

独居老人の独り言 樋口一葉展

  令和3年11月19日(金)晴れ。県立神奈川近代文学館で開催されている「樋口一葉展 ― わが詩は人のいのちとなりぬべき」を見に行ってきた。午前中は関内で会議があってそれに出席し、終わってからその足で港の見える丘公園内にある会場に向かった。

  今日は晴れていたが気温は暑くもなく寒くもなく平日のせいか、人出もそう多くはなかったのでゆっくり見ることができた。港の見える丘公園には何回かきているが、県立神奈川近代文学館は初めてで、すぐにはどこにあるのか分からなかった。公園の入り口から少し山手方面に行ったところの左側に目立たない小さな案内板があったので、そこを左折して少し下って行くと右手にこれまた目立たない看板が出ている。

<「県立神奈川近代文学館」と看板があったが、その先は通行止めのカラーコーンが置かれていて右側の門扉は閉じていた。警備員に訪ねると、ここは裏門で駐車場はないとのこと>
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  止む無く公園前の有料駐車場まで戻り、車を駐車して歩いて引き返す。霧笛橋に行きあたると右手奥の階段を昇ったところにコンクリート造りの白い建物があり、樋口一葉展の案内板があった。

<県立神奈川近代文学館>
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  受付で入場券を買い求めると、丁度2時から2階のホールで解説があるとのことでそのまま2階へ。5分ほどで同館展示課の浅野千保氏の説明(1時間ほど)を聞く。その後、1階に降りて展示場に入る。展示は年代順に4部構成になっていて、一葉の24歳と6か月の短い生涯を辿ることができる。

  そもそも、この特別展を知ったのは令和3年11月8日(月)付けの産経新聞・神奈川版「かながわ美の手帖」の記事を目にしたことにある。今を遡ること50年以上前、私が安田火災(現損保ジャパン)に入社して1年の研修期間を終え、最初の任地である浅草支店(当時は雷門前に社屋があった)勤務となったときに、よく昼飯を食べに行った下谷龍泉寺町の「角万(かどまん)」という蕎麦屋のすぐ近くに一葉が住んでいたという居宅跡があり、台東区の記念館(区立一葉記念館)になっているということを聞いていたので、いつか訪ねてみようと思っているうちに転勤になってしまって思い残した感があったからである。

  甲斐国(現・山梨県塩山)の農家であった一葉の両親は江戸へ出て、明治維新後父親は東京府の下級官吏となる。明治5年、一葉(本名は奈津、後に夏子とも称す)は東京で5人兄妹の次女として生まれる。明治22年に父、則義が死去してからは17歳の一葉が戸主として一家を支えることとなる。そのために小説家になろうと決意し、いくつかの習作を執筆する。しかし、「文学は糊口の為になすべき物ならず」として、明治26年21歳のときに吉原遊郭に近い下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉)に転居し、荒物と駄菓子を売る小さな雑貨店を開くが9か月で行き詰まり廃業、翌明治27年22歳で本郷区丸山福山町(現・文京区西片)に転居する。(令和3年11月19日)

<文学館前から横浜港の方向を見る>
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  丸山福山町に転居した一葉は、その年の12月に「大つごもり」を「文学界」に発表する。それから没年の明治29年1月までのわずか1年余の間に「たけくらべ」(明治28年1月〜29年1月)、「ゆく雲」(同28年5月)、「にごりえ」(同年9月)、「十三夜」(同年12月)、「わかれ道」(同29年1月)などの小説を次々と発表、自ら「塵の中」と称した社会の底辺でこの時代を生きる女性の現実を描いた。

<文学館と大佛次郎記念館を結ぶ霧笛橋>
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<霧笛橋から望むベイブリッジ>
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  一葉は24年という短い生涯の中で経済的に余裕のあった幼少期の頃を除いて、17歳のときに父親が事業の失敗と病気で亡くなってからは、戸主として残された借金の返済と家族を養うために、恐らく日本で最初の女性職業小説家となった。そして19歳から24歳までの短い間に、数々の名作を残した。 その間に生活の糧を得るために商売にも手を出すがうまくは行かず、その間に自身の身の回りで見聞きした社会の底辺で生きる人々の心情をありのままに書いた。

  一葉自身が身を置き、身近で見聞きし体験したこの時代は今の時代とは比べ物にならないほどの閉塞感があったであろうことは想像に余りある。身分制度や女性差別、そして貧困。しかし、その中で健気にも、強くも命を燃やして懸命に生きたその生涯は、現代においても姿形は変わっても同じような悩みや苦しみを抱えて声も上げられない女性たちの魂の叫びとも共鳴するものだろう。既に時代は重高齢化社会(65歳以上のうち、75歳超の高齢者が半分以上を占める社会)に突入しており、特に高齢女性の一人暮らし所帯が急増することは目に見えている。
 
<大佛次郎記念館とイギリス館、111番館の間にはイングリッシュローズ・ガーデンがある。>
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<同、ガーデンの噴水>
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<港の見える丘公園展望台のすぐ傍に掲げられているUW(I wish you a pleasant voyage)国際信号旗>
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  来年は樋口一葉の生誕150年となる。(令和3年11月24日午後10時39分)
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2021年11月07日

独居老人の独り言 やっぱり富士山は世界一の秀峰

  令和3年11月5日(金)、6日(土)と富士山の青木ヶ原樹海を歩いて、山麓で一泊してきた。予報では両日とも晴れで、その前後は暫く曇りまたは雨となっていたのでピンポイントで急遽出かけることにした。予報どうり5日当日の朝は雲ひとつない快晴で、いつものように我が愛車のGOLF VARIANTを駆って午前6時前に我が家を出発。そして、いつものようにI氏宅に寄り八王子インターから中央高速で河口湖インターまでは快調な走行であっという間に到着。目的地の富岳風穴前に着いたのは丁度9時。

  風穴前の駐車場に車を止めて、国道139号を渡ったところから樹海遊歩道に入る。ここは西湖の南西側に当たり、ここから西湖の西岸にある西湖野鳥の森公園まで行き、そこから樹海の中を突っ切る樹海遊歩道を紅葉台(1,165m)に向かって進む。富岳風穴前から紅葉台の登り口までで、歩行時間はおよそ3時間ほどである。その間は溶岩の上にできた森だからだろうか、あちこちに溶岩の窪みや穴があり、その上にツガやヒノキなどの根が浮き出たように張り出して、その根や地表を青い苔が覆っていて、普通の山の林相とは大分趣が異なる。鬱蒼としてあまり陽が届かないせいか、前夜雨が降ったのだろうか、湿気を感じる。

  富岳風穴前の青木ヶ原遊歩道入口にある看板には、こう書かれている。            
  「命は親から頂いた大切なもの。 もう一度静かに両
   親や兄弟、子供のことを考えてみましょう。
   一人で悩まず相談して下さい。 連絡先 ・・・」

<青木ヶ原遊歩道入口にある看板。 5日午前9:08撮影。>
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<昼なお暗い遊歩道。5日午前10:57撮影。>
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  紅葉台(1,165m)までは約30分ほど登ると展望台に到着する。展望台は少し広い広場になっていて、南には富士山が大きく見える。北側は西湖とその向こうに昔登ったことのある鬼ヶ岳(1,738m)や節刀ヶ岳(1,736m)、毛無山(1,500m)が見える。何と言ってもこの日は富士山の眺望が最高であった。

<紅葉台から見る富士山。5日午後12:24撮影。>
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<紅葉台の紅葉。5日午後12:32撮影。>
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  紅葉台からさらに15分ほど登ると三湖台(1,202.6m)があるが、ここは私有地らしく売店があって屋上が展望台になっているが、展望台に上がるには200円の料金が必要。馬鹿らしいので少し下の草地から富士山を写真に撮って下山、国道139号の下のトンネルを潜って再び青木ヶ原樹海を進むと50分くらいで鳴沢氷穴に出る。そこからさらに樹海の中を20分ほど進むと出発点の富岳風穴前に着く。時計は午後2時30分を指していた。

<三湖台付近から見る富士山。5日午後12:56撮影。>
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<同、筆者近影。5日午後13:03撮影。>
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  この日は、富岳風穴前から今朝ほど通ってきた国道139号を河口湖方面に少し戻り、道の駅「なるさわ」の裏手にある「富士眺望の湯 ゆらり」で汗を流し、さらに国道を河口湖方面に戻った国道沿いにある「吉野荘」というホテルに宿泊した。結構大きなホテルでこの日の泊り客は我々二人だけだった。
  4階の部屋と展望風呂からは富士山が大きく見え、手前には広い畑と民家が見渡せる。食事は夕食も朝食も広い食堂で二人だけでゆっくりと寛いで美味しく頂いた。コロナ禍でさぞかし経営は大変なことだろうと思われる。

<富士眺望の湯 ゆらり。5日午後14:55撮影。>
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<Resort Inn 吉野荘の部屋からの眺望。6日午前8:41撮影。>
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<同、畑と民家。6日午前8:41撮影。>
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  翌日(6日)も朝から快晴で高速道路も全く渋滞も無く、順調に帰宅した。久し振りに近くで見た富士山は、やっぱり世界に誇れる美しい山だと改めて思った。                 
                         了

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